正史『三国志』呉書呉主伝をゆるゆる翻訳するよ! その2

正史『三国志』呉書呉主伝をゆるゆる翻訳するよ!

はじめに

ChatGPT の力を借りて、正史『三国志』の 「呉書」の「呉主伝」 をゆるゆる翻訳するよ!
(そん)(けん) について書かれているよ!

『三国志』を気軽に楽しく読んでみよう!

呉主伝は長いから記事を分けたよ。この記事は夷陵の戦いから石亭の戦いまでだよ。

出典

三國志 : 吳書二 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。

注意事項

  • ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
  • ChatGPT に意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
  • 第三者による学術的な検証はしていないよ。

翻訳の詳細は「ChatGPT と協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。

真面目な日本語訳は書籍が出版されているから、きっちりしっかり知りたい人はそちらを読んでみてね!

正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
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正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

夷陵の戦い

本文

黃武元年春正月,陸遜部將軍宋謙等攻蜀五屯,皆破之,斬其將。三月,鄱陽言黃龍見。蜀軍分據險地,前後五十餘營,遜隨輕重以兵應拒,自正月至閏月,大破之,臨陣所斬及投兵降首數萬人。劉備奔走,僅以身免。(註23)(註24)

(こう)()元年(222年)、春の正月、(りく)(そん)の部将である(そう)(けん)たちが(しょく)の5つの駐屯地を攻めて、すべて打ち破って、その将を斬ったよ。三月、()(よう)で黄龍が現れたという報告があったんだって。(しょく)の軍は険しい地形に分かれて守って、前後に50以上の陣営があったよ。(りく)(そん)は相手の力に応じて兵を配置して、正月から閏月までの間に大勝利を収めたよ! 戦場で斬ったり捕らえたり降伏した兵は数万人に上ったよ。(りゅう)()は逃げ惑って、どうにか身を守ったんだ。

(註23)

吳歷曰:權以使聘魏,具上破備獲印綬及首級、所得土地,并表將吏功勤宜加爵賞之意。文帝報使,致鼲子裘、明光鎧、騑馬,又以素書所作典論及詩賦與權。

()(れき)』によると、(そん)(けん)()に使者を送って、(りゅう)()を破って得た印綬や首級、獲得した土地を報告して、さらに将や役人たちの功績に対する爵位や報酬を求めたよ。(そう)()は使者に答えて、リスの革製の上着や、明光鎧、優れた馬を贈って、それに(そん)(けん)に自分の書いた『(てん)(ろん)』や詩賦を贈ったよ。

(註24)

魏書載詔荅曰:「老虜邊窟,越險深入,曠日持乆,內迫罷弊,外困智力,故見身於雞頭,分兵擬西陵,其計不過謂可轉足前迹以搖動江東。根未著地,摧折其支,雖未刳備五臟,使身首分離,其所降誅,亦足使虜部衆兇懼。昔吳漢先燒荊門,後發夷陵,而子陽無所逃其死;來歙始襲略陽,文叔喜之,而知隗嚻無所施其巧。今討此虜,正似其事,將軍勉建方略,務全獨克。」

()(しょ)』によると、(そう)()は詔を下してこう言ったよ。
「老いた敵((りゅう)())は辺境の洞窟にこもって、険しい地を越えて深く侵入して、長い間戦いを引き延ばしてきたんだ。内では追い詰められて疲弊して、外では知恵と力を使い果たしているよ。だから、自分で(けい)(とう)に自ら軍を出して、西(せい)(りょう)に兵を分けて狙っているんだ。でも、その計画は、過去の足跡をたどって、江東を揺さぶろうというものだよ。根が地に着く前にその枝を折ることができれば、まだ敵の五臓をえぐるまではいかなくても、首を切り離すことができて、彼らが降伏するのに十分だろうね。これで、敵の部隊を恐怖させることができるよ。昔、()(かん)はまず(けい)(もん)を焼いて、次に()(りょう)に出たよね。そして()(よう)(こう)(そん)(じゅつ))は死を逃れられなかったんだ。(らい)(きゅう)は始めに(りゃく)(よう)を襲って、(ぶん)(しゅく)(りゅう)(しゅう))はそれを喜んで、(かい)(ごう)は巧みさを発揮できないと知っていたよ。今、この敵を討つことは、まさにその事に似ているよ。将軍((そん)(けん))は計略をしっかりと立てて、完全な勝利を収めるように努めてね」

洞口の戦い

本文

初權外託事魏,而誠心不款。魏乃遣侍中辛毗、尚書桓階往與盟誓,并徵任子,權辭讓不受。秋九月,魏乃命曹休、張遼、臧霸出洞口,曹仁出濡須,曹真、夏侯尚、張郃、徐晃圍南郡。權遣呂範等督五軍,以舟軍拒休等,諸葛瑾、潘璋、楊粲救南郡,朱桓以濡須督拒仁。

元から、(そん)(けん)は外面では()に臣下として従っていたけど、心から忠誠を尽くすことはなかったの。()()(ちゅう)(しん)()(しょう)(しょ)(かん)(かい)を送って、盟約を結んで、(そん)(けん)の子を人質として出させようとしたけど、(そん)(けん)はこれを辞退して受けなかったよ。
秋の九月、()(そう)(きゅう)(ちょう)(りょう)(ぞう)()(どう)(こう)に、(そう)(じん)(じゅ)(しゅ)に進軍させたよ。それに、(そう)(しん)()(こう)(しょう)(ちょう)(こう)(じょ)(こう)(なん)郡に配置して包囲したよ。(そん)(けん)(りょ)(はん)たちに5つの軍を率いさせて、舟軍で(そう)(きゅう)たちを防いだよ。(しょ)(かつ)(きん)(はん)(しょう)(よう)(さん)(なん)郡を救援したよ。(しゅ)(かん)(じゅ)(しゅ)を守って(そう)(じん)を防いだよ。

本文

時楊、越蠻夷多未平集,內難未弭,故權卑辭上書,求自改厲,「若罪在難除,必不見置,當奉還土地民人,乞寄命交州,以終餘年。」

その時、(よう)(えつ)のたくさんの異民族がまだ平定されていなくて、内乱も収まっていなかったんだって。だから、(そん)(けん)は謙虚な言葉で上書して、改めようとしたよ。
「もし罪が許されないなら、自分は今の地位を去って、江南の土地や民を返して、(こう)州に身を寄せて、残りの人生を過ごさせてね」

本文

文帝報曰:「君生於擾攘之際,本有從橫之志,降身奉國,以享茲祚。自君策名已來,貢獻盈路。討備之功,國朝仰成。埋而掘之,古人之所恥。(註25)朕之與君,大義已定,豈樂勞師遠臨江漢?廊廟之議,王者所不得專;三公上君過失,皆有本末。朕以不明,雖有曾母投杼之疑,猶兾言者不信,以為國福。故先遣使者犒勞,又遣尚書、侍中踐脩前言,以定任子。君遂設辭,不欲使進,議者恠之。(註26)

(そう)()は返答してこう言ったよ。
「あなたは乱世に生まれて、もともと同盟の志を持っていたけど、身を低くして国に仕えて、この栄光を受けてきたね。あなたが名を挙げてからは、貢物が途切れることはなかったよ。(りゅう)()を討った功績は、国と朝廷が仰ぎ見るところだよ。でも一度埋めたものを掘り返すことは、古人が恥じることなんだ。私とあなたとの間には大義がすでに定まっているから、どうして喜んで軍を遠く長江や漢水に送って、労力を費やしたりするの? 国家の重要な議論は、王がひとりで決めることはできないよ。(さん)(こう)があなたの過ちを指摘した時には、その経緯があったんだ。私は明察に欠けていて、たとえ(そう)()の母が杼(織機の部品)を投げ捨てたときみたいな疑いがあったとしても、なお言葉を信じないで、これを国の幸せと思っているの。だから、まず使者を送って労をねぎらって、さらに(しょう)(しょ)()(ちゅう)を送って前の盟約を確認させて、人質を決めようとしたんだ。でも、あなたは辞退して、使者を受け入れないと言ったから、議論する人たちはこれを怪しんでいるの。

本文

又前都尉浩周勸君遣子,乃實朝臣交謀,以此卜君,君果有辭,外引隗嚻遣子不終,內喻竇融守忠而已。世殊時異,人各有心。浩周之還,口陳指麾,益令議者發明衆嫌,終始之本,無所據仗,故遂俛仰從羣臣議。今省上事,款誠深至,心用慨然,悽愴動容。即日下詔,勑諸軍但深溝高壘,不得妄進。若君必效忠節,以解疑議,登身朝到,夕召兵還。此言之誠,有如大江!」(註27)

