正史『三国志』「呉書太史慈伝」をゆるゆる翻訳するよ!

正史『三国志』「呉書太史慈伝」をゆるゆる翻訳するよ!

はじめに

ChatGPT の力を借りて、正史『三国志』の 「呉書太史慈伝」 をゆるゆる翻訳するよ!
(たい)()() について書かれているよ!

『三国志』を気軽に楽しく読んでみよう!

出典

三國志 : 吳書四 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。

注意事項

  • ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
  • ChatGPT に意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
  • 第三者による学術的な検証はしていないよ。

翻訳の詳細は「ChatGPT と協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。

真面目な日本語訳は書籍が出版されているから、きっちりしっかり知りたい人はそちらを読んでみてね!

正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
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正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

筋は押し通すもの

本文

太史慈字子義,東萊黃人也。少好學,仕郡奏曹史。

(たい)()()は、(あざな)()()で、(とう)(らい)(こう)県の出身だよ。若い頃から学問が好きで、郡の(そう)(そう)()として仕えていたの。

本文

會郡與州有隙,曲直未分,以先聞者為善。時州章已去,郡守恐後之,求可使者。慈年二十一,以選行,晨夜取道,到洛陽,詣公車門,見州吏始欲求通。慈問曰:「君欲通章邪?」吏曰:「然。」問:「章安在?」曰:「車上。」慈曰:「章題署得無誤邪?取來視之。」吏殊不知其東萊人也,因為取章。慈已先懷刀,便截敗之。吏踴躍大呼,言「人壞我章」!

郡と州の間に対立があって、正しいのか間違っているのかわからない場合は、先に朝廷に上奏したほうが有利だったんだって。このとき、州の上奏文はすでに出ていて、郡の(たい)(しゅ)(長官)はそれに遅れないように急いで使者を探していたんだ。(たい)()()は21歳で使者の任務を受けて、昼も夜も関係なく(らく)(よう)へ向かったよ。公車門に着くと、州の役人が上奏文を届けようとしているのを見たんだ。
(たい)()()はこう尋ねたよ。
「あなたは上奏文を届けるの?」
役人は答えたよ。
「そうだよ」
(たい)()()がさらに尋ねたよ。
「上奏文はどこにあるの?」
役人はこう答えたよ。
「車の上だよ」
(たい)()()はこう尋ねたよ。
「写しに間違いはない? 持って来て見せてよ」
役人は(たい)()()(とう)(らい)の人とは知らなくて、上奏文を持って来たんだ。(たい)()()はあらかじめ刀を隠し持っていて、それで上奏文を切り裂いちゃった。役人は驚いて大声でこう叫んだよ。
「この人が私の上奏文を壊した!」

本文

慈將至車間,與語曰:「向使君不以章相與,吾亦無因得敗之,是為吉凶禍福等耳,吾不獨受此罪。豈若默然俱出去,可以存易亡,無事俱就刑辟。」吏言:「君為郡敗吾章,已得如意,欲復亡為?」慈荅曰:「初受郡遣,但來視章通與未耳。吾用意太過,乃相敗章。今還,亦恐以此見譴怒,故俱欲去爾。」吏然慈言,即日俱去。慈旣與出城,因遁還通郡章。州家聞之,更遣吏通章,有司以格章之故不復見理,州受其短。由是知名,而為州家所疾,恐受其禍,乃避之遼東。

(たい)()()は車の間に向かって、役人にこう言ったよ。
「もしあなたが私に上奏文を見せていなければ、私はそれを壊せなかっただろうね。それは災いと幸せが同じであって、私だけがこの罪を受けるわけではないよ。黙って一緒に去ったら、生きているものを亡くなったものに変えられるし、そうしないなら一緒に重い刑罰を受けることになると思うんだ」
役人はこう答えたよ。
「あなたは郡のために私の上奏文を壊して、すでに目的を果たしたよね。どうしてふたたび逃げようとするの?」
(たい)()()はこう答えたよ。
「郡からの命令を受けたとき、私はただ上奏文が通ったかどうかを見るだけだったの。でも、私の過ちで上奏文を壊しちゃったんだ。今戻れば、このことで怒りを買うだろうから、一緒に逃げようと考えたの」
役人はその言葉を聞いて納得して、その日のうちに一緒に去ったよ。
(たい)()()は郡の上奏文を通して、州の()()(長官)はこれを聞いてふたたび役人を送ったけど、役人が先に届いた上奏文を理由に取り扱わなかったから、州は不利な立場に立たされたよ。このことで(たい)()()は名を知られるようになったけど、州の()()に恨まれて、報復を恐れて(りょう)(とう)に避難したよ。

