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正史『三国志』「魏書文帝紀」をゆるゆる翻訳するよ! その4

正史『三国志』「魏書文帝紀」をゆるゆる翻訳するよ!

はじめに

ChatGPTの力を借りて、正史『三国志』の「魏書文帝紀」をゆるゆる翻訳するよ!
(そう)() について書かれているよ!

本文中で(そう)()さんは「文帝」「王(魏王)」と書かれているけど、訳では「(そう)()」と書くよ。

『三国志』を気軽に楽しく読んでみよう!

長いから記事を分けたよ。この記事は、江陵の戦いから最後までだよ。

出典

三國志 : 魏書二 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。

注意事項

  • ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
  • ChatGPTに意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
  • 第三者による学術的な検証はしていないよ。

翻訳の詳細は「ChatGPTと協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。

真面目な日本語訳は書籍が出版されているから、きっちりしっかり知りたい人はそちらを読んでみてね!

Amazon.co.jp: 正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫) : 陳 寿, 裴 松之: 本
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江陵から退く

本文

四年春正月,詔曰:「喪亂以來,兵革未戢,天下之人,互相殘殺。今海內初定,敢有私復讎者皆族之。」築南巡臺于宛。三月丙申,行自宛還洛陽宮。癸卯,月犯心中央大星。(註44)丁未,大司馬曹仁薨。是月大疫。

(こう)(しょ)四年(223年)、春の正月、詔を下してこう言ったよ。
「戦乱が続いてから今まで、戦いはまだ完全にはおさまっていなくて、人々はお互いに傷つけ合ってきたんだ。今、天下はようやく落ち着きはじめたよ。これからは、私的な復讐をする者がいたら、その一族みんな罰するよ。」
それに、(えん)(なん)(じゅん)(だい)を築いたよ。
三月、丙申の日、(えん)から出発して、(らく)(よう)(きゅう)に帰ったよ。癸卯の日、月が心宿(さそり座)の中央にある大きな星に近づいたんだ。
丁未の日、(だい)()()(そう)(じん)が亡くなったんだ。この月、大きな疫病も流行したよ。

(註44)

魏書載丙午詔曰:「孫權殘害民物,朕以寇不可長,故分命猛將三道並征。今征東諸軍與權黨呂範等水戰,則斬首四萬,獲船萬艘。大司馬據守濡須,其所禽獲亦以萬數。中軍、征南攻圍江陵,左將軍張郃等舳艫直渡,擊其南渚,賊赴水溺死者數千人,又為地道攻城,城中外雀鼠不得出入,此几上肉耳!

()(しょ)』によると、丙午の日、(そう)()は詔を下してこう言ったよ。
(そん)(けん)は人々や財産をひどく傷つけているんだ。私は、敵をこのまま長く放っておくわけにはいかないと考えて、強い将たちに命令して、3つの道から同時に攻めさせたよ。今、((そう)(きゅう)が指揮する)征東の軍は、(そん)(けん)の仲間の(りょ)(はん)たちと水上で戦って、4万人の敵を討ち取って、船を1万艘も手に入れたよ。(だい)()()(そう)(じん))は(じゅ)(しゅ)を守って、そこでも捕らえた敵は1万にもなったよ。((そう)(しん)が指揮する)(ちゅう)(ぐん)と(()(こう)(しょう)が指揮する)征南の軍は(こう)(りょう)を攻めて囲んで、()(しょう)(ぐん)(ちょう)(こう)たちは船で長江をまっすぐ渡って、南の岸を攻めたよ。敵は水に飛び込んで数千人が溺れて命を落としたよ。さらに、地面の下に道を掘って城を攻めて、城の中と外は(すずめ)(ねずみ)ですら出入りできなくなったんだ。これはまさに食卓の上の肉といえるね!

(註44)

而賊中癘氣疾病,夾江塗地,恐相染污。昔周武伐殷,旋師孟津,漢祖征隗嚻,還軍高平,皆知天時而度賊情也。且成湯解三面之網,天下歸仁。今開江陵之圍,以緩成死之禽。且休力役,罷省繇戍,畜養士民,咸使安息。」

でも敵の中では疫病が広がって、病気の者が長江をはさんであちこちに倒れていたんだ。このままでは、こちらにも病気がうつるおそれがあるんだ。昔、(しゅう)()(おう)(いん)を討ったときは、(もう)(しん)で軍を引き返したよ。(かん)の祖((りゅう)(しゅう))は(かい)(ごう)を攻めたときも、(こう)(へい)で軍を引き返したよ。これはみんな、天の時を知って、敵の様子をよく見て判断したからだよ。さらに昔、(いん)(せい)(とう)は三方に張った網を解いて一方だけ残して、人々を助けたから、天下の人々はその仁に心を寄せたよ。
今、(こう)(りょう)を囲んでいる軍を解いて、死にかけている敵をあえて助けて、余裕を持たせよう。そして、兵を休ませて、見張りや守りの仕事も減らして、兵や民をしっかり養って、みんなが安心して休めるようにしてね」

病気持って帰ったのかな。

本文

夏五月,有鵜鶘鳥集靈芝池,詔曰:「此詩人所謂污澤也。曹詩『刺恭公遠君子而近小人』,今豈有賢智之士處于下位乎?否則斯鳥何為而至?其博舉天下儁德茂才、獨行君子,以荅曹人之刺。」(註45)

夏の五月、(てい)()(ぺりかん)が(れい)()()に集まったんだって。(そう)()は詔を下してこう言ったよ。
「これは『()(きょう)』でいう汚れた沢をすくうことだね。『()(きょう)』の(そう)(ふう)の詩『(こう)(じん)』には『君子を遠ざけて、つまらない人を近づける(きょう)(こう)をいさめる』とあるけど、今、すぐれた知恵のある人が下の地位に置かれているのではないかな? そうでなければ、どうしてこの鳥がやってくるの? 天下からすぐれた徳を持つ人や才能ある人、自分の信念を守る君子を広く選んで、(そう)(ふう)の詩のいましめにこたえよう」

(註45)

魏書曰:辛酉,有司奏造二廟,立太皇帝廟,大長秋特進侯與高祖合祭,親盡以次毀;特立武皇帝廟,四時享祀,為魏太祖,萬載不毀也。

()(しょ)』によると、辛酉の日、役人たちが2つの廟を造ろうと上奏したよ。1つ目は、(たい)(こう)(てい)(そう)(すう))の廟で、(だい)(ちょう)(しゅう)(とく)(しん)(こう)(そう)(とう))と(こう)()(そう)(せつ))を一緒に祭るよ。そして近い親族が代々いなくなるごとに、順番に取りこわしていくよ。もう1つは、()(こう)(てい)(そう)(そう))の廟を特別に建てて、四季ごとに祭りをして、()(たい)()として、長い年月にわたって取りこわさないよ。

曹彰、賈詡の死

本文

六月甲戌,任城王彰薨于京都。甲申,太尉賈詡薨。太白晝見。是月大雨,伊、洛溢流,殺人民,壞廬宅。(註46)

六月、甲戌の日、(じん)(じょう)(おう)(そう)(しょう)が都((らく)(よう))で亡くなったんだ。甲申の日、(たい)()()()が亡くなったんだ。(たい)(はく)(金星)が昼に見えたんだって。この月、大雨が降って、()(すい)(らく)(すい)があふれて、人々が亡くなって、家も壊れちゃった。

(註46)

魏書曰:七月乙未,大軍當出,使太常以特牛一告祠于郊。

()(しょ)』によると、七月の乙未の日、大軍が出発しようとしていたから、(たい)(じょう)に命令して、特別に選ばれた牛を1頭捧げて、郊外でまつったよ。

(註46)

臣松之按:魏郊祀奏中,尚書盧毓議祀厲殃事云:「具犧牲祭器,如前後師出告郊之禮。」如此,則魏氏出師,皆告郊也。

(はい)(しょう)()が調べたところ、()の郊外の祭りについての上奏で、(しょう)(しょ)()(いく)が「災いをしずめるための祭りについては、いけにえや祭器を用意して、これまで軍を出すときに郊外で報告してきた礼に従うべき」と言っているよ。このことから考えると、()は軍を出すといつも、必ず郊外で神に報告する儀式をしていたんだね。

本文

秋八月丁卯,以廷尉鍾繇為太尉。(註47)辛未,校獵于熒陽,遂東巡。論征孫權功,諸將已下進爵增戶各有差。九月甲辰,行幸許昌宮。(註48)