それに、前に()()(こう)(しゅう)があなたに子を送るように勧めたのは、実は朝廷の臣下たちが相談して、あなたの心を試すためだったんだ。あなたは実際に辞退して、外では(かい)(ごう)が子を送るのを途中でやめたことを理由に挙げて、内では(とう)(ゆう)が忠誠を守っただけだと説明したよね。時代は変わって、状況も異なっていて、人はそれぞれの考えを持っているんだ。(こう)(しゅう)が帰ってきて、口で言って指をさしたから、議論する人たちはますます疑いを深めて、あなたの初めから終わりまでの行動が何を根拠にしているのかわからなくなっちゃった。結局、臣下たちの議論に従うしかなくなって、軍を出したんだ。今、あなたの上書を見て、その誠意の深さに心から感動して、胸を痛めて、悲しみに心を動かされたよ。すぐに詔を下して、軍には『深い溝と高い塁を築くことだけに専念して、軽々しく進軍してはならない』と命令したよ。もしあなたが本当に忠を尽くして、疑いを解くなら、(そん)(とう)を朝廷に出してね。そうしたら、すぐに兵を戻すよ。この言葉の誠実さは、長江みたいに確かなんだ!」

(註25)

國語曰:狸埋之,狸掘之,是以無成功。

(こく)()』によると、狸を埋めれば、狸が掘り返して、結局何も成し遂げられないんだって。

(註26)

魏略載魏三公奏曰:「臣聞枝大者披心,尾大者不掉,有國有家之所慎也。昔漢承秦弊,天下新定,大國之王,臣節未盡,以蕭、張之謀不備錄之,至使六王前後反叛,已而伐之,戎車不輟。

()(りゃく)』によると、()(さん)(こう)()(きん)()()(よう)(ひょう))が上奏してこう言ったよ。
「私たちは(『(しゅん)(じゅう)()()(でん)』で)聞いたよ。枝が大きすぎると折れちゃうし、尻尾が大きすぎると振りにくくなるんだ。これは、国や家を持つ者が気をつけるべきことだよ。昔、(かん)(しん)の弊害を受け継いで、天下が新たに統一されたばかりの時、大国の王たちはまだ忠誠を尽くしていなくて、(しょう)()(ちょう)(りょう)の策が十分ではなかったから、六王が次々と反乱を起こして、その結果、戦車は絶え間なく動き続けたんだ。

(註26)

又文、景守成,忘戰戢役,驕縱吳、楚,養虺成虵,旣為社稷大憂,蓋前事之不忘,後事之師也。吳王孫權,幼豎小子,無尺寸之功,遭遇兵亂,因父兄之緒,少蒙翼卵煦伏之恩,長含鴟梟反逆之性,背棄天施,罪惡積大。復與關羽更相覘伺,逐利見便,挾為卑辭。先帝知權姦以求用,時以于禁敗於水災,等當討羽,因以委權。

それに、(かん)(ぶん)(てい)(りゅう)(こう))や(けい)(てい)(りゅう)(けい))は国家を守りながらも戦を忘れて、戦いや労役を休めたから、()()は身勝手に振舞って、毒蛇を育てるようなことになっちゃった(黙って敵を強くさせちゃった)。これが国家に大きな災害をもたらしたんだ。過去の教訓を忘れないで、今後の戒めとすべきだよね。()(おう)である(そん)(けん)は、幼い者で、わずかな功績もないよ。戦乱の時期に、父((そん)(けん))や兄((そん)(さく))の後を継いで、若い頃には卵を守る翼のように庇護を受けて、成長してからは鴟や梟みたいな反逆心を持つ梟のような性質を現して、天の恩恵を裏切り、罪悪を重ねて大きくしたの。さらに(かん)()とお互いに様子をうかがって、利益を追い求めて機会を狙って、卑しい言葉を使ってごまかしたよ。先帝((そう)(そう))は(そん)(けん)が悪い計画を使って利用されることを知っていたけど、そのときは()(きん)が水害で敗れて、(かん)()を討つべきだと考えて、(そん)(けん)にその任務を委ねたんだ。

(註26)

先帝委裘下席,權不盡心,誠在惻怛,欲因大喪,寡弱王室,希託董桃傳先帝令,乘未得報許,擅取襄陽,及見驅逐,乃更折節。邪辟之態,巧言如流,雖重驛累使,發遣禁等,內包隗嚻顧望之姦,外欲緩誅,支仰蜀賊。聖朝含弘,旣加不忍,優而赦之,與之更始,猥乃割地王之,使南面稱孤,兼官累位,禮備九命,名馬百駟,以成其勢,光寵顯赫,古今無二。

先帝((そう)(そう))は毛皮を脱いで席を下がって(そん)(けん)に託したのに、(そん)(けん)は全力を尽くさなかったんだ。本心では悔やみながら、大喪((そう)(そう)の死)の機会を利用して王室が弱体化していることを狙って、(とう)(とう)に先帝の命令を伝えさせだよ。返事が来る前に、(じょう)(よう)を勝手に奪って、その後、追い出されると態度を改めたよ。彼の道に外れた振る舞いや巧みな言葉は絶え間なく流れて、重ねて使者を送って、()(きん)たちを送り出したけど、内では(かい)(ごう)みたいに機会をうかがって、外では処罰を遅らせようとして、(しょく)の賊に頼ろうとしたんだ。聖なる朝廷は広い心を持ってこれを堪えて、憐みをかけて赦して、新たな始まりを与えたよ。過分にも土地を分けて、彼を王として南面に座らせて、官職を兼任させて、九錫も与えたんだ。名馬を400頭も与えて、その勢力を完成させたよ。この栄光と寵愛は、古今において類を見ないものだよね。

(註26)

權為犬羊之姿,橫被虎豹之文,不思靜力致死之節,以報無量不世之恩。臣每見所下權前後章表,又以愚意採察權旨,自以阻帶江湖,負固不服,狃忲累世,詐偽成功,上有尉他、英布之計,下誦伍被屈彊之辭,終非不侵不叛之臣。以為晁錯不發削弱王侯之謀,則七國同衡,禍乆而大;蒯通不決襲歷下之策,則田橫自慮,罪深變重。

(そん)(けん)は犬や羊みたいな卑しい性質を持ちながら、虎や豹みたいに見せかけた風格を持っていて(才能と知恵があるから災いを招く)、静かに力を発揮して、命を懸けるという節操を考えないで、計り知れない恩義に報いることをしないんだ。私たちは、これまでに(そん)(けん)が提出した前後の上奏文や表を見て、それに私たちの愚かな見解で(そん)(けん)の意図を探ったけど、彼は江湖に囲まれて、頑固に守って従わない態度を取っているみたいだよ。彼は何世代にもわたって勝手気ままに振る舞って、偽りと詐欺をもって成功を収めてきたんだ。上では(ちょう)()(えい)()みたいな計略があって、下では()()みたいな強引な言葉を唱えているけど、結局、彼は侵略せないで反乱を起こさない忠実な臣下ではないよね。もし、(ちょう)()が王侯の力を削って弱体化させる策を実行していなかったなら、七国が結束して災いは長期にわたり拡大していただろうね。(かい)(とう)(れき)()を急襲する策を決断していなかったなら、(でん)(おう)は自らの重い罪を恐れて大きな変事を引き起こしていただろうね。

(註26)

臣謹考之周禮九伐之法,平權凶惡,逆節萌生,見罪十五。昔九黎亂德,黃帝加誅;項羽罪十,漢祖不捨。權所犯罪釁明白,非仁恩所養,宇宙所容。臣請免權官,鴻臚削爵土,捕治罪。敢有不從,移兵進討,以明國典好惡之常,以靜三州元元之苦。」其十五條,文多不載。

私たちは謹んで『(しゅ)(らい)』の『九伐』を考えて、(そん)(けん)の悪い行いを討って、反逆の芽を摘むべきだと考えるよ。その罪は15あるよ。昔、(きゅう)(れい)が徳を乱したとき、黄帝が罰を与えたよ。(こう)()が10の罪を犯して、(かん)の祖((りゅう)(ほう))はこれを放置しなかったよ。(そん)(けん)が犯した罪は明白で、仁や恩では許されるものではなくて、天地の中で容認されるものでもないんだ。私たちは(そん)(けん)を解任して、(こう)()の爵位と土地を剥奪して、罪を裁くように願い出るよ。もし従わない人がいれば、兵を動して進軍して、討伐しよう。それによって国家の法の善悪を明らかにして、三州の民の苦しみを静めよう」
その15の条は、文章が多いから載せないよ。

(註27)