孔融へ恩返し

本文

北海相孔融聞而奇之,數遣人訊問其母,并致餉遺。時融以黃巾寇暴,出屯都昌,為賊管亥所圍。慈從遼東還,母謂慈曰:「汝與孔北海未嘗相見,至汝行後,贍恤殷勤,過於故舊,今為賊所圍,汝宜赴之。」慈留三日,單步徑至都昌。時圍尚未密,夜伺間隙,得入見融,因求兵出斫賊。融不聽,欲待外救。外救未有至者,而圍日偪。

(ほっ)(かい)(しょう)(こう)(ゆう)は、(たい)()()が優れていると聞いて、何度も使者を送って、彼の母に挨拶をして、贈り物を届けたよ。この時、(こう)(ゆう)は黄巾賊の暴乱を避けて()(しょう)に駐屯していたけど、賊の(かん)(がい)に包囲されていたんだ。(たい)()()(りょう)(とう)から帰ってくると、母は彼にこう言ったよ。
「あなたは(こう)(ほっ)(かい)(こう)(ゆう))とは会ったことがないのに、あなたが出発してからというもの、彼は私たちにとても親切に接して、贈り物もしてくれたの。今、彼が賊に囲まれているのだから、あなたは助けに行くべきだよ」
(たい)()()は3日間留まって、その後、ひとりで歩いて()(しょう)に向かったよ。この時、包囲はまだ完全ではなかったから、夜に隙をうかがって城内に入って、(こう)(ゆう)に会ったよ。そして、兵を借りて賊を討つことを願ったけど、(こう)(ゆう)は聞き入れなくて、外からの救援を待とうとしたんだ。でも、外からの救援はまだ着かなくて、包囲は日増しにどんどん厳しくなっちゃった。

本文

融欲告急平原相劉備,城中人無由得出,慈自請求行。融曰:「今賊圍甚密,衆人皆言不可,卿意雖壯,無乃實難乎?」慈對曰:「昔府君傾意於老母,老母感遇,遣慈赴府君之急,固以慈有可取,而來必有益也。今衆人言不可,慈亦言不可,豈府君愛顧之義,老母遣慈之意邪?事已急矣,願府君無疑。」融乃然之。於是嚴行蓐食,須明,便帶鞬攝弓上馬,將兩騎自隨,各作一的持之,開門直出。外圍下左右人並驚駭,兵馬互出。

(こう)(ゆう)(へい)(げん)(しょう)(りゅう)()に急いで知らせようとしたけど、城内の人たちは外に出る手段がなかったんだ。そこで(たい)()()が自ら志願して出向くと申し出たよ。(こう)(ゆう)はこう言ったよ。
「今、賊の包囲がとても厳しくて、たくさんの人たちが無理だと言っているんだ。あなたの意志は強いけど、実際には難しいよね?」
(たい)()()はこう答えたよ。
「昔、あなたは私の老いた母にとても親切にしてくれたよね。母はその恩義に感謝して、あなたの危機を助けるために私を送り出したんだ。確かに私にもやるべきだと思って、私があなたのもとに来ることで必ず役立つはずだと思っていたんだ。今、たくさんの人が無理だと言って、私も無理だと言ったら、それはあなたが私を大切に思う義理に背いて、母が私を送り出した意図にも反することになるの。事態はすでに急を要しているんだ、どうか疑わないで任せてほしいな」
(こう)(ゆう)はこれを聞き入れたよ。(たい)()()は準備を整えて、夜明けを待って、食事を急いで済ませると、弓を持って馬に乗って、2人の従者を連れて、それぞれに的を持たせて門を開けて真っ直ぐに出て行ったよ。外の賊の兵たちはびっくりして、馬や兵が入り乱れていたんだ。

本文

慈引馬至城下塹內,植所持的各一,出射之,射之畢,徑入門。明晨復如此,圍下人或起或卧,慈復植的,射之畢,復入門。明晨復出如此,無復起者,於是下鞭馬直突圍中馳去。比賊覺知,慈行已過,又射殺數人,皆應弦而倒,故無敢追者。

