Loading...

正史『三国志』「魏書武帝紀」をゆるゆる翻訳するよ! その4

正史『三国志』「魏書武帝紀」をゆるゆる翻訳するよ!

はじめに

ChatGPTの力を借りて、正史『三国志』の「魏書武帝紀」をゆるゆる翻訳するよ!
(そう)(そう) について書かれているよ!

本文中で(そう)(そう)さんは「太祖」「公」「王(魏王)」と書かれているけど、訳では「(そう)(そう)」と書くよ。

『三国志』を気軽に楽しく読んでみよう!

長いから記事を分けたよ。この記事は、(はく)(ろう)(ざん)の戦いと(せき)(へき)の戦いだよ。

出典

三國志 : 魏書一 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。

注意事項

  • ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
  • ChatGPTに意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
  • 第三者による学術的な検証はしていないよ。

翻訳の詳細は「ChatGPTと協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。

真面目な日本語訳は書籍が出版されているから、きっちりしっかり知りたい人はそちらを読んでみてね!

Amazon.co.jp: 正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫) : 陳 寿, 裴 松之: 本
Amazon.co.jp: 正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫) : 陳 寿, 裴 松之: 本
www.amazon.co.jp
Amazon.co.jp: 正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫) : 陳 寿, 裴 松之: 本

冀州の平定

本文

十年春正月,攻譚,破之,斬譚,誅其妻子,兾州平。(註77)下令曰:「其與袁氏同惡者,與之更始。」令民不得復私讎,禁厚葬,皆一之於法。

(けん)(あん)十年(205年)、春の正月、(そう)(そう)(えん)(たん)を攻めて、打ち破ったよ。(えん)(たん)を討ち取って、妻や子供たちも処刑して、()州を平定したよ。(そう)(そう)は命令してこう言ったよ。
(えん)()と同じように悪いことをしていた人たちは、新しくやり直させるよ」
民には個人的な恨みで争うことを禁止して、とても立派な葬式も禁止して、すべてを法に従って同じように扱ったよ。

(註77)

魏書曰:公攻譚,旦及日中不決;公乃自執桴鼓,士卒咸奮,應時破陷。

()(しょ)』によると、(そう)(そう)(えん)(たん)を攻めると、朝から昼になっても勝負がつかなかったんだ。そこで(そう)(そう)は、自分で太鼓を持って打ち鳴らして、兵たちを励ましたよ。すると兵たちはみんな奮い立って、その勢いで敵を打ち破ったよ。

本文

是月,袁熙大將焦觸、張南等叛攻熙、尚,熙、尚奔三郡烏丸。觸等舉其縣降,封為列侯。初討譚時,民亡椎冰,(註78)令不得降。頃之,亡民有詣門首者,公謂曰:「聽汝則違令,殺汝則誅首,歸深自藏,無為吏所獲。」民垂泣而去;後竟捕得。

この月、(えん)()の大将の(しょう)(しょく)(ちょう)(なん)たちが反乱を起こして、(えん)()(えん)(しょう)を攻めたよ。(えん)()(えん)(しょう)は3つの郡の()(がん)のもとへ逃げたんだ。(しょう)(しょく)たちは、自分たちの県をあげて降伏して、(れっ)(こう)に封ぜられたよ。
もともと(えん)(たん)を討っていたころ、氷を砕く作業(船を通すための仕事)から民が逃げ出したんだ。(そう)(そう)は「逃げた者の降伏は認めない」という命令を出していたよ。しばらくして、逃げていた民の一人が役所の門の前に出てきたよ。(そう)(そう)はこう言ったよ。
「もしあなたを許すなら命令にそむくし、殺せば命令を出した私自身が責められてしまうよ。だから帰って、しっかり隠れてね。役人に捕まらないようにしてね」
その民は涙を流しながら去っていったけど、後で捕まっちゃった。

(註78)

臣松之以為討譚時,川渠水凍,使民椎冰以通舩,民憚役而亡。

(はい)(しょう)()はこう考えるよ。(えん)(たん)を討っていたとき、川や水路が凍っていて、民に船を通すために氷を砕く作業をさせていたよ。でも民はその仕事を嫌がって逃げちゃった。

黒山賊の降伏

本文

夏四月,黑山賊張燕率其衆十餘萬降,封為列侯。故安趙犢、霍奴等殺幽州刺史、涿郡太守。三郡烏丸攻鮮于輔於獷平。(註79)秋八月,公征之,斬犢等,乃渡潞河救獷平,烏丸奔走出塞。

夏の四月、(こく)(ざん)(ぞく)(ちょう)(えん)が10万以上の兵を率いて降伏して、(れっ)(こう)に封ぜられたよ。その後、()(あん)の出身の(ちょう)(とく)(かく)()たちが(ゆう)(しゅう)()()(州の長官)や涿(たく)(ぐん)(たい)(しゅ)(郡の長官)を殺したんだ。そして、3つの郡の()(がん)(こう)(へい)(せん)()()を攻めたよ。
秋の八月、(そう)(そう)はこれを討つために兵を出して、(ちょう)(とく)たちを討ち取ったよ。そして()()を渡って(こう)(へい)を助けて、()(がん)は逃げて国境の外へ出て行ったんだ。

(註79)

續漢書郡國志曰:獷平,縣名,屬漁陽郡。

(ぞく)(かん)(じょ)』「(ぐん)(こく)()」によると、「(こう)(へい)」は県の名前で、(ぎょ)(よう)郡に属しているよ。

本文

九月,令曰:「阿黨比周,先聖所疾也。聞兾州俗,父子異部,更相毀譽。昔直不疑無兄,世人謂之盜嫂;弟五伯魚三娶孤女,謂之撾婦翁;王鳳擅權,谷永比之申伯;王商忠議,張匡謂之左道:此皆以白為黑,欺天罔君者也。吾欲整齊風俗,四者不除,吾以為羞。」冬十月,公還鄴。

九月、(そう)(そう)は命令してこう言ったよ。
「仲間どうしでかばい合って、ひいきをすることは、昔の聖人が嫌ったことだよ。聞くところによると、()州の風習では、父と子でさえ別々の立場に分かれて、お互いに悪く言ったりほめたりしているんだって。昔、(ちょく)()()には兄がいなかったのに、世の人は『兄の妻を盗んだ』と悪く言ったよ。(だい)()(はく)(ぎょ)(だい)()(りん))は、身寄りのない女性を3度妻にしただけなのに、『妻の父を打った』と中傷されたんだ。さらに(おう)(ほう)は勝手に権力を振ったのに、(こく)(えい)(しん)(はく)みたいだとほめたよ。(おう)(しょう)は忠から意見を言ったのに、(ちょう)(きょう)はこれをよこしまな道と言ったんだ。これはみんな、白を黒と言い張って、天や君主を騙すものだよね。私は風習を正したいと思っていて、このような4つの問題を取り除かなければ、私は恥ずかしいと思うよ」
冬の十月、(そう)(そう)(ぎょう)に帰ったよ。