魏略曰:浩周字孔異,上黨人。建安中仕為蕭令,至徐州刺史。後領護于禁軍,軍沒,為關羽所得。權襲羽,并得周,甚禮之。

()(りゃく)』によると、(こう)(しゅう)は、(あざな)(こう)()で、(じょう)(とう)の出身だよ。建安の年号の間(196~220年)、(しょう)(れい)として仕えて、後に(じょ)(しゅう)()()(州の長官)になったよ。その後、()(きん)の部隊を率いていた時、部隊が壊滅して、(かん)()に捕らえられちゃった。(そん)(けん)(かん)()を討った時に(こう)(しゅう)を捕らえて、彼を手厚く扱ったよ。

(註27)

及文帝即王位,權乃遣周,為牋魏王曰:「昔討關羽,獲于將軍,即白先王,當發遣之。此乃奉款之心,不言而發。先王未深留意,而謂權中間復有異圖,愚情慺慺,用未果決。遂值先王委離國祚,殿下承統,下情始通。公私契闊,未獲備舉,是令本誓未即昭顯。梁寓傳命,委曲周至,深知殿下以為意望。權之赤心,不敢有他,願垂明恕,保權所執。謹遣浩周、東里衮,至情至實,皆周等所具。」

後に(そう)()()(おう)に即位すると、(そん)(けん)(こう)(しゅう)を使者として彼に手紙を送ってこう言ったよ。
「昔、(かん)()を討った時、()(きん)を捕らえたよ。だから先王((そう)(そう))に報告して、彼を送り返すべきだと考えたんだ。これは誠意を尽くす気持ちで、言葉にせずとも伝わるものだったよ。でも、先王はそれを深く考えないで、(そん)(けん)が途中で別の計画を持つのではないかと疑ったんだ。愚かな私の気持ちは焦っていて、まだ決断できなかったんだ。
その後、先王が国家の位を退いて(亡くなって)、殿下((そう)())が即位して、ようやく私たちは交流を始めたよ。私たちの関係は公私にわたって深く結ばれているけど、かつての誓いは未だ明らかに実現されていないの。(りょう)(ぐう)は私に命令を伝えてきて、その内容はとても丁寧で、あなたの期待に深く応えていることを知ったよ。私の忠誠は変わることがなくて、他意を持つことはないよ。どうかあなたが明らかな理解と寛容を示して、私の立場を守ってくれるのを願っているよ。この手紙は(こう)(しゅう)(とう)()(こん)が運んで彼らが真心を持って説明してくれるよ」

(註27)

又曰:「權本性空薄,文武不昭,昔承父兄成軍之緒,得為先王所見獎飾,遂因國恩,撫綏東土。而中閒寡慮,庶事不明,畏威忘德,以取重戾。先王恩仁,不忍遐棄,旣釋其宿罪,且開明信。雖致命虜庭,梟獲關羽,功效淺薄,未報萬一。事業未究,先王即世。

それに、(そん)(けん)はこう言ったよ。
(そん)(けん)はもともと器量が小さくて、文武の才が明らかではなかったんだ。昔、父((そん)(けん))や兄((そん)(さく))が築いた軍の基盤を受け継いで、先王((そう)(そう))に見込まれて励まされたことで、国の恩恵を受けて、東方の地を治めたよ。でも、私はその間、思慮が浅くて、あらゆる事柄を明確に把握していなかったんだ。威を恐れて徳を忘れて、結果として大きな過ちを犯したんだ。先王は慈悲深くて、遠ざけることをためらったよ。私の過去の罪を許して、信頼を寄せてくれたよ。たとえ敵の地で命を賭けて(かん)()を討ち取ったとしても、その功績は浅くて、国への恩返しは十分ではなかったんだ。事業はまだ完成しないうちに、先王は世を去ったの。

(註27)

殿下踐阼,威仁流邁,私懼情願未蒙昭察。梁寓來到,具知殿下不遂疏遠,必欲撫錄,追本先緒。權之得此,欣然踊躍,心開目明,不勝其慶。權世受寵遇,分義深篤,今日之事,永執一心,惟察慺慺,重垂含覆。」

殿下((そう)())が王位に就いて、威厳と慈愛が広く行き渡っている中で。私の恐れや願いがまだ十分に理解されていないことを恐れているの。(りょう)(ぐう)が来てくれて、あなたが私を遠ざけるつもりはなくて、必ずや温かく取り立て、先王の遺志を継ごうとしていることをよく理解したよ。(そん)(けん)はこの知らせを受けて、とても喜んで、心が晴れ渡って、感動したの。(そん)(けん)は代々の恩恵を受けていて、その義理はとても深いもので、今日の出来事も、一心を貫くことを誓っているよ。どうかその誠意を深く理解して、重ねて許してくださいますように願うよ」

(註27)

又曰:「先王以權推誠已驗,軍當引還,故除合肥之守,著南北之信,令權長驅不復後顧。近得守將周泰、全琮等白事,過月六日,有馬步七百,徑到橫江,又督將馬和復將四百人進到居巢,琮等聞有兵馬渡江,視之,為兵馬所擊,臨時交鋒,大相殺傷。卒得此問,情用恐懼。

そしてまた、(そん)(けん)はこう言ったよ。
「先王((そう)(そう))は(そん)(けん)の誠意がすでに証明されたとして、軍を引き戻すべきであると決定して、(がっ)()の守備を解いて、南北の信頼を示したよ。これによって、(そん)(けん)が長い距離を進軍して、後顧の憂いなく行動できるようにしたよ。最近、守将の(しゅう)(たい)(ぜん)(そう)たちから報告があったんだ。月を越えて6日後、騎兵と歩兵合わせて700人が(おう)(こう)に着いたんだ。さらに、督将である()()が400人を率いて(きょ)(そう)に進軍したんだ。(ぜん)(そう)たちは兵が長江を渡るのを聞いて、これを確認しに行ったところ、敵軍に遭遇して戦闘が起こって、大きな損害を受けちゃった。この報告を受けて、私たちは恐れているの。

(註27)

權實在遠,不豫聞知,約勑無素,敢謝其罪。又聞張征東、朱橫海今復還合肥,先王盟要,由來未乆,且權自度未獲罪釁,不審今者何以發起,牽軍遠次?事業未訖,甫當為國討除賊備,重聞斯問,深使失圖。凡遠人所恃,在於明信,願殿下克卒前分,開示坦然,使權誓命,得卒本規。凡所願言,周等所當傳也。」

(そん)(けん)は遠くにいて、事前に何も聞いていなくて、命令や指示も受けていなかったんだ。だから、罪を謝罪することを許してほしいんだ。それに、張征東((ちょう)(りょう))と朱横海((しゅ)(れい)?)がふたたび(がっ)()に戻ってきたと聞いたよ。先王の盟約はまだ結ばれたばかりで、(そん)(けん)自身もまだ罪を犯していないと自覚しているよ。でも、今この時にどうして軍を動かして、遠くまで進軍させることになったのかはわからないの。私たちの事業はまだ完了していなくて、国のために敵を討つ準備をするべきだけど、このような出来事を聞くと、計画がおかしくなっちゃうね。遠くの人が頼りにするのは明確な信義で、どうか殿下には先の役割を果たして、明確に指示してほしいと思うよ。(そん)(けん)は誓いを守って、最初の計画を成し遂げたいと願っているの。このことは、(こう)(しゅう)たちが伝えてくれるよ」

(註27)

初東里衮為于禁軍司馬,前與周俱沒,又俱還到,有詔皆見之。帝問周等,周以為權必臣服,而東里衮謂其不可必服。帝恱周言,以為有以知之。是歲冬,魏王受漢禪,遣使以權為吳王,詔使周與使者俱往。周旣致詔命,時與權私宴,謂權曰:「陛下未信王遣子入侍也,周以闔門百口明之。」權因字謂周曰:「浩孔異,卿乃以舉家百口保我,我當何言邪?」遂流涕沾襟。及與周別,又指天為誓。

初めに、(とう)()(こん)()(きん)(ぐん)()()として任命されて、前は(こう)(しゅう)と一緒に行動して捕らわれて、戻ってきたよ。ふたりとも詔勅を受けて、(そう)()はふたりに尋ねると、(こう)(しゅう)は「(そん)(けん)は必ず従うだろう」と言ったけど、(とう)()(こん)は「(そん)(けん)は従うことができない」と言ったんだ。(そう)()(こう)(しゅう)の言葉を喜んで、彼がその言葉の根拠を知っていると考えたよ。
この年の冬、(そう)()(かん)を継いで、使者を送って(そん)(けん)()(おう)に任命する詔を伝えて、(こう)(しゅう)も使者と一緒に行ったんだ。(こう)(しゅう)が詔を届けると、その時、(そん)(けん)と私的に宴会を開いたよ。浩周は(そん)(けん)にこう言ったよ。
(そう)()はまだあなたが子を連れてくることを信じていないみたい。私は一族 100 人で、そうなることを明らかにするよ」
(そん)(けん)はこれに対して、(こう)(しゅう)に言ったよ。
(こう)(こう)()(こう)(しゅう))、あなたが一族全員で私を守ってくれると言うの? 私は何と言えばいいの?」
そして、(そん)(けん)は感激して涙で襟を濡らしたよ。(こう)(しゅう)と別れる時にも、天を指して誓ったよ。