(たい)()()は馬を引いて城の下の塹に行って、持っていた的を1つずつ立たせたよ。そして、それを射てから門に戻ったよ。次の朝も同じようにしたよ。包囲している賊の兵たちは、起きている人もいれば、寝ている人もいたんだ。(たい)()()はふたたび的を立てて射た後、門に戻ったよ。翌朝も同じことをしたけど、もう誰も起きなかったんだ。そこで、(たい)()()は馬に鞭を入れて、包囲を突破して駆け去ったよ。賊が気づいたときには、(たい)()()はすでに通り過ぎていて、数人を射て殺しながら進んでいったよ。矢が当たった人はみんな倒れて、追いかける人はいなかったの。

本文

遂到平原,說備曰:「慈,東萊之鄙人也,與孔北海親非骨肉,比非鄉黨,特以名志相好,有分災共患之義。今管亥暴亂,北海被圍,孤窮無援,危在旦夕。以君有仁義之名,能救人之急,故北海區區,延頸恃仰,使慈冒白刃,突重圍,從萬死之中自託於君,惟君所以存之。」備斂容荅曰:「孔北海知世間有劉備邪!」即遣精兵三千人隨慈。賊聞兵至,解圍散走。融旣得濟,益奇貴慈,曰:「卿吾之少友也。」事畢,還啟其母,母曰:「我喜汝有以報孔北海也。」

こうして(へい)(げん)に着いて、(りゅう)()にこう言ったよ。
「私は(とう)(らい)の田舎者で、(こう)(ほっ)(かい)(こう)(ゆう))とは血縁も無くて、同じ郷里の出身でもないんだ。ただ、志を同じくする友として、災いを分かち合う義を感じているんだ。今、(かん)(がい)が暴れ回って、彼は包囲されて孤立無援で、危機は差し迫っているの。あなたには仁義による名声があって、人を救えると信じているからこそ、彼は望みをあなたに託して、私に送って包囲を突破させたんだ。助けられるのはあなただけなんだ」
(りゅう)()はまっすぐにこう答えたよ。
(こう)(ほっ)(かい)はこの世に(りゅう)()がいると知っていたの!」
そして、精鋭の兵3,000人を(たい)()()に従わせたよ。賊は兵が来ると聞いて、包囲を解いて散り散りに逃げちゃった。(こう)(ゆう)は救われて、(たい)()()をますます尊敬して、こう言ったよ。
「あなたは私の少ない友だよ」
任務を果たした後、(たい)()()は帰って母に報告したよ。母はこう言ったよ。
「私はあなたが(こう)(ほっ)(かい)に恩返しできたことが嬉しいの」

孫策との一騎討ち

本文

楊州刺史劉繇與慈同郡,慈自遼東還,未與相見,暫渡江到曲阿見繇,未去,會孫策至。或勸繇可以慈為大將軍,繇曰:「我若用子義,許子將不當笑我邪?」但使慈偵視輕重。時獨與一騎卒遇策。策從騎十三,皆韓當、宋謙、黃蓋輩也。慈便前鬬,正與策對。策刺慈馬,而擥得慈項上手戟,慈亦得策兜鍪。會兩家兵騎並各來赴,於是解散。

(よう)(しゅう)()()(州の長官)の(りゅう)(よう)(たい)()()と同じ郡の出身だけど、(たい)()()(りょう)(とう)から戻った時は、まだ(りゅう)(よう)と会っていなかったんだ。しばらくしてに長江を渡って、(きょく)()(りゅう)(よう)に会ったよ。まだ(たい)()()が去らないうちに、(そん)(さく)が着いたよ。
ある人が(りゅう)(よう)に、(たい)()()(たい)(しょう)(ぐん)にするように勧めたけど、(りゅう)(よう)はこう言ったよ。
「もし私が()()(たい)()())を使ったら、(きょ)()(しょう)(きょ)(しょう))に笑われないかな?」
それで(たい)()()に偵察をさせるだけにしたんだ。
この時、(たい)()()はただ1人の騎兵だけを連れていて、(そん)(さく)に出会ったよ。(そん)(さく)は13人の騎兵を従えていて、彼らは(かん)(とう)(そう)(けん)(こう)(がい)たちだよ。(たい)()()はすぐに戦いを挑んで、(そん)(さく)と向かい合ったよ。(そん)(さく)(たい)()()の馬を刺して、(たい)()()の頭の上から手戟を掴んだけど、(たい)()()もまた(そん)(さく)の兜を掴んだよ。両軍の兵たちが駆けつけたから、戦いはそこで中断されたんだ。