秋の八月、丁卯の日、(てい)()(しょう)(よう)(たい)()に任命したよ。
辛未の日、(けい)(よう)で狩りをして、そのまま東を巡ったよ。(そん)(けん)との戦いの功績について話し合って、将たち以下にそれぞれの功績に応じて爵位を進めたり、領地の戸数を増やしたりしたよ。九月、甲辰の日、(きょ)(しょう)(きゅう)に行ったよ。

(註47)

魏書曰:有司奏改漢氏宗廟安世樂曰正世樂,嘉至樂曰迎靈樂,武德樂曰武頌樂,昭容樂曰昭業樂,雲翹舞曰鳳翔舞,育命舞曰靈應舞,武德舞曰武頌舞,文昭舞曰大昭舞,五行舞曰大武舞。

()(しょ)』によると、役人たちが(かん)の王朝の宗廟(先祖の廟)の音楽の名前を変改めると上奏したよ。(あん)(せい)(がく)(せい)(せい)(がく)()()(がく)(げい)(れい)(がく)()(とく)(がく)()(しょう)(がく)(しょう)(よう)(がく)(しょう)(ぎょう)(がく)(うん)(ぎょう)()(ほう)(しょう)()(いく)(めい)()(れい)(おう)()()(とく)()()(しょう)()(ぶん)(しょう)()(たい)(しょう)()()(ぎょう)()(たい)()()に、それぞれ改めたよ。

(註48)

魏書曰:十二月丙寅,賜山陽公夫人湯沐邑,公女曼為長樂郡公主,食邑各五百戶。是冬,甘露降芳林園。

()(しょ)』によると、十二月、丙寅の日、(さん)(よう)(こう)(けん)(てい))の夫人((そう)(そう)の娘)に、(とう)(もく)(ゆう)(生活のための収入が得られる土地)を与えたよ。その娘の(りゅう)(まん)(ちょう)(らく)(ぐん)(こう)(しゅ)にして、それぞれ500戸の領地を与えたよ。この冬、(ほう)(りん)(えん)(かん)()に降ったんだって。

(註48)

臣松之按:芳林園即今華林園,齊王芳即位,改為華林。

(はい)(しょう)()が調べたところ、(ほう)(りん)(えん)は、今でいう()(りん)(えん)だよ。(せい)(おう)(そう)(ほう)が皇帝に即位すると、()(りん)(えん)に改められたよ。

(そう)(ほう)の名を避けるために変えたんだね。

広陵に行く

本文

五年春正月,初令謀反大逆乃得相告,其餘皆勿聽治;敢妄相告,以其罪罪之。三月,行自許昌還洛陽宮。夏四月,立太學,制五經課試之法,置春秋穀梁博士。五月,有司以公卿朝朔望日,因奏疑事,聽斷大政,論辨得失。

(こう)(しょ)五年(224年)、春の正月、(そう)()は命令を出してこう言ったよ。
「反乱や大きな裏切りのような重い罪の場合だけ、人が人を告発することを認めるよ。それ以外のことは、告発しても取り上げてはならないよ。もしむやみに人を訴えた者がいたら、その人自身を同じ罪で罰するよ」
三月、(そう)()(きょ)(しょう)から出発して、(らく)(よう)(きゅう)へ帰ったよ。
夏の四月、太学を立てて、五経の試験の方法を定めて、『(しゅん)(じゅう)(こく)(りょう)(でん)』を教える(はく)()を置いたよ。
五月、役人たちは「(こう)(けい)は毎月の(さく)(初めの日)と(ぼう)(十五日)に朝廷に出て、疑問のあることを言って、大事な政治について判断を仰いで、よい点や悪い点を話し合うべきだよ」と上奏して、そのとおりにされるようになったよ。

本文

秋七月,行東巡,幸許昌宮。八月,為水軍,親御龍舟,循蔡、頴,浮淮,幸壽春。揚州界將吏士民,犯五歲刑已下,皆原除之。九月,遂至廣陵,赦青、徐二州,改易諸將守。冬十月乙卯,太白晝見。行還許昌宮。(註49)

秋の七月、(そう)()は東を巡るために出発して、(きょ)(しょう)(きゅう)に行ったよ。
八月、水軍を整えて、(そう)()は自ら龍舟に乗って、(さい)()(えい)(すい)に沿って進んで、淮河を下って寿(じゅ)(しゅん)に行ったよ。(よう)州の境界にいる将や役人、兵や民のうち、5年以下の刑にあたる罪を犯した者は、すべて許したよ。
九月、そのまま(こう)(りょう)に着いて、(せい)州と(じょ)州にも許しを出して、各地の将や守りの役人の配置を改めたよ。
冬の十月、(たい)(はく)(金星)が昼に見えたんだ。(そう)()(きょ)(しょう)(きゅう)に帰ったよ。

(註49)

魏書載癸酉詔曰:「近之不綏,何遠之懷?今事多而民少,上下相弊以文法,百姓無所措其手足。昔泰山之哭者,以為苛政甚於猛虎,吾備儒者之風,服聖人之遺教,豈可以目翫其辭,行違其誡者哉?廣議輕刑,以惠百姓。」

()(しょ)』によると、癸酉の日、(そう)()は詔を下してこう言ったよ。
「近くの人たちでさえ安らかでないのに、どうして遠くの人たちが心を寄せるの? 今は仕事が多いのに人が少なくて、上の者も下の者も法や細かな規則に縛られて苦しんでいるんだ。民はどうしてよいかわからなくて、身動きがとれないんだ。
昔、(たい)(ざん)で声をあげて泣いていた人((こう)())は、『厳しすぎる政治は猛虎よりも怖い』と言ったね。私は儒者の教えを学んで、聖人たちの教えを受け継いでいるのに、その言葉だけを見て楽しんで、実際の行いがその教えに反するようではいけないよね。広く意見を集めて、刑罰を軽くして、民にやさしい政治をしてね」

本文

十一月庚寅,以兾州饑,遣使者開倉廩振之。戊申晦,日有食之。

十一月、庚寅の日、()州で食べ物が足りなかったから、使者を送って倉を開いて、人々を助けたよ。
戊申の(かい)(月の終わりの日)、日食が起こったんだ。

本文

十二月,詔曰:「先王制禮,所以昭孝事祖,大則郊社,其次宗廟,三辰五行,名山大川,非此族也,不在祀典。叔世衰亂,崇信巫史,至乃宮殿之內,戶牖之間,無不沃酹,甚矣其惑也。自今,其敢設非祀之祭,巫祝之言,皆以執左道論,著于令典。」是歲穿天淵池。

十二月、(そう)()は詔を下してこう言ったよ。
「昔の天子が礼を定めたのは、孝を明らかにして先祖を祭るためだよ。最も大切なのは天地を祀る郊外での祭りで、次は宗廟(先祖の廟)での祭りだよ。三辰(太陽・月・星)と五行、名のある山や大きな川も祭るべきだよ。でも、これらに当てはまらないものは、正式な祭りの決まりには入らないんだ。
後の時代になって世の中が乱れると、人々は()や占い師を強く信じるようになって、宮殿の中や戸や窓のあいだにまで、どこでも酒をそそいで祭るようになったんだ。本当に迷いがひどいね。これからは、正式な祭りでないものをしたり、()(しゅく)(祈とうする人)の言うことに従ったら、すべて左道(正しくない道)として罪に問うことにして、この決まりを令典に記してね」
この年、(てん)(えん)()を掘ったよ。

ふたたび呉を攻める

本文

六年春二月,遣使者循行許昌以東盡沛郡,問民所疾苦,貧者振貸之。(註50)

(こう)(しょ)六年(225年)、春の二月、使者を送って、(きょ)(しょう)より東の地域から(はい)郡までを見て回らせて、民がどんな苦しみをかかえているかを調べさせたよ。そして、貧しい人には金や食べ物を与えて助けたよ。

(註50)

魏略載詔曰:「昔軒轅建四面之號,周武稱『予有亂臣十人』,斯蓋先聖所以體國君民,亮成天工,多賢為貴也。今內有公卿以鎮京師,外設牧伯以監四方,至於元戎出征,則軍中宜有柱石之賢帥,輜重所在,又宜有鎮守之重臣,然後車駕可以周行天下,無內外之慮。