(註27)

周還之後,權不遣子而設辭,帝乃乆留其使。到八月,權上書謝,又與周書曰:「自道路開通,不忘脩意。旣新奉國命,加知起居,假歸河北,故使情問不獲果至。望想之勞,曷云其已。孤以空闇,分信不昭,中間招罪,以取棄絕,幸蒙國恩,復見赦宥,喜乎與君克卒本圖。傳不云乎,雖不能始,善終可也。」

(こう)(しゅう)が帰った後、(そん)(けん)は子を送らないで辞退する手紙を送って、(そう)()は彼の使者を長く留めていたよ。八月になると、(そん)(けん)は謝罪の手紙を(こう)(しゅう)に持たせたよ。こう書かれているよ。
「道が開かれてから、私たちは気持ちを伝えることを忘れたことはないよ。最近、国の命を新たに受けて、さらに近況も伺うことができたよ。河北に帰ることを許されたけど、そのために想いを伝えることが叶わなかったんだ。遠くからの想いが届くことを願って、いつ終わるとも知れない苦労を抱えているの。私は愚かで何もわからなくて、信頼関係が明らかではないから、罪を犯すことを恐れて、見捨てられることになったけど、幸いにも国の恩恵によってふたたび赦されたよ。あなたと一緒に元の計画を成し遂げられることを喜んでいるよ。伝えられているように、たとえ初めはできなくても、良い結果を迎えることができればと願っているよ」

(註27)

又曰:「昔君之來,欲令遣子入侍,于時傾心歡以承命,徒以登年幼,欲假年歲之閒耳。而赤情未蒙昭信,遂見討責,常用慙怖。自頃國恩復加開導,忘其前愆,取其後效,喜得因此尋竟本誓。前以有表具說遣子之意,想君假還,已知之也。」

それに、こう書かれているよ。
「昔、あなたは私の息子((そん)(とう))を宮廷に送り出すよう求めたよ。その時、私は心から喜んでその命を受け入れたけど、息子はまだ幼かったから、少し時間を置きたかったの。でも、私の誠実な気持ちは信じてもらえなくて、討伐されて責められることになって、いつも恥じて恐れていたの。最近、国の恩恵がふたたび与えられて、前の過ちが許されて、その後の成果を期待されることになったよ。この機会に元の約束を成し遂げられることを喜んでいるよ。前に、息子を送る意向をお伝えする手紙があったけど、あなたがそれをすでに受け取ったことを知っているよ」

(註27)

又曰:「今子當入侍,而未有妃耦,昔君念之,以為可上連綴宗室若夏侯氏,雖中閒自棄,常奉戢在心。當垂宿念,為之先後,使獲攀龍附驥,永自固定。其為分惠,豈有量哉!如是欲遣孫長緒與小兒俱入,奉行禮聘,成之在君。」

それにまた、こう書かれているよ。
「今、息子((そん)(とう))が宮廷に行くことになっているけど、まだ妃を迎えていないんだ。前にあなたはそれを考えて、宗室との縁を結ぶべきだと考えてくれて、()(こう)()のような家との結びつきを勧めてくれたね。たとえその間に蔑ろにしたことがあっても、その思いはいつも心に抱いていたんだ。どうかその長い念を心に留めて、順序をつけて対処して、子が高貴な家系に繋がって、永遠に安定した立場を得られるようにしてほしいんだ。その恩恵は計り知れないよね! だから、(そん)(ちょう)(しょ)(そん)(しょう))を息子と一緒に送って、儀礼を行いたいな。その達成は、あなたの手にかかっているんだよ」

(註27)

又曰:「小兒年弱,加教訓不足,念當與別,為之緬然,父子恩情,豈有已邪!又欲遣張子布追輔護之。孤性無餘,凡所欲為,今盡宣露。惟恐赤心不先暢達,是以具為君說之,宜明所以。」

それに、こう書かれているよ。
「息子((そん)(とう))は幼いし、教育も十分ではないんだ。別れることを考えると、自然と寂しくなるね。父と子の恩情は、どこまでも尽きることがないものだよね! そして、(ちょう)()()(ちょう)(しょう))に息子を助けて守らせようと考えているよ。私には他に隠すことはなくて、やりたいことはすべて率直に伝えたよ。ただ、私の真心が十分に伝わっていないのではないかと心配なの。そこで、あなたにすべてを説明したんだ。どうか、明らかに察してね」

(註27)

於是詔曰:「權前對浩周,自陳不敢自遠,樂委質長為外臣,又前後辭旨,頭尾擊地,此鼠子自知不能保爾許地也。又今與周書,請以十二月遣子,復欲遣孫長緒、張子布隨子俱來,彼二人皆權股肱心腹也。又欲為子於京師求婦,此權無異心之明效也。」帝旣信權甘言,且謂周為得其真,而權但華偽,竟無遣子意。自是之後,帝旣彰權罪,周亦見踈遠,終身不用。

そこで、(そう)()は詔を下してこう言ったよ。
(そん)(けん)は前に、(こう)(しゅう)に対して、自分は決して遠ざかるつもりはなくて、進んで身を委ねて、外にいる臣下として仕えることを喜んでいると言ったんだ。それに、前後の言葉から見ると、繰り返し頭を地につけているよね。これは、(そん)(けん)自身が自分の領地を守れないことを自覚しているからだよ。さらに、今度の手紙では、十二月に息子((そん)(とう))を送ることを約束して、(そん)(ちょう)(しょ)(そん)(しょう))と(ちょう)()()(ちょう)(しょう))を一緒に連れて来させることを望んでいるよね。彼らふたりは(そん)(けん)を支えて信頼できる臣下だよ。その上、都で息子のために妻を探したいとも述べていて、これは(そん)(けん)が裏切りの意図を持たないことの明確な証拠だよ」
(そう)()(そん)(けん)の甘言を信じて、それに(こう)(しゅう)は彼の真実を理解したと考えていたけど、彼の言葉は飾りばかりで、息子を送る意志はなかったんだ。それからは、(そう)()(そん)(けん)の罪を明らかにして、(こう)(しゅう)も遠ざけられちゃって、生涯にわたって使われなかったんだって。

本文

權遂改年,臨江拒守。冬十一月,大風,範等兵溺死者數千,餘軍還江南。曹休使臧霸以輕船五百、敢死萬人襲攻徐陵,燒攻城車,殺略數千人。將軍全琮、徐盛追斬魏將尹盧,殺獲數百。十二月,權使太中大夫鄭泉聘劉備于白帝,始復通也。(註28)(註29)然猶與魏文帝相往來,至後年乃絕。是歲改夷陵為西陵。

(そん)(けん)は年号を改めて、長江に臨んで守ったよ。冬の十一月、大風が吹いて、(りょ)(はん)たちの兵が数千人も溺れ死んだから、残りの軍勢は江南に引き返したよ。(そう)(きゅう)(ぞう)()に、軽舟500隻と敢死兵(命を惜しまない兵)1万人を率いて(じょ)(りょう)を急襲させて、攻城車を焼いて、数千人を傷つけたよ。将軍の(ぜん)(そう)(じょ)(せい)()の将軍の(いん)()を追って斬って、数百人を討ち取ったの。
十二月、(そん)(けん)(たい)(ちゅう)(たい)()(てい)(せん)(りゅう)()のいる(はく)(てい)を訪問させて、彼らとふたたび交流を始めたよ。前と同じように(そう)()との交流は続いたけど、後年になって初めてやめたんだって。この年、()(りょう)を「西(せい)(りょう)」に改称したよ。

(註28)

江表傳曰:權云:「近得玄德書,已深引咎,求復舊好。前所以名西為蜀者,以漢帝尚存故耳,今漢已廢,自可名為漢中王也。」

(こう)(ひょう)(でん)』によると、(そん)(けん)はこう言ったよ。
「最近、(げん)(とく)(りゅう)())から手紙を受け取って、彼は深く反省しているから、昔の友好関係を取り戻したいと考えているの。前に、(しょく)を西方と呼んでいたのは、(かん)の帝がまだ存在していたからで、今は(かん)は廃れているから、(かん)(ちゅう)(おう)と呼んでもいいね」

(註29)