(ちょく)()()は、(かん)(ぶん)(てい)から(けい)(てい)の時代の人だよ。『(かん)(じょ)』「(ばん)(せき)(ちょく)(しゅう)(ちょう)(でん)」や『()()』「(ばん)(せき)(ちょう)(しゅく)(れつ)(でん)」を見てね。
(おう)(ほう)は、(かん)(げん)(てい)から(せい)(てい)の時代の大将軍だよ。(こく)(えい)が彼を(しん)(はく)みたいだと言ったのは、『(かん)(じょ)』「(こく)(えい)()(ぎょう)(でん)」を見てね。(しん)(はく)は、西(せい)(しゅう)時代にあった(しん)という国の君主だよ。
(おう)(しょう)は、(かん)(せい)(てい)の時代の人だよ。『(かん)(じょ)』「(おう)(しょう)()(たん)()()(でん)」を見てね。

烏丸を討つ

本文

初,袁紹以甥高幹領并州牧,公之拔鄴,幹降,遂以為刺史。幹聞公討烏丸,乃以州叛,執上黨太守,舉兵守壺關口。遣樂進、李典擊之,幹還守壺關城。

もともと、(えん)(しょう)はおいの(こう)(かん)(へい)(しゅう)(ぼく)(州の長官)を兼ねさせたよ。その後、(そう)(そう)(ぎょう)を攻め取ると、(こう)(かん)は降伏して、そのまま(へい)(しゅう)()()になったよ。でも、(こう)(かん)(そう)(そう)()(がん)を討伐しに行ったと聞くと、(へい)州で反乱を起こしたんだ。(じょう)(とう)(たい)(しゅ)を捕らえて、兵をあげて()(かん)(こう)を守ったよ。(そう)(そう)(がく)(しん)()(てん)を送って攻撃させたけど、(こう)(かん)()(かん)(じょう)を守ったままだったんだ。

本文

十一年春正月,公征幹。幹聞之,乃留其別將守城,走入匈奴,求救於單于,單于不受。公圍壺關三月,拔之。幹遂走荊州,上洛都尉王琰捕斬之。

(けん)(あん)十一年(206年)、春の正月、(そう)(そう)(こう)(かん)を討つために兵を出したよ。これを聞いた(こう)(かん)は、将に城を守らせて自分は(きょう)()へ逃げて、(ぜん)()(部族の王)に助けを求めたよ。でも、(ぜん)()はそれを受け入れなかったんだ。(そう)(そう)()(かん)を3ヶ月のあいだ囲んで、攻め落としたよ。(こう)(かん)(けい)州に逃げたけど、上洛都尉(じょうらくとい)(おう)(えん)に捕らえられて、討ち取られたんだ。

本文

秋八月,公東征海賊管承,至淳于,遣樂進、李典擊破之,承走入海島。割東海之襄賁、郯、戚以益琅邪,省昌慮郡。(註80)

秋の八月、(そう)(そう)は海賊の(かん)(しょう)を討つために東へ軍を進めたよ。(じゅん)()に着くと、(がく)(しん)()(てん)を送ってこれを攻めて、打ち破ったよ。(かん)(しょう)は海の島に逃げたんだ。
(そう)(そう)(とう)(かい)(じょう)(ふん)(たん)(せき)を切り分けて、(ろう)()に加えて、(しょう)()郡を廃止したよ。

(註80)

魏書載十月乙亥令曰:「夫治世御衆,建立輔弼,誡在面從,詩稱『聽用我謀,庶無大悔』,斯實君臣懇懇之求也。吾充重任,每懼失中,頻年已來,不聞嘉謀,豈吾開延不勤之咎邪?自今已後,諸掾屬治中、別駕,常以月旦各言其失,吾將覽焉。」

()(しょ)』によると、十月、乙亥の日、(そう)(そう)は命令してこう言ったよ。
「よい世の中を治めてたくさんの人をまとめるには、助けてくれる臣下を立てることが大切だよ。でも、ただ表面だけ従うのではいけないよ。『()(きょう)』にも『私の考えを聞き入れてくれれば、大きな後悔はないだろう』とあるんだ。これは君主と臣下の心からよい意見を求めることの大切さを言っているんだね。私は重い役目についているけど、いつも判断を間違えないかと心配しているよ。ここ数年、よい意見をあまり聞いていないけど、これは私が広く意見を求める努力が足りなかったせいなの? これからは、(えん)(ぞく)(属官)や()(ちゅう)(べつ)()たちは、毎月の初めにそれぞれ自分の過ちを報告してね。私はそれを見るよ」

本文

三郡烏丸承天下亂,破幽州,略有漢民合十餘萬戶。袁紹皆立其酋豪為單于,以家人子為己女,妻焉。遼西單于蹋頓尤彊,為紹所厚,故尚兄弟歸之,數入塞為害。公將征之,鑿渠,自呼沲入泒水,(註81)名平虜渠;又從泃河口(註82)鑿入潞河,名泉州渠,以通海。

3つの郡の()(がん)は、天下が乱れているのに乗じて、(ゆう)州を攻め破って、(かん)の民を十数万戸も奪い取ったんだ。(えん)(しょう)は、それぞれの部族の有力者を(ぜん)()(部族の王)に任命して、さらに自分の家の娘を彼らに嫁がせたよ。その中でも、(りょう)西(せい)(ぜん)()(とう)(とん)はとても強くて、(えん)(しょう)にとても大切にされていたんだ。だから、(えん)(しょう)(えん)()兄弟は彼を頼って身を寄せて、何度も国境の内側へ入って害を与えたんだ。
そこで(そう)(そう)はこれを討とうとして、水路を開いたよ。自ら()()(すい)から()(すい)へと通じる運河を掘って、「(へい)(りょ)(きょ)」と名づけたよ。さらに、()()(こう)から()()へ通じる運河も掘って、「(せん)(しゅう)(きょ)」と名づけて、海まで行き来できるようにしたよ。

(註81)

泒音孤。

泒の発音は孤だよ。

(註82)

泃音句。

泃の発音は句だよ。

白狼山の戦い

本文

十二年春二月,公自淳于還鄴。丁酋,令曰:「吾起義兵誅暴亂,於今十九年,所征必克,豈吾功哉?乃賢士大夫之力也。天下雖未悉定,吾當要與賢士大夫共定之;而專饗其勞,吾何以安焉!其促定功行封。」於是大封功臣二十餘人,皆為列侯,其餘各以次受封,及復死事之孤,輕重各有差。(註83)

(けん)(あん)十二年(207年)、春の二月、(そう)(そう)(じゅん)()から(ぎょう)に帰ったよ。丁酋の日、命令してこう言ったよ。
「私は義のための兵をあげて、悪い者や乱れを鎮めてきて、今で19年になるよ。これまで戦えば必ず勝ってきたけど、これは本当に私一人の功績なの? いや、立派な()(たい)()たちの力のおかげだよ。天下はまだ完全には平定されていないけど、私はこれからも彼らと力を合わせて成し遂げていきたいんだ。なのに、私だけがその功績を受けるなんて、どうして心安らかでいられるの! だから、すぐにそれぞれの功績を評価して、賞を与えてね」
こうして功績をあげた20人以上がそれぞれ功績に応じて封ぜられて、みんな(れっ)(こう)の位を受けたよ。戦いで亡くなった人の子供たちにも、それぞれの功績に応じて爵位や賞を与えたよ。