()(りゃく)』によると、(そう)()は詔を下してこう言ったよ。
「昔、(けん)(えん)(こう)(てい))は四方にそれぞれ役目を持つ人たちを置いたよ。(しゅう)()(おう)は『私には国を助ける10人のすぐれた臣下がいる』と言ったよ。昔の聖人たちが、国をよく治めて人々を守って、天のはたらきを助けるために、たくさんの賢い人を大切にしたんだね。
今、都の中には(こう)(けい)を置いて守って、外には(ぼく)(はく)(州や郡の長官)を置いて各地を見張っているよ。さらに、大きな軍が出陣するときには、軍の中に国を支える柱のようなすぐれた指揮官が必要で、物資を運ぶ場所には、それを守る重要な臣下がいなければならないんだ。こうしてこそ、皇帝は安心して天下をめぐることができて、内にも外にも心配がなくなるの。

(註50)

吾今當征賊,欲守之積年。其以尚書令潁鄉侯陳羣為鎮軍大將軍,尚書僕射西鄉侯司馬懿為撫軍大將軍。若吾臨江授諸將方略,則撫軍當留許昌,督後諸軍,錄後臺文書事;鎮軍隨車駕,當董督衆軍,錄行尚書事;皆假節鼓吹,給中軍兵騎六百人。吾欲去江數里,築宮室,往來其中,見賊可擊之形,便出奇兵擊之;若或未可,則當舒六軍以遊獵,饗賜軍士。」

私は今から敵を討つために兵を出して、長い年月をかけて守りを固めようと思うよ。そこで、(しょう)(しょ)(れい)(えい)(きょう)(こう)(ちん)(ぐん)(ちん)(ぐん)(だい)(しょう)(ぐん)(しょう)(しょ)(ぼく)()西(せい)(きょう)(こう)()()()()(ぐん)(だい)(しょう)(ぐん)に任命するよ。もし私が長江のほとりで作戦を授けるときは、()(ぐん)(だい)(しょう)(ぐん)()()())は(きょ)(しょう)にとどまって、後方の軍をまとめて、後方の政務の文書を管理してね。(ちん)(ぐん)(だい)(しょう)(ぐん)(ちん)(ぐん))は私と一緒に行動して、すべての軍をまとめて、進軍中の政務を担当してね。二人にはともに節と()(すい)(音楽隊)を与えて、さらに(ちゅう)(ぐん)の兵や騎兵600人をつけるよ。
私は長江から数里離れたところに宮殿を築いて、そこを行き来しながら、敵の隙を見つけたら奇襲で攻めるつもりだよ。もしまだ攻めるべきでないときは、全軍をゆったりと動かして狩りをして、兵たちにごちそうやほうびを与えるね」

本文

三月,行幸召陵,通討虜渠。乙巳,還許昌宮。并州刺史梁習討鮮卑軻比能,大破之。辛未,帝為舟師東征。五月戊申,幸譙。壬戌,熒惑入太微。

三月、(しょう)(りょう)に行って、(とう)(りょ)(きょ)(運河)を通じさせたよ。
乙巳の日、(きょ)(しょう)(きゅう)に帰ったよ。(へい)(しゅう)()()(州の長官)の(りょう)(しゅう)(せん)()()()(のう)を討って、大きく打ち破ったよ。
辛未の日、(そう)()は水軍を率いて東へ軍を進めたよ。五月、戊申の日、(しょう)に行ったよ。壬戌の日、(けい)(わく)(火星)が(たい)()に入ったんだって。

本文

六月,利成郡兵蔡方等以郡反,殺太守徐質。遣屯騎校尉任福、步兵校尉段昭與青州刺史討平之;其見脅略及亡命者,皆赦其罪。

六月、()(せい)郡の兵の(さい)(ほう)たちが郡で反乱を起こして、(たい)(しゅ)(郡の長官)の(じょ)(しつ)を殺したんだ。(そう)()は、(とん)()(こう)()(じん)(ふく)()(へい)(こう)()(だん)(しょう)(せい)(しゅう)()()(州の長官)に命令して反乱を討ったよ。無理やり従わされていた者や、逃げていた者については、すべて罪を許したよ。

本文

秋七月,立皇子鑒為東武陽王。八月,帝遂以舟師自譙循渦入淮,從陸道幸徐。九月,築東巡臺。冬十月,行幸廣陵故城,臨江觀兵,戎卒十餘萬,旌旗數百里。(註51)

秋の七月、皇子の(そう)(かん)(とう)()(よう)(おう)に立てたよ。
八月、(そう)()は船の軍を率いて、(しょう)から()(すい)に沿って淮河に入って、その後は陸路を進んで(じょ)州に行ったよ。
九月、(とう)(じゅん)(だい)を築いたよ。
冬の十月、(そう)()(こう)(りょう)の古い城に行って、長江のほとりで軍の演習を観たよ。兵の数は10万以上、旗は何百里にもわたって並んだよ。

(註51)

魏書載帝於馬上為詩曰:「觀兵臨江水,水流何湯湯!戈矛成山林,玄甲曜日光。猛將懷暴怒,膽氣正從橫。誰云江水廣,一葦可以航,不戰屈敵虜,戢兵稱賢良。古公宅岐邑,實始翦殷商。孟獻營虎牢,鄭人懼稽顙。充國務耕殖,先零自破亡。興農淮泗間,築室都徐方。量宜運權略,六軍咸恱康;豈如東山詩,悠悠多憂傷。」

()(しょ)』によると、(そう)()は馬の上で詩を作ってこう言ったよ。
「長江のほとりで兵を見わたすと、水は勢いよくどんどん流れているよ! 槍や矛が山や林みたいに並んで、黒い鎧が太陽の光を受けて輝いているよ。勇ましい将たちは激しい怒りを胸にもって、勇気に満ちて思いのままに戦おうとしているよ。誰が『長江は広いけど、1本の(あし)で編んだ船(小舟)で渡れる』って言ったのかな。戦わないで敵を従わせて、兵を出さないでおさめてこそ、賢い者といえるんだ。
(しゅう)()(こう)()(ゆう)(岐山)に住んで、そこから(いん)を討つもとを開いたと。()(もう)(けん)()()(ろう)に陣を構えて、(てい)の人たちは恐れて頭を地につけて降伏したよね。(ちょう)(じゅう)(こく)は農業を大切にして、(せん)(れい)は自然に滅びたよ。淮河と()(すい)のあたりで農業を興して、(じょ)州に都を築いたよ。状況に合わせてうまく作戦を使ったら、すべての軍は喜んで安心すると。(『()(きょう)』の)(とう)(ざん)の詩みたいに、どうしていつまでも悲しみや心配を抱える必要があるのかな」

本文

是歲大寒,水道冰,舟不得入江,乃引還。十一月,東武陽王鑒薨。十二月,行自譙過梁,遣使以太牢祀故漢太尉橋玄。

この年はすごく寒くて、水路は凍って、船が長江に入れなくなっちゃった。だから、軍は引き返したんだ。十一月、(とう)()(よう)(おう)(そう)(かん)が亡くなったよ。十二月、(そう)()(しょう)から出発して(りょう)を通って、使者を送って(たい)(ろう)(牛・羊・豚を使った供え物)を捧げさせて、かつての(かん)(たい)()(きょう)(げん)をまつったよ。

曹丕の死

本文

七年春正月,將幸許昌,許昌城南門無故自崩,帝心惡之,遂不入。壬子,行還洛陽宮。三月,築九華臺。夏五月丙辰,帝疾篤,召中軍大將軍曹真、鎮軍大將軍陳羣、征東大將軍曹休、撫軍大將軍司馬宣王,並受遺詔輔嗣主。遣後宮淑媛、昭儀已下歸其家。丁巳,帝崩于嘉福殿,時年四十。(註52)六月戊寅,葬首陽陵。自殯及葬,皆以終制從事。(註53)(註54)(註55)

(こう)(しょ)七年(226年)、春の正月、(そう)()(きょ)(しょう)に行こうとしたけど、許昌の城の南門が理由もないのに突然くずれちゃった。(そう)()はこれを不吉と感じて、(きょ)(しょう)に入るのをやめたよ。壬子の日、(そう)()(らく)(よう)(きゅう)に帰ったよ。三月、(きゅう)()(だい)を築いたよ。
夏の五月、(そう)()は病気が重くなって、(ちゅう)(ぐん)(だい)(しょう)(ぐん)(そう)(しん)(ちん)(ぐん)(だい)(しょう)(ぐん)(ちん)(ぐん)(せい)(とう)(だい)(しょう)(ぐん)(そう)(きゅう)()(ぐん)(だい)(しょう)(ぐん)()()()を呼んで、亡くなる前の詔を託して、後を継ぐ君主を助けるように命令したよ。後宮の(しゅく)(えん)(しょう)()以下の女性たちをそれぞれ家に帰らせたよ。丁巳の日、(そう)()()(ふく)殿(でん)で亡くなったんだ。このとき40歳だったよ。六月、戊寅の日、(そう)()(しゅ)(よう)(りょう)に葬られたよ。棺に納められてから葬るときまで、すべてあらかじめ定めていた亡くなった後の決まりに従ったよ。