吳書曰:鄭泉字文淵,陳郡人。博學有奇志,而性嗜酒,其閑居每曰:「願得美酒滿五百斛船,以四時甘脆置兩頭,反覆沒飲之,憊即住而啖肴膳。酒有斗升減,隨即益之,不亦快乎!」

()(しょ)』によると、(てい)(せん)は、(あざな)(ぶん)(えん)で、(ちん)郡の出身だよ。彼は博学で独特な志を持っていて、酒が好きなんだって。彼が日々暇を持て余している時、よくこう言っていたよ。
「おいしい酒で満たされた500斛の船が欲しいな。そして、四季のおいしい果物を両側に並べて、ひっくり返して飲み続けたいんだ。疲れたら止めてごちそうを食べるよ。酒が減ったらすぐに補充するの。これ以上の快楽はないだろうね!」

(註29)

權以為郎中。嘗與之言:「卿好於衆中面諫,或失禮敬,寧畏龍鱗乎?」對曰:「臣聞君明臣直,今值朝廷上下無諱,實恃洪恩,不畏龍鱗。」後侍讌,權乃怖之,使提出付有司促治罪。臨出屢顧,權呼還,笑曰:「卿言不畏龍鱗,何以臨出而顧乎?」對曰:「實侍恩覆,知無死憂,至當出閤,感惟威靈,不能不顧耳。」

(そん)(けん)(てい)(せん)(ろう)(ちゅう)に任命したよ。ある時、(そん)(けん)は彼に尋ねたよ。
「あなたはよく人前で率直に意見を言うけど、礼儀を欠いたり、敬意を欠いたりすることがあるんだ。龍鱗(逆鱗)を恐れないの?」
(てい)(せん)は答えたよ。
「私は、君主が賢明であれば、臣下は率直に意見を言うと聞いたことがあるよ。今の朝廷では上も下も隠すことなく意見を言えるから、実に大きな恩恵を頼りにしていて、龍鱗を恐れないよ」
その後、宴会で、(そん)(けん)は彼を脅かして、彼を連れ出して役人に引き渡して、すぐに処罰するように命令したんだ。(てい)(せん)が外へ出る時、何度も振り返ったよ。(そん)(けん)は彼を呼び戻して、笑いながらこう言ったよ。
「あなたは龍鱗を恐れないと言ったけど、どうして出て行く時に振り返ったの?」 (てい)(せん)はこう答えたよ。
「実際、私はあなた((そん)(けん))の恩情を感じていて、死ぬ心配はないと知っていたんだ。でも、門を出る時、威光を思い起こして、振り返らずにはいられなかったの」

(註29)

使蜀,劉備問曰:「吳王何以不荅吾書,得無以吾正名不宜乎?」泉曰:「曹操父子陵轢漢室,終奪其位。殿下託為宗室,有維城之責,不荷戈執殳為海內率先,而於是自名,未合天下之議,是以寡君未復書耳。」備甚慙恧。泉臨卒,謂同類曰:「必葬我陶家之側,庶百歲之後化而成土,幸見取為酒壺,實獲我心矣。」

(しょく)に使者として行った時、(りゅう)()が尋ねたよ。
「どうして()(おう)(そん)(けん))は私の手紙に返事をしないの? 私が自ら正統を名乗ったこと(帝になる)が不適切だということなの?」
(てい)(せん)はこう答えたよ。
(そう)(そう)父子が(かん)の王朝を踏みにじって、最終的に帝の地位を奪ったよね。あなたは宗室((かん)の皇族)を名乗っているから、国家を守る責任があるよ。なのに、武器を取って国を守るのではなくて、自ら帝を名乗ることは、天下の意見に合わないんだ。だから、私の君主はまだ返事をしなかったの」
これを聞いた(りゅう)()はすごく恥じ入ったよ。
(てい)(せん)は亡くなる時に、仲間にこう言ったよ。
「私を必ず陶家の側に埋葬してね。そうすれば、100年後に土になって、幸いなことに酒壺として使われて、私の望みは叶うから」

江陵の戦い

本文

二年春正月,曹真分軍據江陵中州。是月,城江夏山。改四分,用乾象歷。(註30)(註31)三月,曹仁遣將軍常彫等,以兵五千,乘油舩,晨渡濡須中州。仁子泰因引軍急攻朱桓,桓兵拒之,遣將軍嚴圭等擊破彫等。是月,魏軍皆退。夏四月,權羣臣勸即尊號,權不許。(註32)劉備薨于白帝。(註33)

黄武2年(223年)、春の正月、(そう)(しん)は軍を分けて(こう)(りょう)の中州に駐屯したよ。この月、(こう)()山に城を築いたよ。四分暦を改めて、(けん)(しょう)(れき)を採用したんだって。

(註30)

江表傳曰:權推五德之運,以為土行用未祖辰臘。

(こう)(ひょう)(でん)』によると、(そん)(けん)は五徳の運行を推測して、土行を使って未の日は先祖を、辰の日は生贄を祀ることにしたよ。

(註31)

志林曰:土行以辰臘,得其數矣。土盛於戌,而以未祖,其義非也。土生於未,故未為坤初。是以月令:建未之月,祀黃精於郊,祖用其盛。今祖用其始,豈應運乎?

()(りん)』によると、土行は辰の日の(ろう)にあって、その数を得ているよ。土は戌で盛りを迎えて、未に祖とすることは理にかなっていないよ。土は未で生じるから、未が坤の最初だよ。だから、月令に従って、建未の月に黄精を郊で祭るのは、土が盛りを迎える時期で、その豊穣を先祖に捧げるべきだよね。今、先祖に捧げるのは始まりの時だから、これを運行にかなうとは言えないよ。

本文

三月,曹仁遣將軍常彫等,以兵五千,乘油舩,晨渡濡須中州。仁子泰因引軍急攻朱桓,桓兵拒之,遣將軍嚴圭等擊破彫等。是月,魏軍皆退。夏四月,權羣臣勸即尊號,權不許。(註32)劉備薨于白帝。(註33)

三月、(そう)(じん)は将軍の(じょう)(ちょう)たちに、5,000の兵を率いて油船に乗せて、早朝に(じゅ)(しゅ)の中州を渡らせたよ。(そう)(じん)の子である(そう)(たい)は軍を引き連れて急襲して、(しゅ)(かん)を攻めたけど、(しゅ)(かん)の軍はこれに対抗して、将軍の(げん)(けい)たちが(じょう)(ちょう)たちを撃破したよ。この月、()の軍は全て退いたんだ。
夏の四月、(そん)(けん)の臣下たちは皇帝へ即位することを勧めたけど、(そん)(けん)はこれを許さなかったの。(りゅう)()(はく)(てい)で亡くなったよ。

(註32)

江表傳曰:權辭讓曰:「漢家堙替,不能存救,亦何心而競乎?」羣臣稱天命符瑞,固重以請。權未之許,而謂將相曰:「往年孤以玄德方向西鄙,故先命陸遜選衆以待之。聞北部分,欲以助孤,孤內嫌其有挾,若不受其拜,是相折辱而趣其速發,便當與西俱至,二處受敵,於孤為劇,故自抑桉,就其封王。低屈之趣,諸君似未之盡,今故以此相解耳。」

(こう)(ひょう)(でん)』によると、(そん)(けん)は辞退してこう言ったよ。
(かん)の帝室は乱れて、私はそれを救えなかったんだ。どうして争い合うことができるの?」
臣下たちは天命のしるしをたたえて強く求めたけど、(そん)(けん)はこれを許さなくて、将たちに対してこう言ったよ。
「昔、私は(げん)(とく)(りゅう)())が西の辺境に向かうと考えて、まず(りく)(そん)に命令して兵を選んで、それに備えさせたよ。北(())からの援軍が来ると聞いて、私を助けてほしかったけど、彼らが私を挟むつもりがあると疑ったよ。その申し出を受け入れないでいたら、彼らは私を侮辱して、急いで出発することを求めてきて、西方で敵と戦うことになりかねないんだ。二方面で敵に直面することは私にとって大変な事態なんだ。だから、私はあえて抑えて、彼らに王にしてくれることを求めたんだ。あなたたちには十分に伝わっていないように思うけど、今、この話を解き明かしておくね」

(註33)

吳書曰:權遣立信都尉馮熙聘于蜀,弔備喪也。熙字子柔,潁川人,馮異之後也。權之為車騎,熙歷東曹掾,使蜀還,為中大夫。後使于魏,文帝問曰:「吳王若欲脩宿好,宜當厲兵江關,縣旍巴蜀,而聞復遣脩好,必有變故。」熙曰:「臣聞西使直報問,且以觀釁,非有謀也。」