(註83)

魏書載公令曰:「昔趙奢、竇嬰之為將也,受賜千金,一朝散之,故能濟成大功,永世流聲。吾讀其文,未甞不慕其為人也。與諸將士大夫共從戎事,幸賴賢人不愛其謀,羣士不遺其力,是以夷險平亂,而吾得竊大賞,戶邑三萬。追思竇嬰散金之義,今分所受租與諸將掾屬及故戍於陳、蔡者,庶以疇荅衆勞,不擅大惠也。宜差死事之孤,以租穀及之。若年殷用足,租奉畢入,將大與衆人悉共饗之。」

()(しょ)』によると、(そう)(そう)は命令してこう言ったよ。
「昔、(ちょう)(しゃ)(とう)(えい)が将になると、千金もの賞を受けても、それをすべて人々に分け与えたんだって。だから大きな功績を成し遂げて、長く後の世に名を残したよ。私はこの話を読むといつも、彼らの人となりを慕わないではいられないの。
私はたくさんの将や()(たい)()たちと一緒に戦ってきたけど、幸いにも賢い人たちが知恵を惜しまないで、みんなが力を尽くしてくれたよ。おかげで、困難や危険を乗り越えて乱れを平定できて、混乱を鎮められたんだ。こうして、私はその功績を分けてもらって、3万戸の領地を受け取ったよ。今、私は(とう)(えい)が金を分け与えた心を思い起こして、受け取った土地からの税を、将や(えん)(ぞく)(属官)たち、そして前に(ちん)(さい)を守っていた人たちに分け与えるよ。これはみんなの苦労に報いためで、私だけで大きな恩恵を独り占めしないためだよ。それに、戦いで亡くなった者の子供たちにも、それぞれの功績に応じて土地からの税と穀物を与えてね。もし年ごとに収穫が多くて、必要な税が足りたら、その残りはすべてみんなと分かち合って宴を開いて楽しむつもりだよ」

(ちん)(さい)は、(こう)()が旅をしている途中で食料が尽きて苦しんだところだね。

本文

將北征三郡烏丸,諸將皆曰:「袁尚,亡虜耳,夷狄貪而無親,豈能為尚用?今深入征之,劉備必說劉表以襲許。萬一為變,事不可悔。」惟郭嘉策表必不能任備,勸公行。

(そう)(そう)が3つの郡の()(がん)を討つために北へ軍を進めようとしたけど、将たちはみんなこう言ったよ。
(えん)(しょう)は、すでに敗れて逃げた者にすぎないよ。異民族は欲が深くて、身内への情も薄いのだから、どうして袁尚のために力を尽くすの? 今、遠くまで軍を進めて討伐すれば、そのすきに(りゅう)()(りゅう)(ひょう)を説得して、(きょ)を襲うかも。もしそんなことが起こったら、後悔しても取り返しがかないよ」
でも、(かく)()だけは、(りゅう)(ひょう)がきっと(りゅう)()をうまく使いこなせないと見抜いて、(そう)(そう)に軍を進めるように勧めたよ。

本文

夏五月,至無終。秋七月,大水,傍海道不通,田疇請為鄉導,公從之。引軍出盧龍塞,塞外道絕不通,乃壍山堙谷五百餘里,經白檀,歷平岡,涉鮮卑庭,東指柳城。未至二百里,虜乃知之。尚、熙與蹋頓、遼西單于樓班、右北平單于能臣抵之等,將數萬騎逆軍。

夏の五月、(そう)(そう)()(しゅう)に着いたよ。秋の七月、大雨が降って洪水が起こって、海沿いの道が通れなくなっちゃった。(でん)(ちゅう)が「自分が案内するよ」と言ったから、(そう)(そう)はこれに従ったよ。軍を率いて()(りゅう)(さい)を出たけど、その外の道はまったく通れなくなっていたんだ。だから山を切り開いて、谷を埋めながら、500里以上も道を開いて進んだよ。(びゃく)(だん)を通って、(へい)(こう)を越えて、(せん)()の地を通って、東の(りゅう)(じょう)を目指したよ。
まだ200里くらい離れているとき、敵はやっと(そう)(そう)たちの動きを知ったんだ。(えん)(しょう)(えん)()は、(とう)(とん)(りょう)西(せい)(ぜん)()(部族の王)の(ろう)(はん)(ゆう)(ほく)(へい)(ぜん)()(のう)(しん)(てい)()たちと一緒に、1万の騎兵を率いて迎え撃とうとしたよ。

本文

八月,登白狼山,卒與虜遇,衆甚盛。公車重在後,被甲者少,左右皆懼。公登高,望虜陳不整,乃縱兵擊之,使張遼為先鋒,虜衆大崩,斬蹋頓及名王已下,胡、漢降者二十餘萬口。遼東單于速僕丸及遼西、北平諸豪,棄其種人,與尚、熙奔遼東,衆尚有數千騎。

八月、(そう)(そう)(はく)(ろう)(ざん)に登ったよ。すると突然、敵の軍と出会ったんだ。敵はとてもたくさんいて、強かったんだ。でも(そう)(そう)の軍は、荷物を積んだ車が後ろにあって、鎧を着た兵も少なかったから、周りの人たちはみんな怖くなっちゃった。
そこで(そう)(そう)は高いところに登って、敵の陣形が整っていないのに気が付いたよ。すぐに兵たちに攻撃を命令して、(ちょう)(りょう)を先に進ませて突撃させたよ。すると敵の軍は大きく崩れて、(とう)(とん)やその下の有力な王たちまで討ち取られたよ。北の意味族や(かん)の人たちで降伏した人は20万人以上にもなったんだ。
(りょう)(とう)(ぜん)()(部族の王)の(そく)(ぼく)(がん)(りょう)西(せい)(ほく)(へい)の有力者たちは、自分たちの民を捨てて、(えん)(しょう)(えん)()と一緒に(りょう)(とう)に逃げちゃった。そのとき、まだ数千の騎兵を連れていたよ。

本文

初,遼東太守公孫康恃遠不服。及公破烏丸,或說公遂征之,尚兄弟可禽也。公曰:「吾方使康斬送尚、熙首,不煩兵矣。」九月,公引兵自柳城還,(註84)康即斬尚、熙及速僕丸等,傳其首。