(註52)

魏書曰:殯於崇華前殿。

()(しょ)』によると、(そう)()(すう)()(ぜん)殿(でん)で棺に納められたんだって。

(註53)

魏氏春秋曰:明帝將送葬,曹真、陳羣、王朗等以暑熱固諫,乃止。

()()(しゅん)(じゅう)』によると、(そう)(えい)は葬儀を見送ろうとしたけど、(そう)(しん)(ちん)(ぐん)(おう)(ろう)たちが暑さを理由に強くいさめたから、やめたんだって。

(註54)

孫盛曰:夫窀穸之事,孝子之極痛也,人倫之道,於斯莫重。故天子七月而葬,同軌畢至。夫以義感之情,猶盡臨隧之哀,況乎天性發中,敦禮者重之哉!魏氏之德,仍世不基矣。昔華元厚葬,君子以為棄君於惡,羣等之諫,棄孰甚焉!

(そん)(せい)によると、葬るということは、親を思う子にとって最も悲しいことで、人としての道の中でも、これ以上に重いものはないよ。だから、天子は7ヶ月をかけて葬って、そのあいだにすべての人々がそろって見送るんだ。義理によって動かされる心でも、墓に入るときには深い悲しみを尽くすものだよ。ましてや、もともとの親子の情から出る思いなら、礼を重んじる者はなおさらそれを大切にするはず! ()の徳は、代々続く基礎とはならなかったんだ。昔、()(げん)はとても立派な葬りをしたけど、君子は『それは君主を悪い状態に置くことだ』と考えたよ。(ちん)(ぐん)たちのいさめは、それよりもさらに君主をないがしろにするものだよ!

曹植の詩(文帝誄)

(註55)

鄄城侯植為誄曰:「惟黃初七年五月七日,大行皇帝崩,嗚呼哀哉!于時天震地駭,崩山隕霜,陽精薄景,五緯錯行,百姓呼嗟,萬國悲悼,若喪考妣,恩過墓唐,擗踊郊野,仰想穹蒼,僉曰何辜,早世殞喪,嗚呼哀哉!

(けん)(じょう)(こう)(そう)(しょく)(そう)()の弟)は(るい)(弔いの文章)としてこう言ったよ。
(こう)(しょ)七年(226年)、五月七日、(たい)(こう)(こう)(てい)(そう)())が亡くなったんだ。ああ、なんて悲しいの! そのとき、天はゆれて、地もおどろいて、山は崩れて、霜が降りたんだ。太陽の光は弱まって、五緯(木星・火星・土星・金星・水星)は乱れて動いたよ。人々は声をあげて嘆いて、すべての国が深く悲しんで、まるで父や母を失ったみたいだったんだ。その恩は(ぎょう)の墓の上を越えて、野で胸を打って地面を足で踏んで悲しんで、天を見上げて皇帝の死を嘆いたよ。みんなが『どうしてこのようなことになったの。どうしてこんなにも早く亡くなってしまったの』と嘆いているよ。ああ、なんて悲しいの!

大行皇帝は、皇帝が諡号を贈られる前に与えられる称号だよ。

(註55)

悲夫大行,忽焉光滅,永棄萬國,雲往雨絕。承問荒忽,惛懵哽咽,袖鋒抽刃,歎自僵斃,追慕三良,甘心同穴。感惟南風,惟以鬱滯,終於偕沒,指景自誓。

悲しいことに、(たい)(こう)(こう)(てい)(そう)())は突然その光を失って、永遠に天下を去って、雲が流れ去って雨がやむように、もう戻らないんだ。その知らせを聞いた私は、心が乱れてぼんやりして、胸がつまって言葉も出ないの。袖の内から剣を抜いて、ため息をついて、自分もそのまま倒れて死んでしまいたいと思うくらいだったの。昔の(さん)(りょう)(君主のために殉死した忠臣たち)を思いだして、同じ墓に入ることさえ願うくらいなんだ。(『()(きょう)』「凱風」の)(なん)(ぷう)を感じて思うと、ただ落ち込んでしまって、いっそ一緒に死のうと決意して、影に向かって誓いを立てたんだ。

三良は、()(しゃ)()(えん)(そく)(ちゅう)(こう)(かん)()だよ。(しん)(ぼく)(こう)に殉死した臣下だよ。『()(きょう)』「黄鳥」や『(しゅん)(じゅう)()()(でん)』「文公六年」を見てね。

(註55)

考諸先記,尋之哲言,生若浮寄,惟德可論,朝聞夕逝,孔志所存。皇雖一沒,天祿永延,何以述德?表之素旃。何以詠功?宣之管絃。

昔の記録や賢い人の言葉を考えると、人の一生はまるで浮かぶ木の葉のように儚いもので、残るのは徳だけなんだ。朝に真理を聞くことができたら夕方には亡くなってもいいというのが、(こう)()の志だよ。皇帝が亡くなっても、その天からの恵みは永遠に永く続くだろうね。その徳をどのように伝えればいいの? 質素な旗にその名を記そうよ。その功績をどのようにたたえればいいの? 音楽や歌によって広く伝えようよ。

朝聞夕逝は、『(ろん)()』「里仁」の「朝聞道,夕死可矣。」から。

(註55)

乃作誄曰:皓皓太素,兩儀始分,中和產物,肈有人倫,爰曁三皇,寔秉道真,降逮五帝,繼以懿純,三代製作,踵武立勳。季嗣不維,網漏于秦,崩樂滅學,儒坑禮焚,二世而殲,漢氏乃因,弗求古訓,嬴政是遵,王綱帝典,闃爾無聞。

だから、(るい)(弔いの文章)を作ったよ。
はるか昔、まだ何も分かれていない大もとの世界から、天と地が分かれて、中和の気によってあらゆる物が生まれて、人と人の道が始まったよ。そして三皇の時代になって、人々はまことの道を保ったよ。さらに五帝の時代へと続いて、すぐれた徳が受け継がれていったよ。三代(()(いん)(しゅう))は儀式や音楽などの制度を作って、先人のあとを受けて功績をあげたよ。
でも、後の世になると、その流れは守られないで、法や道は(しん)の時代にゆるんでしまったの。音楽や学問は壊されて、儒者は穴に埋められて、礼の書も焼かれたんだ。そして(しん)は2代で滅んで、(かん)の王朝がこれに続いたよ、でも、古の教えを求めないで、(えい)(せい)(しん)()(こう)(てい))のやり方に従ったから、王の道や帝の制度は、だんだんと聞かれなくなっちゃった。

(註55)

末光幽昧,道究運遷,乾坤迴歷,簡聖授賢,乃眷大行,屬以黎元。龍飛啟祚,合契上玄,五行定紀,改號革年,明明赫赫,受命于天。

やがて世の終わりには光は暗くなって、道は尽きて運命も移り変わったよ。天地は巡って、選ばれた聖人が賢い者に位を授けたよ。そして、(たい)(こう)(こう)(てい)(そう)())に心を寄せ、たくさんの人たちをゆだねたんだ。皇帝は龍が飛び立つようにして天子に即位して、天の道にかなって天下を治めたよ。五行によって時代のしくみを定めて、国の名や年号を改めて、明るくかがやく姿で、天命を受けたよ。

(註55)

仁風偃物,德以禮宣;祥惟聖質,嶷在幼妍。庻幾六典,學不過庭,潛心無罔,亢志青冥。才秀藻朗,如玉之瑩,聽察無嚮,瞻覩未形。其剛如金,其貞如瓊,如氷之絜,如砥之平。

その仁は人々をやすらかにして、その徳は礼によって広く行きわたったよ。めでたいしるしはそのすぐれた生まれつきによるもので、幼いころからすでに立派だったよ。六典(国を治める教え。治典、教典、礼典、政典、刑典、事典)をよく学んで、家の中での教えをこえるくらいだったよ。心を深く落ち着けて正しく考えて、青い天のような高い志を持っていたよ。その才能はすぐれていて、文章は美しくて、(ぎょく)みたいに輝いていたよ。物事を聞いて判断する力はすばやくて、まだ形になっていないことまでも見通せたよ。その強さは金みたいで、その正しさは(ぎょく)みたいで、氷みたいに清らかで、砥石のように平らだったよ。