()(しょ)』によると、(そん)(けん)(りっ)(しん)()()(ふう)()(しょく)に向かわせて、(りゅう)()の葬儀に弔問させたよ。
(ふう)()は、(あざな)()(じゅう)で、(えい)(せん)の出身で、(ふう)()の子孫なんだって。(そん)(けん)(しゃ)()(しょう)(ぐん)になった時、(ふう)()(とう)(そう)(えん)になって、(しょく)に使者として送られて、(ちゅう)(たい)()になったよ。
後に()に使者として送られた時、(そう)()は尋ねたよ。
「呉王((そん)(けん))が昔の友好関係を修復したいなら、兵を江関に集めて、()(しょく)に軍旗を立てるべきだよ。でも、友好関係の修復の報せを聞いているよ。必ず何か変事が起こるだろうね」
(ふう)()はこう答えたよ。
「私は、西への使者はただ報告を求めているだけで、状況を観察して、何かを企んでいるわけではないよ」

(註33)

又曰:「聞吳國比年災旱,人物彫損,以大夫之明,觀之何如?」熙對曰:「吳王體量聦明,善於任使,賦政施役,每事必咨,敬養賔旅,親賢愛士,賞不擇怨仇,而罰必加有罪,臣下皆感恩懷德,惟忠與義。帶甲百萬,穀帛如山,稻田沃野,民無饑歲,所謂金城湯池,彊富之國也。以臣觀之,輕重之分,未可量也。」

それに、(そう)()はこう言ったよ。
()国は最近干ばつに見舞われて、人が苦しんでいると聞くけど、あなたの国の君主についてどう思う?」
(ふう)()は答えたよ。
()(おう)(そん)(けん))は聡明で洞察力があって、人材を適材適所に置いて使うことが得意だよ。政治を施して、事業を行うときには、必ず意見を聞いて、客を敬って、賢人や士人を親しく愛したよ。功績のある人には公正に賞を与えて、罪がある者には必ず罰を与えるよ。臣下はみんなその恩徳に感謝して、忠義を尽くしているの。100万の兵がいるし、穀物や織物は山のようにあって、肥沃な田畑が広っていて、民は飢えに苦しむことはないよ。いわゆる金城湯池(堅固で攻め難い国)で、強く豊かな国なんだ。私の見たところ、軽々しくその強弱を判断することはできないよ」

(註33)

帝不恱,以陳羣與熙同郡,使羣誘之,啗以重利。熙不為迴。送至摩陂,欲困苦之。後又召還,未至,熙懼見迫不從,必危身辱命,乃引刀自刺。御者覺之,不得死。權聞之,垂涕曰:「此與蘇武何異?」竟死於魏。

(そう)()は不機嫌になって、(ちん)(ぐん)(ふう)()と同じ郡の出身であることを知って、(ちん)(ぐん)に命令して(ふう)()を誘惑して、大きな利益を餌に引き寄せようとしたよ。でも、(ふう)()はそれに従わなかったんだ。
彼が()()に送られたとき、(そう)()は彼を苦しめようとしたよ。後にまた呼び出されたけど、着く前に、迫られて従わなければ身を危うくするし、命を辱めることになると恐れて、自ら刀で刺したんだ。御者が気づいたから、命を落とすことはできなかったんだ。(そん)(けん)はこれを聞いて涙を流して、こう言ったよ。
「これは()()と何が違うの?」
結局、(ふう)()は魏で亡くなったよ。

本文

五月,曲阿言甘露降。先是戲口守將晉宗殺將王直,以衆叛如魏,魏以為蘄春太守,數犯邊境。六月,權令將軍賀齊督麋芳、劉邵等襲蘄春,邵等生虜宗。冬十一月,蜀使中郎將鄧芝來聘。(註34)

五月、(きょく)()で甘露が降ったよ。これより前に、()(こう)を守る将である(しん)(そう)が将の(おう)(ちょく)を殺して、たくさんの人たちが()に寝返っちゃったの。()は彼を()(しゅん)(たい)(しゅ)(郡の長官)にして、彼は何度も国境を侵犯したよ。六月、(そん)(けん)は将軍の()(せい)に指揮させて、()(ほう)(りゅう)(しょう)たちに()(しゅん)を襲撃させたよ。(りゅう)(しょう)たちは(しん)(そう)を生け捕りにしたんだ。
冬の十一月、(しょく)から(ちゅう)(ろう)(しょう)(とう)()が使者としてやってきたよ。

(註34)

吳歷曰:蜀致馬二百匹,錦千端,及方物。自是之後,聘使往來以為常。吳亦致方土所出,以荅其厚意焉。

()(れき)』によると、(しょく)からは馬200頭や錦1,000端、さらに様々な物品が贈られたよ。それから、使者の往来が日常的に行われるようになったよ。()もまた、その厚意に報いるために地方の産物を贈ったよ。

広陵の戦い

本文

三年夏,遣輔義中郎將張溫聘于蜀。秋八月,赦死罪。九月,魏文帝出廣陵,望大江,曰「彼有人焉,未可圖也」,乃還。(註35)(註36)

黄武3年(224年)、夏、()()(ちゅう)(ろう)(しょう)(ちょう)(おん)を使者として(しょく)に送ったよ。
秋の八月、死刑を赦したよ。九月、(そう)()(こう)(りょう)を出て大きな長江を眺めて、「そこに人がいるけど、まだ攻めることはできない」と言って帰ったよ。

(註35)

干寶晉紀曰:魏文帝之在廣陵,吳人大駭,乃臨江為疑城,自石頭至于江乘,車以木楨,衣以葦席,加采飾焉,一夕而成。魏人自江西望,甚憚之,遂退軍。權令趙達筭之,曰:「曹丕走矣,雖然,吳衰庚子歲。」權曰:「幾何?」達屈指而計之,曰:「五十八年。」權曰:「今日之憂,不暇及遠,此子孫事也。」

(かん)(ぽう)の『(しん)()』によると、(そう)()(こう)(りょう)にいたとき、()の人たちはとても驚いて、偽物の城を川岸に築いたんだ。それは、(せき)(とう)(じょう)から(こう)(じょう)にかけて、木の柱で車を作って、葦で編んだ敷物で覆って、装飾を施して、一晩で完成したよ。()の人たちは長江の西から見て、とても恐れちゃって、軍は退却したよ。(そん)(けん)(ちょう)(たつ)にこれを占わせて、(ちょう)(たつ)はこう言ったよ。
(そう)()は逃げたけど、それでも()の勢いは弱くなっていて、庚子の年にはますます衰えるだろうね」
(そん)(けん)はこう言ったよ。
「具体的には何年?」
(ちょう)(たつ)は答えたよ。
「五十八年だよ」
(そん)(けん)はこう言ったよ。
「今日の心配は遠く及ばないし、これは後の世の問題だよ」

(註36)

吳錄曰:是歲蜀主又遣鄧芝來聘,重結盟好。權謂芝曰:「山民作亂,江邊守兵多徹,慮曹丕乘空弄態,而反求和。議者以為內有不暇,幸來求和,於我有利,宜當與通,以自辨定。恐西州不能明孤赤心,用致嫌疑。孤土地邊外,閒隙萬端,而長江巨海,皆當防守。丕觀釁而動,惟不見便,寧得忘此,復有他圖。」

()(ろく)』によると、この年、(りゅう)(ぜん)はふたたび(とう)()を送ってきて、同盟を結んだよ。(そん)(けん)(とう)()にこう言ったよ。
「山の民が反乱を起こして、長江の岸辺の守備兵は多くが撤退しちゃった。(そう)()がこの隙を突いて何かを企むのではないかと心配したけど、反対に和平を求めてきたよ。議論の中では、内部で手が回らないから、彼らが和平を求めてくることは私たちにとって有利で、これに応じて交渉を進めて、自らの立場を明確にすべきだとされているよ。でも、西の州で私の真心が明確にされないと、疑いをかけられるかも。私は辺境に位置していて、さまざまな困難を抱えていて、長江や大海の防備を怠ることはできないんだ。(そう)()は隙を見つけて動こうとしているけど、今は不利な状況で動けないだけで、都合の良いことは見えないんだ。これを忘れないで、別の企てをしているに違いないよ」

本文

四年夏五月,丞相孫邵卒。(註37)(註38)六月,以太常顧雍為丞相。(註39)皖口言木連理。冬十二月,鄱陽賊彭綺自稱將軍,攻沒諸縣,衆數萬人。是歲地連震。(註40)

黄武4年(225年)、夏の五月、(じょう)(しょう)(そん)(しょう)が亡くなったんだ。六月、(たい)(じょう)()(よう)が新しく(じょう)(しょう)に任命されたよ。(かん)(こう)で「木連理」という言葉が広まったんだって。
冬の十二月、()(よう)で賊の(ほう)()が将軍を自称して、各地の県を攻めて、数万人を率いたんだ。この年は地震がよく起こったんだって。