もともと、(りょう)(とう)(たい)(しゅ)(こう)(そん)(こう)は、遠くにいるから、(そう)(そう)に従おうとしなかったんだ。(そう)(そう)()(がん)を打ち破ると、ある人が(そう)(そう)にこう言ったよ。
「そのまま(りょう)(とう)まで攻めれば、(えん)(しょう)(えん)()を捕らえられるよ」
でも、(そう)(そう)はこう言ったよ。
「私はこれから、(こう)(そん)(こう)(えん)(しょう)(えん)()を討ち取らせて首を届けさせるつもりだから、兵を使わないでいいよ」
九月、(そう)(そう)が軍を率いて(りゅう)(じょう)から帰ると、(こう)(そん)(こう)はすぐに(えん)(しょう)(えん)()(そく)(ぼく)(がん)たちを斬って、その首を送り届けたよ。

(註84)

曹瞞傳曰:時寒且旱,二百里無復水,軍又乏食,殺馬數千匹以為糧,鑿地入三十餘丈乃得水。旣還,利問前諫者,衆莫知其故,人人皆懼。公皆厚賞之,曰:「孤前行,乘危以徼倖,雖得之,天所佐也,顧不可以為常。諸君之諫,萬安之計,是以相賞,後勿難言之。」

(そう)(まん)(でん)』によると、その時期はすごく寒くて、しかもひでりが続いていて、200里ものあいだ水がまったくなかったんだ。軍は食糧が足りなかったから、馬を数千頭も殺して食糧にしたんだって。地面を30丈以上も深く掘って、やっと水を得られたよ。
こうして帰った後、(そう)(そう)は、前に進軍に反対した者たちについて調べさせたよ。誰もその理由がわからなかったから、みんな恐れていたんだ。でも、(そう)(そう)はその人たちにたくさんの賞を与えて、こう言ったよ。
「私は今回、危ないことを知っていたけど軍を進めて運よく成功したけど、これは天の助けがあったからなんだ。いつもこれではいけないよね。あなたたちの進言は、安全でいい作戦だったから、こうして賞を与えるよ。これからも遠慮しないで意見を言ってね」

本文

諸將或問:「公還而康斬送尚、熙,何也?」公曰:「彼素畏尚等,吾急之則并力,緩之則自相圖,其勢然也。」十一月至易水,代郡烏丸行單于普富盧、上郡烏丸行單于那樓將其名王來賀。

将たちがこう尋ねたよ。
「どうして、帰っただけで(こう)(そん)(こう)(えん)(しょう)(えん)()たちを斬ったの?」
(そう)(そう)はこう答えたよ。
「もともと彼は(えん)(しょう)たちを恐れていたんだ。もし私が急いで攻めたら、彼らは力を合わせてしまうけど、ゆるやかにしておけば、お互いに争うようになるよ。そういうものなんだ」
十一月、(そう)(そう)(えき)(すい)に着くと、(だい)郡の()(がん)(ぜん)()を代行する()()()(じょう)郡の()(がん)(ぜん)()を代行する()(ろう)がそれぞれ有力な王たちを連れて祝いにやって来たよ。

丞相になる

本文

十三年春正月,公還鄴,作玄武池以肄舟師。(註85)漢罷三公官,置丞相、御史大夫。夏六月,以公為丞相。(註86)(註87)

(けん)(あん)十三年(208年)、春の正月、(そう)(そう)(ぎょう)に帰ったよ。(げん)()()という湖を作って水軍の訓練をしたよ。
(かん)の朝廷では(さん)(こう)を廃止して、新しく(じょう)(しょう)(ぎょ)()(たい)()を置いたよ。夏の六月、(そう)(そう)(じょう)(しょう)に任命されたよ。

(註85)

肄,以四反。三蒼曰:「肄,習也。」

肄とは、4回繰り返してすることだよ。『(さん)(そう)』によると、肄とは「習う」を意味するんだって。

(註86)

獻帝起居注曰:使太常徐璆即授印綬。御史大夫不領中丞,置長史一人。

(けん)(てい)()(きょ)(ちゅう)』によると、(たい)(じょう)(じょ)(きゅう)を送ってその場で印綬を授けさせたんだって。(ぎょ)()(たい)()(ちゅう)(じょう)兼ねないで、代わりに(ちょう)()を1人置いたよ。

(註87)

先賢行狀曰:璆字孟平,廣陵人。少履清爽,立朝正色。歷任城、汝南、東海三郡,所在化行。被徵當還,為袁術所劫。術僭號,欲授以上公之位,璆終不為屈。術死後,璆得術璽,致之漢朝,拜衞尉太常;公為丞相,以位讓璆焉。

(せん)(けん)(こう)(じょう)』によると、(じょ)(きゅう)は、(あざな)(もう)(へい)で、(こう)(りょう)の出身だよ。若いころから心が清くてさっぱりしていて、朝廷に立つときも正しい態度を崩さないよ。(じん)(じょう)(じょ)(なん)(とう)(かい)の3つの郡の(たい)(しゅ)(郡の長官)を歴任して、どこにいても立派な仕事をしたよ。
朝廷に呼ばれたけど、途中で(えん)(じゅつ)に捕らえられたんだ。(えん)(じゅつ)は身分を越えて自分で皇帝を名乗って、(じょ)(きゅう)に公の官位を授けようとしたけど、(じょ)(きゅう)は最後まで屈さなかったよ。
(えん)(じゅつ)が亡くなると、(じょ)(きゅう)(えん)(じゅつ)の皇帝の印綬を手に入れて、それを(かん)の朝廷に返したよ。その功績によって、(えい)()(たい)(じょう)に任命されたよ。(そう)(そう)(じょう)(しょう)になると、その位を(じょ)(きゅう)にゆずろうとしたよ。

荊州へ

本文

秋七月,公南征劉表。八月,表卒,其子琮代,屯襄陽,劉備屯樊。九月,公到新野,琮遂降,備走夏口。公進軍江陵,下令荊州吏民,與之更始。乃論荊州服從之功,侯者十五人,以劉表大將文聘為江夏太守,使統本兵,引用荊州名士韓嵩、鄧義等。(註88)(註89)

秋の七月、(そう)(そう)(りゅう)(ひょう)を討つために南へ軍を進めたよ。八月、(りゅう)(ひょう)は亡くなって、その子の(りゅう)(そう)が後を継いだよ。(りゅう)(そう)(じょう)(よう)にとどまって、(りゅう)()(はん)にいたんだ。
九月、(そう)(そう)(しん)()に着くと、(りゅう)(そう)は降伏して、(りゅう)()()(こう)に逃げたよ。(そう)(そう)はさらに軍を進めて(こう)(りょう)に入って、(けい)州の役人や民に「これからは新しくやり直す」と命令したよ。そして、(けい)州が従った功績を評価して、15人を侯に封じたよ。(りゅう)(ひょう)の大将の(ぶん)(ぺい)(こう)()(たい)(しゅ)に任命してこれまでの兵をそのまま率いさせたよ。さらに、(けい)州で名高い士人の(かん)(すう)(とう)()たちを引き入れて使ったよ。

(註88)

衞恒四體書勢序曰:上谷王次仲善隷書,始為楷法。至靈帝好書,世多能者。而師宜官為最,甚矜其能,每書,輙削焚其札。梁鵠乃益為版而飲之酒,候其醉而竊其札,鵠卒以攻書至選部尚書。