(註55)

爵公無私,戮違無輕,心鏡萬機,攬照下情。思良股肱,嘉昔伊呂,搜揚側陋,舉湯代禹;拔才巖穴,取士蓬戶,唯德是縈,弗拘禰祖。宅土之表,道義是圖,弗營厥險,六合是虞。

爵位を与えるときには私心がなくて、功績に応じて賞を与えて、悪いことをした者を罰するときも、軽く見逃すことはなったよ。心は鏡みたいにあらゆる政務を見通して、下の人たちの気持ちまでよく理解していたよ。君主を支えるすぐれた臣下を求めて、昔の()(いん)(りょ)(しょう)みたいな人物を手本として、身分の低い人の中からも才能ある者を探し出したよ。()()に代わって(いん)(とう)(おう)を立てたみたいに、すぐれた人を選んだよ。険しい山の中や貧しい家からでも才能ある人を見つけ出して、ただ徳を大切にして選んで、家柄にはこだわらなかったんだ。国を治めるときは、道と正義を第一に考えて、守りの難しさばかりに頼らないで、天下すべてを安心させることを目指したよ。

(註55)

齊契共遵,下以純民,恢折規矩,克紹前人。科條品制,襃貶以因。乘殷之輅,行夏之辰。金根黃屋,翠葆龍鱗,紼冕崇麗,衡紞惟新,尊肅禮容,矚之若神。

上下の人々が同じ約束を守って、民は素直でまっすぐになったよ。古い決まりを見直して整えて、前の人たちのやり方をうまく受け継いだよ。法や制度を定めて、ほめることと責めることをきちんとしたよ。(いん)の時代の車に乗って、()の時代の暦を採り入れて、(きん)(こん)(しゃ)(天子の馬車)と黄屋(天子の乗る車の覆い)で、翠色の羽で飾られた服を身につけて、頭には美しい冠を被って、冠の紐は新しくて、その姿は礼に従って正しくておごそかで、人々が見ると、まるで神みたいに感じられたんだ。

(註55)

方牧妙舉,欽於恤民,虎將荷節,鎮彼四鄰;朱旗所勦,九壤被震,疇克不若?孰敢不臣?縣旌海表,萬里無塵。虜備凶徹,鳥殪江岷,權若涸魚,乾腊矯鱗,肅慎納貢,越裳效珍,條支絕域,侍子內賔。德儕先皇,功侔太古。

地方の(ぼく)(長官)を選ぶときも、すぐれた人をうまく選んで、人々を思いやることを大切にしたよ。勇ましい将が命令を受けて節を持って各地を守って、まわりの国々をしずめたよ。赤い旗が進むところでは、どの土地もふるえあがって、誰がこれに敵わないの? 旗は海のはてまで立てられて、はるか遠く万里も離れた地まで平和が広がって穏やかだよ。
敵の(りゅう)()は凶悪だけど打ち破られて、まるで鳥が落ちるみたいに(みん)(こう)で狩られたよ。(そん)(けん)は水のない魚のみたいに苦しんで、干された魚のように身動きがとれなくなったよ。北の(しゅく)(しん)は貢ぎ物を捧げて、南の(えつ)(しょう)はめずらしい品を差し出したよ。遠く離れた(じょう)()から、一族を人質に送って天子に仕えているね。その徳は先代の皇帝((そう)(そう))に並んで、そのはるか昔の聖人たちに並ぶくらいだよ。

(註55)

上靈降瑞,黃初叔祜:河龍洛龜,淩波游下;平鈞應繩,神鸞翔舞;數莢階除,系風扇暑;皓獸素禽,飛走郊野;神鍾寶鼎,形自舊土;雲英甘露,瀸塗被宇;靈芝冒沼,朱華陰渚。回回凱風,祁祁甘雨,稼穡豐登,我稷我黍。家佩惠君,戶蒙慈父。圖致太和,洽德全義。

天の上の霊はめでたいしるしをもたらして、(こう)(しょ)の時代にはたくさんのいいことが現れたよ。黄河には龍が、(らく)(すい)には亀が現れて、水の上を進んだの。立派な鳥が空を舞って、めでたい調和があらわれたね。たくさんの豆が宮殿の階段に生えて、風がそよいで暑さをやわらげたよ。白い獣や白い鳥が野原を飛び回って、神のような鐘や宝の(かなえ)が昔の地から出てきたよ。雲のような美しい花と(かん)()が降って道や家をうるおしたよ、(れい)()が沼に生えて、赤い花が岸辺をおおったよ。心地よい風が吹いて、恵みの雨がたくさん降って、稲や粟が豊かに実ったよ。どの家もよい君主の恵みを受けて、どの家の人もやさしい父のような恩を感じたんだって。このようにして、大きな調和を実現して、徳と義が広く行きわたったね。

(註55)

將登介山,先皇作儷。鐫石紀勳,兼錄衆瑞,方隆封禪,歸功天地,賔禮百靈,勳命視規,望祭四嶽,燎封奉柴,肅于南郊,宗祀上帝。三牲旣供,夏禘秋甞,元侯佐祭,獻璧奉璋。鸞輿幽藹,龍旂太常,爰迄太廟,鍾鼓鍠鍠,頌德詠功,八佾鏘鏘。皇祖旣饗,烈考來享,神具醉止,降茲福祥。

(かい)(ざん)(かい)()(すい)が母を連れて隠れ住んだ山)に登ろうとして、先代の皇帝((そう)())は準備を整えていたよ。石に功績を刻んで、たくさんのめでたいしるしもあわせて記録しようとしていたんだ。こうして(ほう)())(天地に感謝する大きな祭り)をして、その功績を天と地に捧げて、さまざまな神々を礼をもって迎えようとしていたよ。
()(がく)(4つの大きな山)を遠くから拝んで、火を焚いて供え物を捧げて、南の郊外で厳かに儀式をして、(じょう)(てい)をまつろうとしていたの。牛・羊・豚の供え物もすでに用意されていて、夏には(てい)という大きな祭り、秋には(しょう)という収穫の祭りをする準備もしていたよ。重要な臣下や役人も祭りを助け、(ぎょく)をささげる役目を果たしたんだ。鳳凰の飾りをつけた車は静かに進んで、龍の旗が高く掲げられたよ。(たい)(じょう)と一緒に太廟(先祖をまつる場所)に着くと、鐘や太鼓が鳴りひびいて、徳や功績をたたえる歌がうたわれて、(はち)(いつ)の舞(天子の舞)が鐘の音と一緒に整っていたよ。先祖はすでに供え物を受け取って、亡き父もまた来て楽しんで、神々は十分に満足して酔い、その結果として人々に幸せとめでたいしるしがもたらされたの。

(註55)

天地震蕩,大行康之;三辰暗昧,大行光之;皇紘絕維,大行綱之;神器莫統,大行當之;禮樂廢弛,大行張之;仁義陸沈,大行揚之;潛龍隱鳳,大行翔之;疏狄遐康,大行匡之。

天地がゆれ動いたときには、(たい)(こう)(こう)(てい)(そう)())がそれを安定させたよ。三辰(太陽・月・星)が暗くなったときには、その光を取り戻したよ。天下の秩序が乱れたときには、それを立て直して、国の大切なしくみをまとめる者がいないときには、自らそれを担ったよ。礼と音楽が廃れたときには、それを広めて、仁や義が廃れたときには、それを高くかかげたよ。潜んでいた龍や隠れていた(ほう)(おう)(隠れていたすぐれた人たち)を、飛び立たせたよ(才能を発揮させたよ)。遠い異民族も安らかに導いたよ。

(註55)

在位七載,元功仍舉,將永太和,絕迹三五,宜作物師,長為神主,壽終金石,等筭東父,如何奄忽,摧身后土,俾我棾棾,靡瞻靡顧。嗟嗟皇穹,胡寧忍務?嗚呼哀哉!

在位7年(220年〜226年)のあいだに、大きな功績を次々と成し遂げて、このまま長く太平の世を続けて、古の三皇や五帝を超えるくらいになろうとしていたよ。人々の手本となって、永遠に神としてまつられるはずで、その名は金石のように長く残って、寿命も長く続くはずで、(とう)(おう)()みたいに敬われるべきだったんだ。なのに、どうしてこんなにも急に亡くなってしまったの。大地の中に身を沈めて、私たちはただ心細くて、見ることも頼ることもできないんだ。ああ、天よ、どうしてこのようなことに耐えられるの? なんて悲しいの!