『三国志』の貴重な一騎打ちエピソード。

孫策に下る

本文

慈當與繇俱奔豫章,而遁於蕪湖,亡入山中,稱丹楊太守。是時,策已平定宣城以東,惟涇以西六縣未服。慈因進住涇縣,立屯府,大為山越所附。策躬自攻討,遂見囚執。策即解縛,捉其手曰:「寧識神亭時邪?若卿爾時得我云何?」慈曰:「未可量也。」策大笑曰:「今日之事,當與卿共之。」(註1)(註2)

(たい)()()(りゅう)(よう)と一緒に()(しょう)へ逃げようとしたけど、()()に隠れて山中に入って、(たん)(よう)(たい)(しゅ)(郡の長官)を称したよ。
この時、(そん)(さく)はすでに(せん)(じょう)より東を平定していて、ただ(けい)より西の6つの県がまだ従っていなかったの。(たい)()()(けい)県に進出して駐屯地を立てて、たくさんの(さん)(えつ)族に支持されたよ。(そん)(さく)は自ら攻めて、ついに(たい)()()を捕らえたよ。(そん)(さく)はすぐに彼の縄を解いて、彼の手を取ってこう言ったよ。
(しん)(てい)の時を覚えているかな? もしその時あなたが私を捕らえたらどうなっていたのかな?」
(たい)()()はこう答えたよ。
「それは予測できないよ」
(そん)(さく)は大笑いしてこう言ったよ。
「今日のことは、あなたと一緒に成し遂げよう」

(註1)

吳歷云:慈於神亭戰敗,為策所執。策素聞其名,即解縛請見,咨問進取之術。慈荅曰:「破軍之將,不足與論事。」策曰:「昔韓信定計於廣武,今策決疑於仁者,君何辭焉?」慈曰:「州軍新破,士卒離心,若儻分散,難復合聚;欲出宣恩安集,恐不合尊意。」策長跪荅曰:「誠本心所望也。明日中,望君來還。」諸將皆疑,策曰:「太史子義,青州名士,以信義為先,終不欺策。」明日,大請諸將,豫設酒食,立竿視影。日中而慈至,策大恱,常與參論諸軍事。

()(れき)』によると、(たい)()()(しん)(てい)の戦いで敗れて、(そん)(さく)に捕らえられたんだ。(そん)(さく)は彼の名を前から聞いていたから、縄を解いて会見を求めて、戦略について尋ねたよ。(たい)()()はこう答えたよ。
「負けた軍の将と話す価値はないよ」
(そん)(さく)はこう言ったよ。
「昔、(かん)(しん)(こう)()から計略を聞いたよ。今、私は仁のある人((たい)()())に聞いているのに、あなたはどうして辞退するの?」
(たい)()()はこう答えたよ。
「州の軍は敗れたばかりで、兵の心は離れているの。もしこのまま分散したら、ふたたび集まるのは難しいと思うよ。あなたの恩を示して安定を図ることを望むけど、意志に合わないかも」
(そん)(さく)は膝をついてこう答えたよ。
「私の本心で望んでいることだよ。明日中には、あなたが戻ってくるのを望むよ」
将たちはみんな疑ったけど、(そん)(さく)はこう言ったよ。
(たい)()()()(たい)()())は(せい)州で名を知られた士人で、信義を第一とする人だよ。私を欺くなんてしないよ」
翌日、大勢の将たちを招いて酒宴を設けて、日影を見て待ったんだ。正午になると、(たい)()()が戻ってきたよ。(そん)(さく)はとても喜んで、いつも軍事について彼と話し合ったよ。

(こう)()(くん)は、()()(しゃ)という人物だよ。(かん)(しん)に敗れて彼に策を授けたよ。『()()』「(わい)(いん)(こう)(れつ)(でん)」を見てね。

(註1)

臣松之案;吳歷云慈於神亭戰敗,為策所得,與本傳大異,疑為謬誤。

(はい)(しょう)()が調べたところ、『()(れき)』では(たい)()()(しん)(てい)の戦いで敗れて(そん)(さく)に捕らえられたと記されているけど、これは本伝(太史慈伝)とはかなり違うし、誤りではないかと疑うよ。

(註2)