(えい)(こう)の『()(たい)(しょ)(せい)』の序文によると、(じょう)(こく)の出身の(おう)()(ちゅう)は隷書が得意で、初めて楷書の手本となる書き方を作ったよ。(れい)(てい)は書が好きだから、世の中には字の上手な人が多くなったよ。中でも()()(かん)が最もすぐれていたけど、自分の才能をとても誇りに思っていたんだって。だから、字を書くたびに、その書いた紙を削ったり焼いたりして、人に見せないようにしていたんだ。
(りょう)(こく)は、わざと板を作って酒を振る舞って、()()(かん)を酔わせて、そのすきに書いたものをこっそり手に入れたよ。(りょう)(こく)はその書を学び続けて、ついに(せん)()(しょう)(しょ)にまで昇進したよ。

(註88)

於是公欲為洛陽令,鵠以為北部尉。鵠後依劉表。及荊州平,公募求鵠,鵠懼,自縛詣門,署軍假司馬,使在祕書,以勤書自効。公甞懸著帳中,及以釘壁玩之,謂勝宜官。鵠字孟皇,安定人。魏宮殿題署,皆鵠書也。

(そう)(そう)は、(らく)(よう)(けん)(れい)になりたかったけど、(りょう)(こく)は彼を(ほく)()()にしたよ。その後、(りょう)(こく)(りゅう)(ひょう)を頼ったよ。
(けい)州が平定されると、(そう)(そう)(りょう)(こく)を探したよ。(りょう)(こく)は怖くて自分で縄に縛って門の前に出てきたよ。(そう)(そう)は彼を処罰しないで、軍の仮の()()に任命して、さらに()(しょ)で働かせて、書の腕前によって役に立つようにさせたよ。(そう)(そう)は彼の書を気に入って、帳の中にかけたり、壁に釘で打ちつけて眺めたりして楽しんで、()()(かん)よりもすぐれているとほめたんだ。
(りょう)(こく)は、(あざな)(もう)(こう)で、(あん)(てい)の出身だよ。()の宮殿に書かれた題字は、すべて(りょう)(こく)の書だよ。

(註89)

皇甫謐逸士傳曰:汝南王儁,字子文,少為范滂、許章所識,與南陽岑晊善。公之為布衣,特愛儁;儁亦稱公有治世之具。及袁紹與弟術喪母,歸葬汝南,儁與公會之,會者三萬人。公於外密語儁曰:「天下將亂,為亂魁者必此二人也。欲濟天下,為百姓請命,不先誅此二子,亂今作矣。」儁曰:「如卿之言,濟天下者,舍卿復誰?」相對而笑。儁為人外靜而內明,不應州郡三府之命。公車徵,不到,避地居武陵,歸儁者一百餘家。帝之都許,復徵為尚書,又不就。

(こう)()(ひつ)の『(いっ)()(でん)』によると、(じょ)(なん)の出身の(おう)(しゅん)は、(あざな)()(ぶん)だよ。若いころに(はん)(ぼう)(きょ)(しょう)に才能を認められて、(なん)(よう)の出身の(しん)(しつ)とも仲がいいよ。(そう)(そう)がまだ官位の無い身のころから、特に(おう)(しゅん)を気に入っていて、(おう)(しゅん)(そう)(そう)には世の中を治める力があると評価していたよ。
(えん)(しょう)と弟の(えん)(じゅつ)が母の葬儀のために(じょ)(なん)に帰ってきたとき、(おう)(しゅん)(そう)(そう)と一緒に参加したんだ。3万人が集まったらしいよ。(そう)(そう)はこっそりと(おう)(しゅん)にこう言ったよ。
「これから天下は乱れるだろうね。その乱れを引き起こす中心になるのは、必ずきっとこの二人((えん)(しょう)(えん)(じゅつ))だよ。もし天下を救って民のために尽くすつもりなら、まずは彼らを討たなければ、すぐに乱が起こっちゃうよ」
(おう)(しゅん)はこう答えたよ。
「あなたの言うとおりなら、天下を救えるのは、あなたのほかに誰がいるの?」
そう言って、二人は顔を見合わせて笑ったよ。
(おう)(しゅん)は外から見ると静かな人だけど、内面はとても賢いよ。でも州や郡、(さん)(こう)の役所から招かれても応じなかったんだ。朝廷からの正式な招きもあったけど、応じないで、()(りょう)に隠れ住んだよ。そこには(おう)(しゅん)を慕って100戸以上の人たちが集まったよ。
その後、皇帝が(きょ)に都を移すと、ふたたび(しょう)(しょ)として朝廷に呼ばれたけど、それにも応じなかったんだ。

(註89)

劉表見紹彊,陰與紹通,儁謂表曰:「曹公,天下之雄也,必能興霸道,繼桓、文之功者也。今乃釋近而就遠,如有一朝之急,遙望漠北之救,不亦難乎!」表不從。儁年六十四,以壽終于武陵,公聞而哀傷。及平荊州,自臨江迎喪,改葬于江陵,表為先賢也。

(りゅう)(ひょう)(えん)(しょう)が強いのを見て、こっそりと(えん)(しょう)と手を結んだよ。(おう)(しゅん)(りゅう)(ひょう)にこう言ったよ。
(そう)(そう)は、天下でもすぐれた英雄だよ。きっと覇者の道を興して、(せい)(かん)(こう)(しん)(ぶん)(こう)のような功績を受け継ぐ人だろうね。なのに、近くの(そう)(そう)を捨てて、遠くの(えん)(しょう)に頼るのはどういうこと? もし危ないことが起こったら、北の遠く((えん)(しょう))に助けを求めても、間に合わないのではないかな!」
でも、(りゅう)(ひょう)はこの意見に従わなかったんだ。
(おう)(しゅん)は64歳で、()(りょう)で亡くなったんだ。(そう)(そう)はその知らせを聞いて、とても悲しんだの。
(けい)州を平定すると、(そう)(そう)は自ら長江のほとりまで行って彼の遺体を迎えて、(こう)(りょう)に改めて葬ったよ。そして(おう)(しゅん)を、立派な先人としてほめたよ。

赤壁の戦い

本文

益州牧劉璋始受徵役,遣兵給軍。十二月,孫權為備攻合肥。公自江陵征備,至巴丘,遣張憙救合肥。權聞憙至,乃走。公至赤壁,與備戰,不利。於是大疫,吏士多死者,乃引軍還。備遂有荊州、江南諸郡。(註90)(註91)