(註55)

明監吉凶,體遠存亡,深垂典制,申之嗣皇。聖上虔奉,是順是將,乃剏玄宇,基為首陽,擬迹穀林,追堯慕唐,合山同陵,不樹不疆,塗車芻靈,珠玉靡藏。百神警侍,來賔幽堂,耕禽田獸,望魂之翔。

はっきりといいことと悪いことを見分けて、遠い未来の生と死まで考えて、深く制度を残して、それを後を継ぐ皇帝((そう)(えい))にしっかり伝えたよ。新しい皇帝はそれをうやうやしく受け継いで、そのとおりにしたよ。そこで、墓を新しく作って、(しゅ)(よう)(ざん)をもとにして、(こく)(りん)に葬られた(ぎょう)を手本として、古い立派な王を思って、山に合わせて陵として、樹木を植えないで土を盛らなかったんだ。土で作った車や人形をそばに置いて、宝石などは入れなかったよ。たくさんの神々が警めるように守って、静かな墓の中に迎えられたんだ。野の鳥や獣も、魂が飛ぶのを見守っていたんだね。

(註55)

於是,俟大隧之致功兮,練元辰之淑禎,潛華體於梓宮兮,馮正殿以居靈。顧望嗣之號咷兮,存臨者之悲聲,悼晏駕之旣修兮,感容車之速征。

こうして、大きな墓の工事が完成するのを待って、よい日を慎重に選んで、亡き人の体を棺におさめて、正殿に置いて霊をまつったよ。後を継ぐ者が声をあげて泣くのを振り返って見て、そこにいる人たちの悲しみの声を感じたんだ。そして、葬りの儀式が終わることを悲しんで、霊を乗せた車が急いで進むことに心を痛めたよ。

(註55)

浮飛魂於輕霄兮,就黃墟以滅形,背三光之昭晰兮,歸玄宅之冥冥。嗟一往之不反兮,痛閟闥之長扃。咨遠臣之眇眇兮,成凶諱以怛驚,心孤絕而靡告兮,紛流涕而交頸。

魂は軽やかに空へと飛び上がって、やがて黄土の世界に行って姿を消してしまうんだ。三光(太陽・月・星)の明るい光を離れて、あの世の暗い墓の中へと帰っていくんだ。ああ、一度行ってしまえばもう戻ることはなくて、墓の門は固く閉ざされたままなんだ。遠くにいる臣下である私は、小さく力もなくて、この悪い出来事を聞いて深く驚いて悲しんでいるの。心は孤独で、誰にもこの思いを伝えられなくて、涙があふれて首すじをつたって流れ落ちたんだ。

(註55)

思恩榮以橫奔兮,閡闕塞之嶢崢,顧衰絰以輕舉兮,迫關防之我嬰。欲高飛而遙憩兮,憚天網之遠經,遙投骨於山足兮,報恩養於下庭。

これまで受けた恩や栄誉を想うと、心はかけめぐるけど、宮殿への道は遠くて険しくて行けないんだ。喪服を身につけてすぐにでも駆けつけたいけど、関所や守りにさえぎられて、私は足止めされているよ。高く飛んで遠くへ行って、どこかで休みたいと思っても、天の定めが広く行きわたっていることをおそれるよ。せめて自分の骨を山のふもとに置いて、下の世界でその恩に報いて、仕えたいと願うの。

(註55)

慨拊心而自悼兮,懼施重而命輕,嗟微驅之是效兮,甘九死而忘生,幾司命之役籍兮,先黃髮而隕零,天蓋高而察卑兮,兾神明之我聽。獨鬱伊而莫愬兮,追顧景而憐形,奏斯文以寫思兮,結翰墨以敷誠。嗚呼哀哉!」

胸を叩いて自分の身を悲しんで、重い罰を受けて命が軽くなることをおそれるんだ。この小さな身でも役に立てるのなら、何度死んでもよいと思って、生きることさえ忘れてしまうんだ。命をつかさどる神の帳簿に入る前に、年老いた人よりも先に命が尽きてしまいそうなんだ。
天は高いが低い者も見ていると信じて、神々がこの思いを聞いてくれることを願うよ。ただひとり心がふさがって、誰にも訴えられなくて、自分の影をふり返っては、その姿をあわれに思うよ。そこで、この文章を捧げて思いを書きあらわして、筆と墨で真心を伝えるの。ああ、なんて悲しいの!」

曹丕は文学が大好き

本文

初,帝好文學,以著述為務,自所勒成垂百篇。又使諸儒撰集經傳,隨類相從,凡千餘篇,號曰皇覽。(註56)(註57)

もともと(そう)()は文学が好きで、自分で文章を書くことを大事な仕事にしていたよ。自分で書き上げた作品は、ほぼ100本にもなったの。それに、たくさんの学者たちに命令して、経書とその注釈書を集めてまとめさせたよ。同じ種類ごとに分けて整理して、その数は全部で1000本以上にもなったよ。このまとめられた書物は『(こう)(らん)』と名付けられたよ。

(註56)

魏書曰:帝初在東宮,疫癘大起,時人彫傷,帝深感歎,與素所敬者大理王朗書曰:「生有七尺之形,死為一棺之土,唯立德揚名,可以不朽,其次莫如著篇籍。疫癘數起,士人彫落,余獨何人,能全其壽?」

()(しょ)』によると、(そう)()は東宮にいたころ(太子だったころ)、大きな疫病が広まって、たくさんの人が苦しんで、亡くなったんだ。(そう)()はこれをとても悲しく思って、深くため息をついたよ。もともと尊敬していた(だい)()(おう)(ろう)に手紙を書いてこう言ったよ。
「人は生きているあいだは7尺くらいの身体を持っているけど、死ねば1つの棺に入る土となってしまうんだ。ただ、立派な行いをして名を広めたら、後の世まで残ることができるよ。その次によいのは、本を書き残すことだよね。疫病は何度も起こって、学者たちも次々と亡くなっているんだ。私はいったい何者なの? 自分の寿命をまっとうできると言えるの?」

(註56)

故論撰所著典論、詩賦,蓋百餘篇,集諸儒於肅城門內,講論大義,侃侃無倦。常嘉漢文帝之為君,寬仁玄默,務欲以德化民,有賢聖之風。時文學諸儒,或以為孝文雖賢,其於聦明,通達國體,不如賈誼。

だから(そう)()は『(てん)(ろん)』や、詩や()などの文章をたくさん書いて、だいたい100篇以上にもなったよ。それに、たくさんの学者たちを(しゅく)(じょう)(もん)の内に集めて、大切な意味について議論させたよ。その議論ははっきりとしていて力強くて、疲れないで続けられたよ。
(そう)()はいつも(かん)(ぶん)(てい)の政治をよいものだとほめていたよ。広い心とやさしさを持っていて、静かで落ち着いていて、徳によって人々を導こうとする、そのような立派で聖人のような振る舞いを持っていると考えていたの。でも、その時代の学者たちの中には、「(ぶん)(てい)はたしかに立派だけど、頭のよさや国のしくみをよく理解している点では、()()には及ばない」と考える人もいたんだ。

(註56)

帝由是著太宗論曰:「昔有苗不賔,重華舞以干戚,尉他稱帝,孝文撫以恩德,吳王不朝,錫之几杖以撫其意,而天下賴安;乃弘三章之教,愷悌之化,欲使曩時累息之民,得闊步高談,無危懼之心。若賈誼之才敏,籌畫國政,特賢臣之器,管、晏之姿,豈若孝文大人之量哉?」

そこで、(そう)()(たい)(そう)(かん)(ぶん)(てい)の廟号)の功績を記した『(たい)(そう)(ろん)』を書いて、こう言ったよ。
「昔、(ゆう)(びょう)(民族)が従わなかったとき、(ちょう)()(しゅん))は武器を手にして舞って、心を動かしたよ。()()が自分を帝を名乗ったとき、(かん)(ぶん)(てい)は恩と徳でこれをなだめたよ。さらに、()(おう)が朝廷に来なかったときには、机や杖を贈って、その気持ちをやわらげたよ。こうして天下の人々は安心して暮らせたの。
そこで、基本となる3つの教えを広くして、やさしくて思いやりのある政治を広めたよ。これまで苦しんでいた人たちが広々とのびのびと歩いて、思ったことを自由に話せるようにして、不安や恐れのない心で暮らせるようにしようとしたの。たしかに()()は才能があって、頭の回転も速くて、国の政治を考える力もすぐれているけど、それはあくまですぐれた臣下としての器で、(かん)(ちゅう)(あん)(えい)みたいな人と同じくらいのものだよね。どうして(ぶん)(てい)みたいな、大きく広い心を持つ人に及ぶの?」