江表傳曰:策問慈曰:「聞卿昔為太守劫州章,赴文舉,詣玄德,皆有烈義,天下智士也,但所託未得其人耳。射鈎斬袪,古人不嫌。孤是卿知己,勿憂不如意也。」出教曰:「龍欲騰翥,先階尺木者也。」

(こう)(ひょう)(でん)』によると、(そん)(さく)(たい)()() にこう尋ねたよ。
「あなたは昔、(たい)(しゅ)(郡の長官)のために州の文書をおびやかして、(ぶん)(きょ)(こう)(ゆう))のもとに行って、(げん)(とく)(りゅう)())を訪ねたと聞いたよ。どれも勇猛な行動で、あなたは天下の知恵ある士人だけど、ただ寄りどころを誤っただけなんだ。鈎を射て、袪を斬るのは、古人も気にしないことだよ。私はあなたの親友となるんだ。心配することは何もないよ」
教えとしてこう言ったよ。
「龍が飛び立とうとするには、まず小さな木に登ることから必要なんだよ」

射鉤は、詳しくは『()()』「(せい)(たい)(こう)(せい)()」や『(しゅん)(じゅう)()()(でん)』「僖公二十四年」を見てね。春秋時代の(かん)(ちゅう)が、(せい)の公子を暗殺しようと矢を放ったけど、帯の留め具に当たって無事だったよ。後に、公子は斉公(つまり(かん)(こう))に即位して、(かん)(ちゅう)を宰相に任命したんだよ。
斬袪は、詳しくは『()()』「(しん)(せい)()」や『(しゅん)(じゅう)()()(でん)』を見てね。

本文

即署門下督,還吳授兵,拜折衝中郎將。後劉繇亡於豫章,士衆萬餘人未有所附,策命慈往撫安焉。(註3)

(たい)()()はすぐに(もん)()(とく)に任命されて、()に戻って兵を授かって、(せっ)(しょう)(ちゅう)(ろう)(しょう)に任命されたよ。
(りゅう)(よう)()(しょう)で亡くなると、1万人以上の兵や民が所属する場所を失ったんだ。(そん)(さく)(たい)()()に彼らをなぐさめて、安定させるように命令したよ。

(註3)

江表傳曰:策謂慈曰:「劉牧往責吾為袁氏攻廬江,其意頗猥,理恕不足。何者?先君手下兵數千餘人,盡在公路許。孤志在立事,不得不屈意於公路,求索故兵,再往纔得千餘人耳。仍令孤攻廬江,爾時事勢,不得不為行。但其後不遵臣節,自棄作邪僭事,諫之不從。丈夫義交,苟有大故,不得不離,孤交求公路及絕之本末如此。

(こう)(ひょう)(でん)』によると、(そん)(さく)(たい)()()にこう言ったよ。
(りゅう)(ぼく)(りゅう)(よう))は、前に私が(えん)()のために()(こう)を攻撃したことを責めたけど、その意図はかなり乱暴で、道理にも欠けていたんだ。どうして? 先君((そん)(けん))の配下の数千人の兵はみんな(えん)(こう)()(えん)(じゅつ))のところにいたよ。私の大義を立てることを志していたけど、仕方なく(えん)(こう)()に頭を下げて兵を求めたんだ。でも、何度も求めてやっと1,000人くらいの兵を取り戻しただけだったの。だから、私は()(こう)を攻めることになって、当時の状況では、従わなきゃいけなかったんだ。でも、その後、彼は臣下としての節を守らないで、自ら道を踏み外して、勝手に皇帝を名乗ったんだ。私がいくら諫めても彼は従わなかったの。義を重んじる交わりで、大きな道義に背くことがあれば、離れるしかないんだ。私が(えん)(こう)()と交流して、それから別れた経緯はこのようなものだよ。

(註3)

今劉繇喪亡,恨不及其生時與共論辯。今兒子在豫章,不知華子魚待遇何如,其故部曲復依隨之否?卿則州人,昔又從事,寧能往視其兒子,並宣孤意於其部曲?部曲樂來者便與俱來,不樂來者且安慰之。并觀察子魚所以牧禦方規何似,視廬陵、鄱陽人民親附之否?卿手下兵,宜將多少,自由意。」