(えき)(しゅう)(ぼく)(州の長官)の(りゅう)(しょう)は、初めて朝廷の命令に応じて兵を取り立てて、兵を送って軍に協力したよ。
十二月、(そん)(けん)(りゅう)()のために(がっ)()を攻めたよ。(そう)(そう)(こう)(りょう)から兵を出して(りゅう)()を討とうとして、()(きゅう)に着くと、(ちょう)()を送って(がっ)()を助けさせたよ。(そん)(けん)(ちょう)()が着いたと聞くと、退いたよ。
(そう)(そう)(せき)(へき)に着いて、(りゅう)()と戦ったけど、うまくいかなかったんだ。そして、大きな疫病がはやって、たくさんの役人や兵が命を落としたんだ。(そう)(そう)は軍を引き上げて帰ったよ。こうして(りゅう)()は、(けい)州や(こう)(なん)のたくさんの郡を手に入れたよ。

(そう)(そう)さんの負け戦だからかな、ほかの戦いの記述と比べるとあっさりだね。

(註90)

山陽公載記曰:公船艦為備所燒,引軍從華容道步歸,遇泥濘,道不通,天又大風,悉使羸兵負草填之,騎乃得過。羸兵為人馬所蹈藉,陷泥中,死者甚衆。軍旣得出,公大喜,諸將問之,公曰:「劉備,吾儔也。但得計少晚;向使早放火,吾徒無類矣。」備尋亦放火而無所及。

(さん)(よう)(こう)(さい)()』によると、(そう)(そう)の船は、(りゅう)()に焼かれちゃった。だから、(そう)(そう)は軍を率いて()(よう)(どう)から歩いて帰ることになったんだ。でも道はどろどろになっていて通れなくて、さらに強い風も吹き荒れていたんだ。そこで(そう)(そう)は、弱った兵たちに命令して草を運ばせて道を埋め立てて、その上を馬が通れるようにしたよ。でも残念ながら、その兵たちは人や馬に踏みつけられて、泥の中に沈んで、たくさんの人が亡くなったんだ。
ようやく軍が抜け出すと、(そう)(そう)はとても喜んだよ。将たちが理由を尋ねると、(そう)(そう)はこう言ったよ。
(りゅう)()は私と同じくらいの人だよ。ただ、計略がちょっと遅かっただけだね。もしもっと早く火を放っていたら、私たちは一人も助からなかっただろうね」
その後、(りゅう)()は火を放ったけど、追いつけなかったよ。

(註91)

孫盛異同評曰:案吳志,劉備先破公軍,然後權攻合肥,而此記云權先攻合肥,後有赤壁之事。二者不同,吳志為是。

(そん)(せい)の『()(どう)(ひょう)』によると、「()()()(しょ))」を調べると、(りゅう)()が先に(そう)(そう)の軍を破って、その後に(そん)(けん)(がっ)()を攻めたとあるよ。でも、この「武帝紀」には、(そん)(けん)(がっ)()を先に攻めて、その後に(せき)(へき)の戦いがあったと書かれているんだ。この2つは食い違っていて、「()()」が正しいとされているよ。

合肥へ進む

本文

十四年春三月,軍至譙,作輕舟,治水軍。秋七月,自渦入淮,出肥水,軍合肥。辛未,令曰:「自頃已來,軍數征行,或遇疫氣,吏士死亡不歸,家室怨曠,百姓流離,而仁者豈樂之哉?不得已也。其令死者家無基業不能自存者,縣官勿絕廩,長吏存卹撫循,以稱吾意。」置揚州郡縣長吏,開芍陂屯田。十二月,軍還譙。

(けん)(あん)十四年(209年)、春の三月、(そう)(そう)の軍は(しょう)に着いて、軽い船を作って、水軍を整えたよ。秋の七月、()(すい)から(わい)(すい)に入って、さらに()(すい)へ出て、軍は(がっ)()に集まったんだ。辛未の日、(そう)(そう)は命令してこう言ったよ。
「このごろは、何度も軍を動かして戦ってきたけど、その途中で疫病にあうこともあって、たくさんの役人や兵が亡くなって故郷に帰れないことがあったんだ。だから彼らの家族は嘆き悲しんで、民は住む場所を失ってさまよっているんだ。仁のある人がどうしてこれを喜べるの? でも、これは仕方ないことだったんだ。
そこで、戦いで命を落とした人の家で、生計の基盤がなくて自力で暮らせない者については、県の役人は食料を絶やさないように与えて、(ちょう)()(行政官)は彼らをよく世話をして、なぐさめ助けて、私の気持ちにかなうようにしてね」
(よう)州の郡や県に(ちょう)()を置いて、(しゃく)()で農地を開いて屯田を始めたよ。十二月、軍は(しょう)に帰ったよ。

才能ある人集まれ!

本文

十五年春,下令曰:「自古受命及中興之君,曷甞不得賢人君子與之共治天下者乎!及其得賢也,曾不出閭巷,豈幸相遇哉?上之人不求之耳。今天下尚未定,此特求賢之急時也。『孟公綽為趙、魏老則優,不可以為滕、薛大夫』。若必廉士而後可用,則齊桓其何以霸世!今天下得無有被褐懷玉而釣於渭濵者乎?又得無盜嫂受金而未遇無知者乎?二三子其佐我明揚仄陋,唯才是舉,吾得而用之。」冬,作銅爵臺。(註92)

(けん)(あん)十五年(210年)年、春、(そう)(そう)は命令してこう言ったよ。
「昔から、天命を受けて国を治めた君主や、国を立て直した君主で、すぐれた人たち一緒に天下を治めなかった者がいたの? そして、そのような立派な人は、もともと町や村の中にいるもので、どうしてたまたま出会えるの? 上に立つ者が求めようとしなかっただけなんだ。
今はまだ天下が定まっていなくて、急いで立派な人を探す時だよね。(『(ろん)()』には)『(もう)(こう)(しゃく)は、(ちょう)()みたいな大きな国の長老には向いているけど、(とう)(せつ)のような小さな国の(たい)()には向いていない』とあるよ。もし清らかな人でなければ使わないとするなら、(せい)(かん)(こう)はどうやって覇者になったの? 今の天下にも粗末な服を着ていながら宝を持っている人(才能や学を持っているのに身分が低い人たち。『(ろう)()』から)、()(すい)のほとりで釣りをしている人((たい)(こう)(ぼう))、兄の妻を盗んでわいろを受け取ったけど()()()に会っていない人((ちん)(ぺい))がいるかもしれないよ。みんなは私を助けて、そうした身分の低い者の中からも隠れた広く人を見つけ出してほしいんだ。ただ才能によって人を推挙してね。私はそれを使うつもりだよ」
冬、(どう)(じゃく)(だい)を建てたよ。

(もう)(こう)(しゃく)は、()の国の大夫だよ。『孟公綽為趙、魏老則優,不可以為滕、薛大夫』は、『(ろん)()』「(けん)(もん)」から。
(せい)(かん)(こう)は、清廉とは言えない(かん)(ちゅう)を任命して覇者になったよ。
(たい)(こう)(ぼう)は、(しゅう)(ぶん)(おう)に仕えた人だよ。(りょ)(しょう)だよ。
(ちん)(ぺい)は、(りゅう)(ほう)に仕えた人だよ。素行が悪いうわさがあったけど、才能がある人だよ。()()()に推薦されて(りゅう)(ほう)に仕えるようになったよ。『()()』「(ちん)(じょう)(しょう)(せい)()」を見てね。
()()()は、(りゅう)(ほう)に仕えた人だよ。(ちん)(ぺい)の才能を見抜いて、(りゅう)(ほう)に推薦した人だよ。
銅爵台は、宮殿だよ。今でも跡地が残っているよ。