(註56)

三年之中,以孫權不服,復班太宗論於天下,明示不願征伐也。他日又從容言曰:「顧我亦有所不取於漢文帝者三:殺薄昭;幸鄧通;慎夫人衣不曳地,集上書囊為帳帷。以為漢文儉而無法,舅后之家,但當養育以恩而不當假借以權,旣觸罪法,又不得不害矣。」其欲秉持中道,以為帝王儀表者如此。

3年のあいだ、(そん)(けん)が従わなかったから、(そう)()はもう一度『(たい)(そう)(ろん)』を天下に広めて、「むやみに戦いをしたくはない」という気持ちをはっきりと示したよ。
ある日の落ち着いた場で、こう言ったよ。
「でも、私にも(かん)(ぶん)(てい)について、よくないと思う点が3つあるんだ。1つ目は(はく)(しょう)を殺したこと。2つ目は(とう)(つう)を特別にかわいがったこと。3つ目は(しん)()(じん)の着物のすそが地面に触れないようにさせたり、上書を入れる袋を集めて帳にしたことだよ。私は、(ぶん)(てい)は質素だったけど、やり方にきちんとした法がなかったと思うんだ。皇后やその親戚は、本来は恩で養うべきで、権力を与えすぎてはいけないよ。もし法にふれることをしたら、結局は害することになってしまうの」
このように、かたよらないちょうどよい道を守って、それを帝王の手本にしようとしていたよ。

(註57)

胡沖吳歷曰:帝以素書所著典論及詩賦餉孫權,又以紙寫一通與張昭。

()(ちゅう)の『()(れき)』によると、(そう)()はふだんから書きためていた『(てん)(ろん)』や詩や()を絹の布に書いて(そん)(けん)に贈ったよ。さらに、それを紙に書き写したものを1通作って(ちょう)(しょう)にも贈ったよ。

陳寿の評

本文

評曰:文帝天資文藻,下筆成章,博聞彊識,才藝兼該;(註58)(註59)若加之曠大之度,勵以公平之誠,邁志存道,克廣德心,則古之賢主,何遠之有哉!

評すると、(そう)()は、生まれつき文章の才能があって、筆をとればすぐに立派な文章を書けたよ。広く物事を聞いて知っていて、物事をよく覚えて、さまざまな才能や技芸もあわせ持っていたよ。もしさらに広く大きな心を持って、公平で正しい気持ちを大切にして、高い志で正しい道を守って、徳をもっと広げていくことができたなら、昔のすぐれた名君たちにも、少しもひけをとらなかっただろうね!

皇帝としてはあまり良くない評価だよね。以下、(そう)()さんの熱い自分語り。

(註58)

典論帝自敘曰:初平之元,董卓殺主鴆后,盪覆王室。是時四海旣困中平之政,兼惡卓之凶逆,家家思亂,人人自危。山東牧守咸以春秋之義,「衞人討州吁于濮」,言人人皆得討賊。於是大興義兵,名豪大俠,富室彊族,飄揚雲會,萬里相赴;兖、豫之師戰於滎陽,河內之甲軍於孟津。卓遂遷大駕,西都長安。

(てん)(ろん)』で、(そう)()は自分のことをこう書いたよ。
(しょ)(へい)の年号の初めごろ(190年)、(とう)(たく)は皇帝を殺して、皇后を毒で殺して、王室を大きく乱してしたんだ。このとき、天下の人たちはすでに(ちゅう)(へい)の年号の間(184~189年)からの悪い政治に苦しんでいて、さらに(とう)(たく)のむごい振る舞いを憎んでいたよ。だから、どの家も乱れを心配して、誰もが自分の身の安全を不安に思っていたんだ。
(さん)(とう)(ぼく)(州の長官)や(たい)(しゅ)(郡の長官)たちはみんな『(しゅん)(じゅう)』の考え方に従って、『(えい)の人の(しゅう)()(ぼく)で討った』という話のように、『悪い者は誰でも討てる』と考えたんだ。そこで、義のための兵を起こしたよ。
名のある豪傑や勇ましい人たち、裕福な家や力の強い一族が、雲のように集まって、万里も離れた遠い地からも駆けつけたよ。(えん)州と()州の軍は(けい)(よう)で戦って、()(だい)の軍は(もう)(しん)に集まったよ。こうして(とう)(たく)は、とうとう天子の一行を連れて都を移して、西の都の(ちょう)(あん)に移ったんだ。

(註58)

而山東大者連郡國,中者嬰城邑,小者聚阡陌,以還相吞滅。會黃巾盛於海、岱,山寇暴於并、兾,乘勝轉攻,席卷而南,鄉邑望煙而奔,城郭覩塵而潰,百姓死亡,暴骨如莽。余時年五歲,上以世方擾亂,教余學射,六歲而知射,又教余騎馬,八歲而能騎射矣。以時之多故,每征,余常從。

でも(さん)(とう)では、大きな勢力は郡や国をいくつもまとめて、中くらいの勢力は町や城を取り囲んで、小さな勢力は道ばたや田に集まって、お互いに争って、飲み込むようにして滅ぼし合っていたんだ。ちょうどそのとき(こう)(きん)の人たちが海や(たい)(ざん)あたりで勢いを増して、山賊は(へい)州や()州で暴れまわっていたよ。そして勝ちに乗じてさらに攻め進んで、南へと一気に広がっていったんだ。村や町の人たちは、のろしの煙を見るだけで逃げ出して、城や町も土ぼこりが見えるとすぐに崩れちゃった。民は命を落として、亡くなった人の体が野原にあふれていたんだ。
このとき私はまだ5歳で、父((そう)(そう))は世の中が大きく乱れているのを見て、私に弓の練習をさせたよ。6歳になると弓の使い方を覚えて、さらに馬に乗ることも教えられて、8歳になるころには馬に乗りながら弓を射ることができるようになったよ。大変な時期だったけど、戦いが起こるたびに、私はいつも父について行ったよ。

(註58)

建安初,上南征荊州,至宛,張繡降。旬日而反,亡兄孝廉子脩、從兄安民遇害。時余年十歲,乘馬得脫。夫文武之道,各隨時而用,生於中平之季,長於戎旅之間,是以少好弓馬,于今不衰;逐禽輒十里,馳射常百步,日多體健,心每不猒。

(けん)(あん)の年号の初めごろ(196年)、父((そう)(そう))が(けい)州を攻めるために南へ軍を進めて、(えん)に着くと、(ちょう)(しゅう)が降伏したよ。でも、10日くらいで(ちょう)(しゅう)はふたたび反乱して、兄で孝廉の()(しゅう)(そう)(こう))と従兄の(そう)(あん)(みん)が殺されたんだ。私はこのとき10歳で、馬に乗ってなんとか逃げられたよ。
そもそも文と武の道は、それぞれ時に応じて使うものだよ。私は(ちゅう)(へい)の年号の終わりごろの乱れた時代に生まれて、戦いの中で育ったよ。だから、幼いころから弓や馬が好きで、その気持ちは今も変わっていないの。獣を追えばすぐに10里くらい走って、馬を走らせながら弓を射るときは、100歩くらいの距離でも当てることができるよ。こうして体はますます丈夫になって、心もいつも満ち足りていて、飽きないんだ。

(註58)

建安十年,始定兾州,濊、貊貢良弓,燕、代獻名馬。時歲之暮春,句芒司節,和風扇物,弓燥手柔,草淺獸肥,與族兄子丹獵於鄴西,終日手獲麞鹿九,雉兔三十。

(けん)(あん)十年(205年)、はじめて()州が兵令されたよ。(わい)(はく)(異民族)から良い弓が捧げられて、(えん)(だい)からは名馬が届いたよ。
そのころは春の終わりごろで、(こう)(ぼう)(春の神)が季節を司って、やわらかな風があらゆる物を育てていたよ。弓はよく乾いて使いやすくて、手もやわらかく動いて、草は低くて、獣はよく太っていたんだ。私は族兄の()(たん)(そう)(しん))と一緒に(ぎょう)の西で狩りをしたよ。1日で(のろ)鹿(しか)を9頭、(きじ)(うさぎ)を30匹手に入れたんだよ。