今、(りゅう)(よう)が亡くなって、彼が生きているうちに議論を交わせなかったのが残念だな。今、彼の子が()(しょう)にいるけど、()()(ぎょ)()(きん))がどのように待遇しているのかわからないんだ。(りゅう)(よう)のかつての配下の兵たちは今も()(きん)に従っているのかな? あなたは(りゅう)(よう)と同じ州の出身で、前に彼の下にいたよね。彼の子の様子を見に行って、私の意を彼の部下たちに伝えてくれないかな? 部下の兵の中でこちらに来たい者がいれば一緒に連れて来てきて、来たくない人も慰めてあげてね。それから、()()(ぎょ)がどのように統治しているのか、()(りょう)()(よう)の人たちが親しんでいるかどうかも見てきてほしいの。あなたが兵をどれだけ連れて行くかはあなたの自由だよ」

(註3)

慈對曰:「慈有不赦之罪,將軍量同桓、文,待遇過望。古人報生以死,期於盡節,沒而後已。今並息兵,兵不宜多,將數十人,自足以往還也。」

(たい)()()はこう答えたよ。
「私は許されることのない罪を犯したけど、あなたは(せい)(かん)(こう)(しん)(ぶん)(こう)みたいに寛大に扱ってくれたよ。昔の人たちは、命をもって恩に報いることを期待していたよ。今は兵を休める時期だから、たくさん連れて行く必要はないんだ。数十人で十分だよ」

本文

左右皆曰:「慈必北去不還。」策曰:「子義捨我,當復與誰?」餞送昌門,把腕別曰:「何時能還?」荅曰:「不過六十日。」果如期而反。(註4)

周りの人たちはみんなこう言ったよ。
(たい)()()は必ず北に去って戻ってこないよ」
(そん)(さく)はこう言ったよ。
()()(たい)()())が私を捨てたら、次に誰を頼れるの?」
(そん)(さく)は昌門で見送って、腕を握って別れ際にこう尋ねたよ。
「いつ戻って来られる?」
(たい)()()はこう答えたよ。
「60日は超えないと思うよ」
そして、約束どおりに戻ってきたよ。

(註4)

江表傳曰:策初遣慈,議者紛紜,謂慈未可信,或云與華子魚州里,恐留彼為籌策,或疑慈西託黃祖,假路還北,多言遣之非計。策曰:「諸君語皆非也,孤斷之詳矣。太史子義雖氣勇有膽烈,然非縱橫之人。其心有士謨,志經道義,貴重然諾,一以意許知己,死亡不相負,諸君勿復憂也。」慈從豫章還,議者乃始服。

(こう)(ひょう)(でん)』によると、孫策が(たい)()()を送った当初は、議論する人たちはいろいろ言って、(たい)()()はまだ信用できないと言っていたんだ。ある人は、「(たい)()()()()(ぎょ)()(きん))と同じ州の人だから、きっと彼のために計策を練るのでは?」と言って、また別の人は、「(たい)()()が西に行って(こう)()のところに行って、そこから北に帰るための道を借りるのでは?」と疑って、みんなが彼を送るのは良い策ではないと言っていたんだ。でも、(そん)(さく)はこう言ったよ。
「みんなの言うことはすべて間違っているよ。私はよく考えた上で決断したんだ。(たい)()()()(たい)()())は気概があって胆力もあるけど、策略に長けた人ではないんだ。彼の心には士人の誠実さがあって、道義を大切にして、約束を重んじているよ。知っている人に対しては命を懸けてでも裏切らない。みんなはもう心配しなくていいよ」
(たい)()()が豫章から戻ってくると、議論する人たちはやっと納得したんだよ。

(註4)

慈見策曰:「華子魚良德也,然非籌略才,無他方規,自守而已。又丹楊僮芝自擅廬陵,詐言被詔書為太守。鄱陽民帥別立宗部,阻兵守界,不受子魚所遣長吏,言『我以別立郡,須漢遣真太守來,當迎之耳』。子魚不但不能諧廬陵、鄱陽,近自海昏有上繚壁,有五六千家相結聚作宗伍,惟輸租布於郡耳,發召一人遂不可得,子魚亦覩視之而已。」策拊掌大笑,乃有兼并之志矣。頃之,遂定豫章。