(註92)

魏武故事載公十二月己亥令曰:「孤始舉孝廉,年少,自以本非巖穴知名之士,恐為海內人之所見凡愚,欲為一郡守,好作政教,以建立名譽,使世士明知之;故在濟南,始除殘去穢,平心選舉,違迕諸常侍。以為彊豪所忿,恐致家禍,故以病還。

()()()()』によると、十二月、己亥の日、(そう)(そう)は命令してこう言ったよ。
「私が孝廉に選ばれたばかりのとき(20歳)、若かったし、もともと山の洞窟にこもって名を知られたような人ではないから、世の人たちから平凡で愚かな者だと思われるのではないかと心配していたんだ。そこで、1つの郡の(たい)(しゅ)となって、よい政治や教育に力を注いで、名声を立てて、世の人たちに自分をはっきりと知られるようにしたいと思ったんだ。だから、(せい)(なん)にいたとき、まずは悪いことを取り除いて、不正をなくして、公平な心で人を選んで、宦官の(じょう)()たちにも逆らったんだよね。それで、有力者たちに恨まれて、家族災いが及ぶのではないかと恐れて、病気を理由に官職を辞めて、故郷へ帰ったの。

(註92)

去官之後,年紀尚少,顧視同歲中,年有五十,未名為老,內自圖之,從此却去二十年,待天下清,乃與同歲中始舉者等耳。故以四時歸鄉里,於譙東五十里築精舍,欲秋夏讀書,冬春射獵,求底下之地,欲以泥水自蔽,絕賔客往來之望,然不能得如意。後徵為都尉,遷典軍校尉,意遂更欲為國家討賊立功,欲望封侯作征西將軍,然後題墓道言『漢故征西將軍曹侯之墓』,此其志也。

官職を辞めた後、まだ若かったし、同じ年ごろの人達を見ても、50歳くらいでも、まだ老いたと言えないと考えていたんだ。自分の中では『これから20年くらいは静かに過ごして、天下が落ち着くのを待とう。同じ年に推挙された人たちと同じくらいになれるだろうね』と考えていたよ。だから、四季には故郷へ帰って、(しょう)の東に50里のところに小さな家を建てて、夏と秋は読書をして、冬と春は狩りを楽しむつもりだったの。人目に着かない低い土地を選んで、泥や水にまぎれて目立たないようにして、客が訪ねてこないようにしたかったよ。だけど、望みどおりにはならなかったんだ。
そして、ふたたび朝廷に呼ばれて(尉とい)になって、さらに(てん)(ぐん)(こう)()に昇進したよ。すると気持ちも変わって、『国のために敵を討って、功績をあげたい』と強く思うようになったの。そして将来は侯に封ぜられて、(せい)西(せい)(しょう)(ぐん)となって、自分の墓の道に『(かん)の昔の(せい)西(せい)(しょう)(ぐん)(そう)(こう)の墓』と刻んでほしいな。これが私の志だったんだ。

(註92)

而遭值董卓之難,興舉義兵。是時合兵能多得耳,然常自損,不欲多之;所以然者,多兵意盛,與彊敵爭,儻更為禍始。故汴水之戰數千,後還到揚州更募,亦復不過三千人,此其本志有限也。後領兖州,破降黃巾三十萬衆。

でも、(とう)(たく)の乱に遭って、義のための兵をあげたよ。このとき兵を集めればいくらでもたくさん集められたけど、あえて自分で数を抑えて、たくさんにしすぎないようにしていたよ。どうしてかというと、たくさんの兵が集まると気持ちが大きくなって、強い敵と争って、さらに災いが起こったらどうしようと思ったからなの。だから、(べん)(すい)の戦いでは数千人で戦って、その後に(よう)州に戻ってさらに兵を集めたけど、兵は3,000人を超えなかったよ。これはもともと兵の数を限ろうという自分の考えがあったからだよ。その後、(えん)州を治めるようになって、(こう)(きん)の軍30万を打ち破って降伏させたよ。

(註92)

又袁術僭號於九江,下皆稱臣,名門曰建號門,衣被皆為天子之制,兩婦預爭為皇后。志計已定,人有勸術使遂即帝位,露布天下,荅言『曹公尚在,未可也』。後孤討禽其四將,獲其人衆,遂使術窮亡解沮,發病而死。

さらに、(えん)(じゅつ)(きゅう)(こう)で身分を越えて自分で皇帝と名乗って、配下の者たちみんなが臣下として仕えたよ。門には『(けん)(ごう)(もん)』と名づけて、服や寝具もすべて天子のものと同じ決まりに従って、2人の妻がどちらが皇后になるかを争ったんだ。すでにその計画は決まっていて、人々の中には『すぐに皇帝に即位して、そのことを天下に知らせるべき』と勧メル人もいたんだって。でも(えん)(じゅつ)は『(そう)(そう)がまだ生きているから、今はできない』と答えたよ。そして私は、(えん)(じゅつ)の4人の将を討ち取って捕らえて、その兵や民も手に入れたよ。こうして(えん)(じゅつ)は追い詰められて、力を失って衰えて、とうとう病気にかかって亡くなったんだ。

(註92)

及至袁紹據河北,兵勢彊盛,孤自度勢,實不敵之,但計投死為國,以義滅身,足垂於後。幸而破紹,梟其二子。又劉表自以為宗室,包藏姧心,乍前乍却,以觀世事,據有當州,孤復定之,遂平天下。身為宰相,人臣之貴已極,意望已過矣。

(えん)(しょう)()(ほく)をおさえると、兵たちは勢いもとても強くなったんだ。私は自分の力を考えてみて、彼にはとても敵わないと思っていたよ。でも、私は国のために命を投げ出して、義のために自分の身を滅ぼすことになっても、後の世に名を残せればよいと考えていたよ。でも幸いにも(えん)(しょう)を打ち破って、その2人の子((えん)(しょう)(えん)())を討ち取ったよ。
それに(りゅう)(ひょう)は、自分が皇族だから、こっそりと野心を抱いて、進んだり退いたりして世の様子を見て、(けい)州を支配していたんだ。私はこれも平定して、こうして天下を平定したよ。私は(さい)(しょう)になって、臣下としての地位はこれ以上ないくらい高くなって、望みはすでに十分にかなえられたの。

(註92)

今孤言此,若為自大,欲人言盡,故無諱耳。設使國家無有孤,不知當幾人稱帝,幾人稱王。或者人見孤彊盛,又性不信天命之事,恐私心相評,言有不遜之志,妄相忖度,每用耿耿。