木連理は、異なる根を持つ木なのに上の枝が一緒に成長した木だよ。縁起が良いと信じられているらしいよ。『()(りゃく)』に、(そう)()さんが()(おう)に即位したときに木連理が現れたとあるよ(『(げい)(もん)(るい)(じゅう)』を見てね)。

(註37)

吳錄曰:邵字長緒,北海人,長八尺。為孔融功曹,融稱曰「廊廟才也」。從劉繇於江東。及權統事,數陳便宜,以為應納貢聘,權即從之。拜廬江太守,遷車騎長史。黃武初為丞相,威遠將軍,封陽羨侯。張溫、曁豔奏其事,邵辭位請罪,權釋令復職,年六十三卒。

()(ろく)』によると、(そん)(しょう)は、(あざな)(ちょう)(しょ)で、(ほっ)(かい)の出身だよ。身長は8尺あるんだって。(こう)(ゆう)(こう)(そう)を務めて、彼からは「(ろう)(びょう)の才」と称されたんだよ。(りゅう)(よう)に従って江東に入って、後に(そん)(けん)が政権を握るようになると、彼は何度も自分の意見を述べて、貢物と使者を受け入れるべきだと主張して、(そん)(けん)はそれに従ったよ。彼は()(こう)(たい)(しゅ)(郡の長官)に任命されて、その後、(しゃ)()(ちょう)()に昇進したよ。黄武元年(222年)には(じょう)(しょう)になって、()(えん)(しょう)(ぐん)にも任命されて、(よう)(せん)(こう)に封ぜられたよ。(ちょう)(おん)()(えん)が彼の功績を奏上したけど、彼は位を辞退して罪を求めたんだ。(そん)(けん)は彼をふたたび職に就かせたよ。(そん)(しょう)は63歳で亡くなったんだ。

(註38)

志林曰:吳之創基,邵為首相,史無其傳,竊常恠之。嘗問劉聲叔。聲叔,博物君子也,云:「推其名位,自應立傳。項竣、吴孚時已有注記,此云與張惠恕不能。後韋氏作史,蓋惠恕之黨,故不見書。」

()(りん)』によると、()の建国の時、(そん)(しょう)(じょう)(しょう)を務めたけど、彼の記録は残っていなくて、私(()())はいつもそれを残念に思っているんだ。昔、私は(りゅう)(せい)(しゅく)に尋ねたよ。彼は博識な人で、こう言ったよ。
「彼の名声や地位から考えると、伝記が立てられるべきだよね。(こう)(しゅん)(てい)()の時代にはすでに記録があるけど、(ちょう)(けい)(じょ)(ちょう)(おん))が許さなかったのかも。後に()()()(しょう))が歴史書を作った時、彼らは(ちょう)(けい)(じょ)の派閥だったから、その記録が見当たらないんだ」

(註39)

吳書曰:以尚書令陳化為太常。化字元耀,汝南人,博覽衆書,氣幹剛毅,長七尺九寸,雅有威容。為郎中令使魏,魏文帝因酒酣,嘲問曰:「吳、魏峙立,誰將平一海內者乎?」化對曰:「易稱帝出乎震,加聞先哲知命,舊說紫蓋黃旗,運在東南。」帝曰:「昔文王以西伯王天下,豈復在東乎?」化曰:「周之初基,太伯在東,是以文王能興於西。」帝笑,無以難,心奇其辭。使畢當還,禮送甚厚。

()(しょ)』によると、(しょう)(しょ)(れい)(ちん)()(たい)(じょう)に任命したよ。(ちん)()は、(あざな)(げん)耀(よう)で、(じょ)(なん)の出身だよ。たくさんの書物を知っていて、気質は剛毅で、身長は7尺9寸あって、風格があって威厳を備えているんだって。彼が郎中令(ろうちゅうれい)として()に送られた時、(そう)()は酒宴で酔いが回る中、嘲笑しながらこう尋ねたよ。
()()が対立しているけど、誰が天下を平定するの?」
(ちん)()は答えたよ。
「『(えき)(きょう)』には『帝が震の方位から出る』とあって、先人の知恵によれば、紫蓋の旗と黄旗が東南に天命があると伝えられているよ」
(そう)()はこう言ったよ。
「昔、(しゅう)(ぶん)(おう)西(せい)(はく)として天下を治めたけど、それでも東に運行があるの?」
(ちん)()は答えたよ。
(しゅう)の王朝の最初の基盤は、(たい)(はく)が東にいたからこそ、(ぶん)(おう)が西で興ることができたの」
(そう)()は笑って、反論できなくて、その言葉に感心したよ。(ちん)()が任務を終えて帰る時、(そう)()は厚く礼を尽くして送ったよ。

(註39)

權以化奉命光國,拜犍為太守,置官屬。頃之,遷太常,兼尚書令。正色立朝,勑子弟廢田業,絕治產,仰官廩祿,不與百姓爭利。妻早亡,化以古事為鑒,乃不復娶。權聞而貴之,以其年壯,勑宗正妻以宗室女,化固辭以疾,權不違其志。年出七十,乃上疏乞骸骨,遂爰居章安,卒於家。長子熾,字公熙,少有志操,能計筭。衞將軍全琮表稱熾任大將軍,赴召,道卒。

(そん)(けん)は、(ちん)()が国を照らす役割を果たしたとして、彼を(けん)()(たい)(しゅ)(郡の長官)に任命して、役人を置いたよ。しばらくして、(たい)(じょう)に昇進して、(しょう)(しょ)(れい)も兼任したよ。彼はまじめに朝廷に立って、子弟に農業を廃止して、生産を断って、官職の給与を得て、民と利益を争わないように命令したんだ。妻が早くに亡くなっちゃって、(ちん)()は古い事例を参考にして、再婚しないことにしたんだって。(そん)(けん)はこれを聞いて彼を尊重して、(ちん)()の年齢と経験を考えて、宗族の女性との結婚を勧めたけど、(ちん)()は病気を理由に固く辞退したんだ。(そん)(けん)は彼の意志を尊重したよ。(ちん)()は70歳で、遺言を上奏して骨を埋葬することを願い出たよ。最終的に(しょう)(あん)に移り住んで、家で亡くなったよ。
長男の(ちん)()は、(あざな)(こう)()で、幼い頃から誠実さがあって、計算に優れていたよ。(えい)(しょう)(ぐん)(ぜん)(そう)(ちん)()(たい)(しょう)(ぐん)に推薦したけど、その職に就こうとする道中で亡くなったんだ。

(註40)

吳錄曰:是冬魏文帝至廣陵,臨江觀兵,兵有十餘萬,旌旗彌數百里,有渡江之志。權嚴設固守。時大寒冰,舟不得入江。帝見波濤洶涌,歎曰:「嗟乎!固天所以隔南北也!」遂歸。孫韶又遣將高壽等率敢死之士五百人於徑路夜要之,帝大驚,壽等獲副車羽蓋以還。

()(ろく)』によると、この冬、(そう)()(こう)(りょう)に着いて、長江で兵を視察したよ。兵は10万人以上で、旗印が何百里も続いて、長江を渡ろうとしていたんだ。孫権は固く守りを整えたよ。当時は大寒波で凍って、船が長江に入れなかったんだって。(そう)()は波が荒れ狂うのを見て、ため息をついてこう言ったよ。
「ああ、これは天が南北を隔てるためにあるんだろうな!」
こうして彼は帰ったよ。
(そん)(しょう)はさらに将の(こう)寿(じゅ)たちに命令して、夜の間に(そん)(けん)の帰る道を急襲するために、500人の兵を率いさせたよ。(そう)()はとてもびっくりして、(こう)寿(じゅ)たちは副車の羽蓋を手に入れて持ち帰ったよ。

石陽の戦い

本文

五年春,令曰:「軍興日乆,民離農畔,父子夫婦,不能相卹,孤甚愍之。今北虜縮竄,方外無事,其下州郡,有以寬息。」是時陸遜以所在少穀,表令諸將增廣農畒。權報曰:「甚善。今孤父子親自受田,車中八牛以為四耦,雖未及古人,亦欲與衆均等其勞也。」

黄武5年(226年)、春、(そん)(けん)命令を下してこう言ったよ。
「軍の動員が日に日に進んで、民が農業から離れちゃって、父と子や夫婦が協力できないことを私はとても心配しているんだ。今、北の敵(())が退いていて、外に問題がないから、州や郡には休みをとるための余裕があるよ」
この時、(りく)(そん)は自分の地域が穀物不足だから、将や兵に農地を拡大させるように上表したよ。(そん)(けん)はこう答えたよ。
「とてもいいね。今、私と子供たちは自分で田畑を耕して、車には牛8頭を4組として使うよ。古人には及ばないけど、民と労働を平等に分かち合いたいと思うよ」