(註58)

後軍南征次內蠡,尚書令荀彧奉使犒軍,見余談論之末,彧言:「聞君善左右射,此實難能。」余言:「執事未覩夫項發口縱,俯馬蹄而仰月支也。」彧喜笑曰:「乃爾!」余曰:「埒有常徑,的有常所,雖每發輒中,非至妙也。若馳平原,赴豐草,要狡獸,截輕禽,使弓不虛彎,所中必洞,斯則妙矣。」時軍祭酒張京在坐,顧彧拊手曰「善」。

その後、軍は南へ進んで、(きょく)(れい)に着いたよ。(しょう)(しょ)(れい)(じゅん)(いく)が使者として来て、軍をねぎらったよ。そして、私が話し終えるころに、(じゅん)(いく)はこう言ったよ。
「あなたは左右どちらの手でも弓を上手に射ると聞いているけど、これは本当に難しいよね」
そこで私はこう言ったよ。
「あなたはまだ、馬を走らせながら体をかがめて馬の足もとを見たり、顔を上げて遠くの(げっ)()(的)を射抜く姿を見ていないの?」
(じゅん)(いく)は喜んで笑ってこう言ったよ。
「なるほど、あなたの言うとおりだね!」
私はさらにこう言ったよ。
「柵にはいつも定まった道があるし、的もいつも決まった場所があって、いつも当てられたとしても、それは最高とはいえないんだ。広い平原を馬で走って、草の茂った中で、素早い獣や飛び回る鳥を狙って、弓をむだに引かないで、射れば必ず深く当たる、これこそが本当にすぐれた技なんだよ」
このとき、(ぐん)(さい)(しゅ)(ちょう)(けい)もその場にいて、(じゅん)(いく)を見て手を打ちながら、「すばらしい」と言ったよ。

(註58)

余又學擊劔,閱師多矣,四方之法各異,唯京師為善。桓、靈之閒,有虎賁王越善斯術,稱於京師。河南史阿言昔與越遊,具得其法,余從阿學之精熟。甞與平虜將軍劉勳、奮威將軍鄧展等共飲,宿聞展善有手臂,曉五兵,又稱其能空手入白刃。

私はさらに剣術も学んで、たくさんの先生から教わったよ。地方によってやり方はそれぞれ違っているけど、都のやり方が一番すぐれていると思ったよ。(かん)(てい)(れい)(てい)の時代、()(ほん)(皇帝の近衛兵)の(おう)(えつ)がこの技にとてもすぐれていて、都で名を知られていたよ。()(なん)の出身の()()が「昔、(おう)(えつ)と一緒に学んで、その技をすべて学んだ」と話していたから、私は()()から学んで、その技をしっかり身につけたよ。
あるとき、(へい)(りょ)(しょう)(ぐん)(りゅう)(くん)(ふん)()(しょう)(ぐん)(とう)(てん)たちと一緒に酒を飲んだよ。私は前から、(とう)(てん)は腕の力が強くて、さまざまな武器を心得ていること、さらに素手で鋭い刃に立ち向かうことができると聞いていたんだ。

(註58)

余與論劔良久,謂言將軍法非也,余顧甞好之,又得善術,因求與余對。時酒酣耳熱,方食芋蔗,便以為杖,下殿數交,三中其臂,左右大笑。展意不平,求更為之。余言吾法急屬,難相中面,故齊臂耳。

私はそのとき、彼と剣術について長いあいだ話し合って、「あなたのやり方は正しくないね」と言ったと。私はもともと剣術が好きで、よい技も身につけていたから、彼と勝負してみたいと言ったよ。そのときは酒がまわって体も熱くなっていて、ちょうどさとうきびを食べていたから、それを杖の代わりにして、殿の下で何度か打ち合ったよ。そして私は三度、(とう)(てん)の腕に当てたよ。周りにいた人たちはみんな大笑いしたの。鄧展は不満そうで、もう一度やりたいと求めたよ。でも、私はこう言ったよ。
「私のやり方は動きがとても速くて、相手の顔を狙うのが難しいから、腕を狙っただけだよ」

(註58)

展言願復一交,余知其欲突以取交中也,因偽深進,展果尋前,余却脚鄛,正截其顙,坐中驚視。余還坐,笑曰:「昔陽慶使淳于意去其故方,更授以祕術,今余亦願鄧將軍捐棄故伎,更受要道也。」一坐盡歡。

(とう)(てん)は「もう一度だけ勝負したい」と言ったよ。私は、彼が勢いよく踏み込んで当てようとしているのを見ぬいていたから、わざと大きく前に出るふりをしたよ。すると(とう)(てん)も思ったとおり前に出てきたんだ。そこで私はさっと足を引いてよけて、ちょうどそのひたいに当てたよ。その場にいた人たちはみんなびっくりして見ていたの。私は席に戻って、笑ってこう言ったよ。
「昔、(よう)(けい)(じゅん)()()にそれまでのやり方をやめさせて、新しい秘術を教えたよ。今、私も(とう)(しょう)(ぐん)(とう)(てん))にこれまでのやり方を捨てて、新たな道を受け入れてほしいと思うんだ」
その場にいた人たちは、みんなとても楽しんだよ。

(註58)

夫事不可自謂己長,余少曉持複,自謂無對;俗名雙戟為坐鐵室,鑲楯為蔽木戶;後從陳國袁敏學,以單攻複,每為若神,對家不知所出,先曰若逢敏於狹路,直決耳!

そもそも人は自分のことを「自分はすぐれている」と思いこむべきではないよ。私は若いころ、2つの武器を同時に使う戦い方をちょっと覚えて、「自分にかなう者はいない」と思っていたんだ。世の中では、(そう)(げき)という武器のことを「()(てつ)(しつ)」と呼んで、盾を重ねて守ることを「木の戸でふさぐようなもの」とたとえているよ。でもその後、(ちん)国の出身の(えん)(びん)から学んで、1本の武器で2つの武器に対抗する方法を教わったよ。その技はまるで神のように見事で、相手はどう攻めてくるのか見当もつかなかったんだ。人々は前もってこう言ったよ。
「もしも(えん)(びん)と狭い道で出会ったら、まっすぐ進んで戦うしかないだろうね!」

(註58)

余於他戲弄之事少所喜,唯彈棊略盡其巧,少為之賦。昔京師先工有馬合鄉侯、東方安世、張公子,常恨不得與彼數子者對。上雅好詩書文籍,雖在軍旅,手不釋卷,每每定省從容,常言人少好學則思專,長則善忘,長大而能勤學者,唯吾與袁伯業耳。余是以少誦詩、論,及長而備歷五經、四部,史、漢、諸子百家之言,靡不畢覽。

私は、ほかの遊びごとにはあまり興味がなかったけど、ただ(だん)()(碁石をはじく遊び)だけはほとんど技をきわめて、若いころにそれについて()も作ったよ。
昔、都には特に上手な人として、()(ごう)(きょう)(こう)(とう)(ほう)(あん)(せい)(ちょう)(こう)()がいたよ。私はいつも、この人たちと勝負できないことを残念に思っていたんだ。父((そう)(そう))はもともと詩や書物がとても好きで、たとえ軍の中にいても、手から本を離さなかったよ。そして、落ち着いたときにはいつもこう言っていたよ。
「人は若いうちに学ぶのを好めば、考えが一つにまとまりやすいよ。でも、年をとると忘れやすくなるんだ。大人になってからも努力して学び続ける者は、私と(えん)(はく)(ぎょう)(えん)())だけだね」
だから私は若いころから『()(きょう)』や『(ろん)()』を読んで、成長してからは『()(きょう)』、『()()』、『()()』、『(かん)(じょ)』、諸子百家の言葉まで、広くすべて読み尽くしたよ。

(てん)(ろん)』が残っていたら他にも話があったのかな。

(註59)

博物志曰:帝善彈棊,能用手巾角。時有一書生,又能低頭以所冠著葛巾角撇棊。

(はく)(ぶつ)()』によると、(そう)()(だん)()がとても上手で、手ぬぐいの角を使って石をはじいたんだって。そのころ、ある書生もまた、同じように弾棊がうまくて、頭を下げて、かぶっている冠に付けた葛巾の角を使って、石をはじいたんだって。

「文帝紀」は以上だよ!
他の伝や書にも(そう)()さんの話があるから読んでみたいな。

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