今、私がこのようなことを言うのは、自分をえらく見せようとしているのではないよ。ただ、言いたいことをすべて言いたいから隠さないで話しているだけなんだ。もし国に私がいなかったら、どれだけの人が皇帝を名乗ったり、王を名乗っていたのかわからないよ。ある人は、私の勢いが強いのを見て、しかも私が天命をあまり信じない性格だから、こっそりと心の中であれこれ考えて、『身のほどをわきまえない志があるのではないかな』と勝手に推しはかっているのではないかな。私はいつもそのことを気にかけて、心に引っかかっているの。

(註92)

齊桓、晉文所以垂稱至今日者,以其兵勢廣大,猶能奉事周室也。論語云『三分天下有其二,以服事殷,周之德可謂至德矣』,夫能以大事小也。昔樂毅走趙,趙王欲與之圖燕,樂毅伏而垂泣,對曰:『臣事昭王,猶事大王;臣若獲戾,放在他國,沒世然後已,不忍謀趙之徒隷,況燕後嗣乎!』胡亥之殺蒙恬也,恬曰:『自吾先人及至子孫,積信於秦三世矣;今臣將兵三十餘萬,其勢足以背叛,然自知必死而守義者,不敢辱先人之教以忘先王也。』孤每讀此二人書,未曾不愴然流涕也。

(せい)(かん)(こう)(しん)(ぶん)(こう)が今日までたたえられているのは、兵がとても強かったのに、(しゅう)の王室に仕えつづけたからだよ。『(ろん)()』には『天下を3つに分けてその2つを持っていたけど、(いん)に仕えていたから、(しゅう)の徳は本当に最高の徳だ』とあるよ。つまり、大きな力を持ちながら、小さなものに仕えることができるんだね。
昔、(がく)()(えん)から(ちょう)に逃げると、(ちょう)(おう)は彼と一緒に(えん)を攻めようとしたよ。でも、(がく)()は地に伏して涙を流して、こう言ったよ。
『私は(しょう)(おう)に仕えた身で、それは大王に仕えるのと同じことだよ。もし私が罪を犯してほかの国に追放されても、一生を終えるまでそのままで、(ちょう)の臣下となって働くことなんてできないし、(えん)の後継者と戦うなんて、なおさらできないよ!』
それに、()(がい)(もう)(てん)を殺そうとしたとき、(もう)(てん)はこう言ったよ。
『私の先祖から子孫まで、3代にわたって(しん)に信頼を積み重ねてきたよ。今、私は30万人以上の兵を率いているから、その気になれば反逆もできるよ。でも、自分が必ず死ぬとわかっていても義を守るのは、先祖の教えを汚さないで、昔の天子の恩を忘れないためだよ』
私はこの二人の言葉を読むと、いつも心を打たれて、涙が流れちゃうの。

(註92)

孤祖父以至孤身,皆當親重之任,可謂見信者矣,以及子桓兄弟,過於三世矣。孤非徒對諸君說此,也常以語妻妾,皆令深知此意。孤謂之言:『顧我萬年之後,汝曹皆當出嫁,欲令傳道我心,使他人皆知之。』孤此言皆肝鬲之要也。

私の祖父((そう)(とう))から私自身まで、みんな天子の側近や国の重要な任務を任されてきたよ。これは、すごく信頼されてきたからだよね。さらに()(かん)(そう)())やその兄弟たちも含めると、3代を超えるね。私はこの話を、あなたたちだけに語っているのではなくて、いつも妻や側室にも話して、この考えをよくわからせているんだ。私が彼女たちにこう言っているよ。
『私が亡くなった後、あなたたちはそれぞれふたたび結婚するだろうけど、そのときには私の考えを人に伝えて、みんながこれを知るようにしてほしいな』
これらの言葉は、すべて私の心の奥底から出た大切な思いだよ。

(註92)

所以勤勤懇懇敘心腹者,見周公有金縢之書以自明,恐人不信之故。然欲孤便爾委捐所典兵衆以還執事,歸就武平侯國,實不可也。何者?誠恐己離兵為人所禍也。旣為子孫計,又己敗則國家傾危,是以不得慕虛名而處實禍,此所不得為也。前朝恩封三子為侯,固辭不受,今更欲受之,非欲復以為榮,欲以為外援,為萬安計。

私がこうして心の内を丁寧に話しているのは、(しゅう)(こう)(きん)(とう )の書を残して自分を明らかにしたみたいに、人々が信じてくれないことを恐れているからだよ。でも、だからといって、私が今すぐに率いている兵をすべて手放して役目を返して、()(へい)(こう)(こく)に帰ろうなんて、実際はできないよ。どうしてかというと、本当に自分が軍を離れると、ほかの人に襲われるかもしれないと心配しているからだよ。それに、子孫のために考えて、もし自分が敗れたら、国も傾いて危くなっちゃう。だから、ふさわしくない名声を求めて、実際の大きな災いを招くわけにはいかないんだ。これはどうしてもできないよ。
前に、朝廷が私の3人の子を侯に封じようとしたけど、私は固く辞退して受けなかったんだ。でも、今になって受けようと考えているよ。これは栄誉のためではなくて外からの助けとして万全を期すためだよ。

(註92)

孤聞介推之避晉封。申胥之逃楚賞,未甞不捨書而歎,有以自省也。奉國威靈,仗鉞征伐,推弱以克彊,處小而禽大,意之所圖,動無違事,心之所慮,何向不濟,遂蕩平天下,不辱主命,可謂天助漢室,非人力也。

私は、(かい)()(すい)(しん)からの爵位や領地を避けたことや、(しん)(しょ)()からの賞を逃れたことを聞くと、いつも書物を読む手を止めてため息をついて、自分を振り返らないではいられないよ。私は国の意向を受けて(皇帝に代わって)、鉞を持って戦いに出て、弱い立場から強い敵に勝って、小さな力で大きな敵を打ち破ってきたよ。私の思い描いたことはほとんど成功して、心に考えたことも、うまくいかなかったことはほとんどないよ。こうして天下を平定して、主君の命令にそむかずにすんだよ。これはまさに天が(かん)の王朝を助けたんだ。人の力だけでは成し遂げられなかったよね。

(註92)

然封兼四縣,食戶三萬,何德堪之!江湖未靜,不可讓位;至於邑土,可得而辭。今上還陽夏、柘、苦三縣戶二萬,但食武平萬戶,且以分損謗議,少減孤之責也。」

でも、4つの県を封ぜられて、3万戸もの領地を与えられるなんて、いったいどんな徳があったら、それにふさわしいと言えるの? まだ世の中は落ち着いていないから、今の地位を辞めることはできないけど、領地は辞退できるよ。そこで、(よう)()(しゃ]、{苦こ)の3つの県と2万戸を返して、()(へい)の1万戸だけを受け取るよ。こうして人々の悪口や批判を少しでも減らして、私の責任を軽くしたいんだ」

「赤壁の敗北の責任は取るぜ」の意味かな?

続き → 正史『三国志』「魏書武帝紀」をゆるゆる翻訳するよ! その5

Share