本文

秋七月,權聞魏文帝崩,征江夏,圍石陽,不克而還。蒼梧言鳳皇見。分三郡惡地十縣置東安郡,(註41)以全琮為太守,平討山越。

秋の七月、(そん)(けん)(そう)()が亡くなったことを聞いて、(こう)()を攻めて、(せき)(よう)を包囲したけど、成功しなくて引き返したよ。
(そう)()では鳳皇が現れたんだって。3つの郡を分けて、不毛な土地を含む10つの県を(とう)(あん)郡として、(ぜん)(そう)(たい)(しゅ)(郡の長官)に任命して、(さん)(えつ)族を鎮圧したよ。

(註41)

吳錄曰:郡治富春也。

()(ろく)』によると、(とう)(あん)郡の行政の場所は()(しゅん)だよ。

本文

冬十月,陸遜陳便宜,勸以施德緩刑,寬賦息調。又云:「忠讜之言,不能極陳,求容小臣,數以利聞。」權報曰:「夫法令之設,欲以遏惡防邪,儆戒未然也,焉得不有刑罰以威小人乎?此為先令後誅,不欲使有犯者耳。君以為太重者,孤亦何利其然,但不得已而為之耳。今承來意,當重諮謀,務從其可。且近臣有盡規之諫,親戚有補察之箴,所以匡君正主明忠信也。書載『予違汝弼,汝無面從』,孤豈不樂忠言以自裨補邪?而云「不敢極陳」,何得為忠讜哉?

冬の十月、(りく)(そん)が利点を述べて、良い政治をして、刑罰を和らげて、税を軽減するように勧めたよ。そしてこう言ったよ。
「忠誠で正直な言葉は、頑張っても言い尽くせないよ。小さな人が利益を求めて言葉を述べることが何度もあるよ」
(そん)(けん)はこう答えたよ。
「そもそも法令を設けるのは、悪を抑えて、邪悪を防ぐためで、未然に警戒を促すためだよ。どうして刑罰がなくて、小さな人に威を示せるの? これは先に法令を定めて、その後に罰を与えるというもので、誰も違反する者が出ないようにしたいという意図に過ぎないよ。あなたがこれを重すぎると考えるなら、私もそれを望んでいるわけではなくて、やむを得ずそうしているの。今、あなたの意見を受け入れて、さらによく相談して、できる限り実行可能なものを採用するね。
それに、近い臣下が全力で意見をしてくれて、親戚が不正を補うための助言をするのは、君主を正しく導いて、忠信を明らかにするためのものだよ。『(しょ)(きょう)』には『私が間違っていたらあなたは助けるべきで、あなたは表面的に同調してはいけない』とあるよ。私は忠告を受け入れて、自己を改善することを望まないと思うの? それなのに『頑張っても言い尽くせない』と言うのは、どうして本当に忠誠で正直な言葉といえるの?

本文

若小臣之中,有可納用者,寧得以人廢言而不採擇乎?但諂媚取容,雖闇亦所明識也。至於發調者,徒以天下未定,事以衆濟。若徒守江東,脩崇寬政,兵自足用,復用多為?顧坐自守可陋耳。若不豫調,恐臨時未可便用也。又孤與君分義特異,榮戚實同,來表云不敢隨衆容身苟免,此實甘心所望於君也。」於是令有司盡寫科條,使郎中褚逢齎以就遜及諸葛瑾,意所不安,令損益之。是歲,分交州置廣州,俄復舊。(註42)

もし小さな臣下の中に、使うべき価値のある人がいるなら、その人の欠点を理由に言葉を無視して採用しないということがあっていいの? ただし、へつらいや媚びを売って自己の立場を保とうとする人については、私は疎いかもしれないけど、明らかに識別できるものだよね。
兵を徴発することについては、天下が未だ定まらないから、たくさんの人の力によって事を成すためにしているにすぎないよ。ただ江東に守るだけで、寛大な政策をすすめるなら、兵は自然に足りて、さらに多くを徴発する必要があるの? ただ座して自らを守るだけでは、見苦しい行動だと思うよ。もし事前に徴発をしなければ、時が来たときに適切に使えない恐れがあるよ。
それに、私とあなたの間には特別な義が分かちあっていて、喜びも悲しみも共にするものだよ。あなたが表で述べたように、みんなに従って身を守って、身を守ることはしないと言うのは、私があなたに期待していたことで、心からその覚悟を喜んで受け止めているよ」
それで、役人に法の規定をすべて書き出させて、(ろう)(ちゅう)(しょ)(ほう)がそれを持って(りく)(そん)(しょ)(かつ)(きん)のところに行って、不安な点や修正すべき点を指摘したよ。
この年、(こう)州を分けて(こう)州を置いたけど、すぐに元に戻したんだ。

(註42)

江表傳曰:權於武昌新裝大船,名為長安,試泛之釣臺沂。時風大盛,谷利令柂工取樊口。權曰:「當張頭取羅州。」利拔刀向柂工曰:「不取樊口者斬。」工即轉柂入樊口,風遂猛不可行,乃還。權曰:「阿利畏水何怯也?」利跪曰:「大王萬乘之主,輕於不測之淵,戲於猛浪之中,船樓裝高,邂逅顛危,柰社稷何?是以利輒敢以死爭。」權於是貴重之,自此後不復名之,常呼曰谷。

(こう)(ひょう)(でん)』によると、(そん)(けん)()(しょう)で新しく大きな船を造って、「(ちょう)(あん)」と名付けたよ。それを釣台沂で試しに浮かべたけど、その時、風がすごく強く吹いていたんだ。(こく)()は船の工員に指示して(はん)(こう)を目指すようにしたよ。(そん)(けん)はこう言ったよ。
()(しゅう)に向かうべきだよ」
(こく)()は刀を抜いて工員に向かってこう言ったよ。
(はん)(こう)を舵を取らないなら斬る」
工員はすぐに舵を(はん)(こう)に向けたけど、風がますます強くなって、進めなくなっちゃったから、結局引き返したんだ。(そん)(けん)はこう言ったよ。
「阿利((こく)())、水を恐れていたけど、どうしてそんなに怯えるの?」
(こく)()はひざまずいてこう答えたよ。
「大王((そん)(けん))は万乗の主で、危険な場所を軽く見て、荒波の中で遊んでいるよね。船の楼閣は高く整備されていて、転覆の危険があるんだ。もしも万が一のことがあれば、国家はどうするの? だから私は命をかけて命令したんだ」
(そん)(けん)はこの言葉を聞いて(こく)()を高く評価して、それから彼の名前を使わないで、いつも「谷」と呼ぶようになったんだって。

石亭の戦い

本文

六年春正月,諸將獲彭綺。閏月,韓當子綜以其衆降魏。

黄武6年(227年)、正月、将たちが(ほう)()を捕らえたよ。閏月、(かん)(とう)の子である(かん)(そう)が兵を率いて()に降伏しちゃったの。

本文

七年春三月,封子慮為建昌侯。罷東安郡。夏五月,鄱陽太守周魴偽叛,誘魏將曹休。秋八月,權至皖口,使將軍陸遜督諸將大破休於石亭。大司馬呂範卒。是歲,改合浦為珠官郡。(註43)

黄武7年(228年)、春の三月、(そん)(けん)は息子の(そん)(りょ)(けん)(しょう)(こう)に封じたよ。(とう)(あん)郡を廃止したよ。
夏の五月、()(よう)(たい)(しゅ)(郡の長官)の(しゅう)(ほう)が偽って反乱を起こして、()の将軍である(そう)(きゅう)を誘導したよ。秋の八月、(そん)(けん)(かん)(こう)に着いて、将軍の(りく)(そん)が指揮して、(せき)(てい)(そう)(きゅう)を大敗させたよ。(だい)()()(りょ)(はん)が亡くなったんだ。この年、(がっ)()を「(しゅ)(かん)」郡に改称したよ。

(註43)

江表傳曰:是歲將軍翟丹叛如魏。權恐諸將畏罪而亡,乃下令曰:「自今諸將有重罪三,然後議。」

(こう)(ひょう)(でん)』によると、この年、将軍の(てき)(たん)()に降伏したんだ。(そん)(けん)は、他の将たちも罪を恐れて逃亡することを恐れて、命令を下してこう言ったよ。
「今後、将たちが重大な罪を犯した場合は、それを審議するよ」

続き → 正史『三国志』呉書呉主伝をゆるゆる翻訳するよ! その 3

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