(たい)()()(そん)(さく)に会ってこう言ったよ。
()()(ぎょ)()(きん))は徳のある人物だけど、策略の才はなくて、他の方針もなくて、自分を守るだけだよ。それに、(たん)(よう)の出身の(とう)()()(りょう)を勝手に支配していて、『詔を受けて(たい)(しゅ)(郡の長官)になった』と偽っているんだ。()(よう)の民は有力者が独自に勢力を立てて兵を集めて境を守って、()()(ぎょ)が送った(ちょう)()(行政官)を受け入れないで、『私たちは独立した郡を立てて、(かん)の朝廷から本当の(たい)(しゅ)が来たら迎え入れるだけだ』と言っているよ。()()(ぎょ)()(りょう)()(よう)を統一できないうえに、近くの(かい)(こん)(じょう)(りょう)(へき)に5,000から6,000の家が集まって勢力を作っていて、郡に租税を納めるだけで、兵を取り立てようとしても誰も応じないんだ。()()(ぎょ)もそれを見ているだけで何もできていないんだ。」
(そん)(さく)は手を叩いて大笑いして、()(しょう)の土地を併せる志を抱いたよ。しばらくして、()(しょう)を平定したよ。

本文

劉表從子磐,驍勇,數為寇於艾、西安諸縣。策於是分海昏、建昌左右六縣,以慈為建昌都尉,治海昏,并督諸將拒磐。磐絕跡不復為寇。

(りゅう)(ひょう)の従子の(りゅう)(ばん)は勇猛で、何度も(がい)西(せい)(あん)の各県を襲撃していたんだ。だから(そん)(さく)は、(かい)(こん)(けん)(しょう)の周りの6つの県を分けて、(たい)()()(けん)(しょう)()()に任命して、(かい)(こん)を治めさせたよ。そして、(たい)()()に将たちを統率して(りゅう)(ばん)を防ぐように命令したよ。(りゅう)(ばん)はその後、足跡を絶って、ふたたび襲撃することはなくなったんだよ。

太史慈は弓の名手

本文

慈長七尺七寸,美鬚髯,猨臂善射,弦不虛發。嘗從策討麻保賊,賊於屯裏緣樓上行詈,以手持樓棼,慈引弓射之,矢貫手着棼,圍外萬人莫不稱善。其妙如此。曹公聞其名,遺慈書,以篋封之,發省無所道,而但貯當歸。孫權統事,以慈能制磐,遂委南方之事。年四十一,建安十一年卒。(註5)子享,官至越騎校尉。(註6)

(たい)()()の身長は7尺7寸で、立派な髭を持っていて、猿みたいに長い腕を持っていて、弓が上手いんだよ。彼の矢は無駄に放たれることはなかったんだって。前に、(そん)(さく)に従って()()の賊を討つとき、賊が駐屯地の中の楼上を歩きながら罵っていたんだ。(たい)()()は弓を引いて、賊の手を射抜いて、手を楼に張り付けたよ。この見事な技に、周りの1万人がほめたたえたよ。彼の技量はこのように卓越してたんだよ。
(そう)(そう)は彼の名声を聞いて、(たい)()()に手紙を送ったけど、中身は何も書かれていなくて、ただ(トウ)()(植物)が詰められているだけだったの。
(そん)(けん)が政務を握ると、(たい)()()(りゅう)(ばん)を制することができたから評価して、南方の事を委ねたよ。
彼は41歳で、建安十一年(206年)に亡くなったんだ。子の(たい)()(きょう)は、(えっ)()(こう)()にまで昇進したよ。

7 尺 7 寸は、(かん)の尺では 177 ~ 178cm くらい、魏晋の尺では 184 ~ 185cm くらいかな?
「当帰」で「(まさ)に帰るべし」、「私のところへ帰ってきてよ」という意味だね。(そう)(そう)さんは言葉遊びがお好き。

(註5)

吳書曰:慈臨亡,歎息曰:「丈夫生世,當帶七尺之劒,以升天子之階。今所志未從,柰何而死乎!」權甚悼惜之。

()(しょ)』によると、(たい)()()は亡くなる時に嘆いてこう言ったよ。
「男としてこの世に生まれたからには、7尺の剣を帯びて、天子の階段を昇るべきだよ。今、その志を遂げられないで死ぬなんて、何ということなの!」
(そん)(けん)は深く悼んで惜しんだよ。

(註6)

吳書曰:享字元復,歷尚書、吳郡太守。

()(しょ)』によると、(たい)()(きょう)は、(あざな)(げん)(ふく)で、(しょう)(しょ)()(ぐん)(たい)(しゅ)(郡の長官)になったよ。

陳寿の評価

呉書士燮伝」に併せて記載したよ。

「呉書太史慈伝」は以上だよ!

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