正史『三国志』「魏書董卓伝」をゆるゆる翻訳するよ! その2

はじめに

ChatGPT の力を借りて、正史『三国志』の 「魏書董卓伝」 をゆるゆる翻訳するよ!
(とう)(たく)()(かく)(かく)() について書かれているよ!

『三国志』を気軽に楽しく読んでみよう!

長いから記事を分けたよ。この記事は、董卓死後から最後までだよ。

出典

三國志 : 魏書六 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。

注意事項

  • ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
  • ChatGPT に意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
  • 第三者による学術的な検証はしていないよ。

翻訳の詳細は「ChatGPT と協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。

真面目な日本語訳は書籍が出版されているから、きっちりしっかり知りたい人はそちらを読んでみてね!

正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
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正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

董卓の死後

本文

初,卓女壻中郎將牛輔典兵別屯陝,分遣校尉李傕、郭汜、張濟略陳留、潁川諸縣。卓死,呂布使李肅至陝,欲以詔命誅輔。輔等逆與肅戰,肅敗走弘農,布誅肅。(註37)

前に、(とう)(たく)の娘婿で(ちゅう)(ろう)(しょう)(ぎゅう)()は兵を統率して、別に(せん)に駐屯していたよ。彼は(こう)()()(かく)(かく)()(ちょう)(せい)を分けて送って、(ちん)(りゅう)(えい)(せん)のいくつかの県を略奪させたんだ。(とう)(たく)が死んだ後、(りょ)()()(しゅく)(せん)に送って、詔の命令で(ぎゅう)()を殺そうとしたんだ。(ぎゅう)()たちは反抗して()(しゅく)と戦って、()(しゅく)は敗れて(こう)(のう)に逃げたけど、(りょ)()()(しゅく)を殺したよ。

(註37)

魏書曰:輔恇怯失守,不能自安。常把辟兵符,以鈇鑕致其旁,欲以自彊。見客,先使相者相之,知有反氣與不,又筮知吉凶,然後乃見之。中郎將董越來就輔,輔使筮之,得兊下離上,筮者曰:「火勝金,外謀內之卦也。」即時殺越。

()(しょ)』によると、(ぎゅう)()は怯えて守備も失って、自分の安定を保てなかったの。彼はいつも辟兵符(軍を動かすための令符)を持って、斧と鉞をその傍に置いて、自らの力を示そうとしていたんだって。客が来ると、まず占い師にその人の相を見させて、反逆の気があるかどうかを調べて、さらに吉凶を占ってからようやくその客と会ったよ。
(ちゅう)(ろう)(しょう)(とう)(えつ)(ぎゅう)()を訪ねて、(ぎゅう)()はいつものように彼を占わせたところ、()は「(だい)が下、()が上」となったんだ。占い師はこう言ったよ。
「火は金に勝つ卦だよ。外にある者が中にいる者を謀る卦なんだ」
これを聞いた(ぎゅう)()はすぐに(とう)(えつ)を殺したんだ。

(註38)

獻帝紀云:筮人常為越所鞭,故因此以報之。

(けん)(てい)()』によると、この占い師は前に(とう)(えつ)に鞭打たれたことがあって、それを恨んでこうして報いたらしいよ。

本文

其後輔營兵有夜叛出者,營中驚,輔以為皆叛,乃取金寶,獨與素所厚友胡赤兒等五六人相隨,踰城北渡河,赤兒等利其金寶,斬首送長安。

その後、(ぎゅう)()の陣営の兵が夜に反乱を起こして出て行って、陣営中が驚いて、(ぎゅう)()はすべての兵が反乱したと思い込んだよ。そこで彼は金銀財宝を持って、自分と特に親しかった()(せき)()たち5、6人と一緒に城を越えて北に黄河を渡ったよ。でも、()(せき)()たちはその金や財宝を狙って、(ぎゅう)()を討ち取って首を(ちょう)(あん)に送ったんだ。

荒れた長安

本文

比傕等還,輔已敗,衆無所依,欲各散歸。旣無赦書,而聞長安中欲盡誅涼州人,憂恐不知所為。用賈詡策,遂將其衆而西,所在收兵,比至長安,衆十餘萬,(註39)與卓故部曲樊稠、李蒙、王方等合圍長安城。十日城陷,與布戰城中,布敗走。傕等放兵略長安老少,殺之悉盡,死者狼藉。誅殺卓者,尸王允於市。(註40)(註41)

()(かく)たちが戻ってきたときには、すでに(ぎゅう)()は敗れていて、彼の軍勢は頼る所が無くなって、それぞれ散って故郷へ帰ろうとしていたんだ。でも、罪を免除する書もなくて、さらに(ちょう)(あん)の中では「(りょう)州の人たちをすべて処刑する」といううわさが広まっていて、みんな恐れてどうすべきかわからなくなっちゃった。そこで()()の策に従って、()(かく)たちは兵を率いて西へ向かって、行く先々で兵を集めたよ。(ちょう)(あん)に着く頃には兵は十数万人に達していて、(とう)(たく)の部隊にいた(はん)(ちゅう)()(もう)(おう)(ほう)たちと合流して、(ちょう)(あん)(じょう)を包囲したよ。10日後、城が陥落して、城内で(りょ)()と戦って、(りょ)()は敗れて逃げたよ。その後、()(かく)たちは兵を放って長安の老いた人や幼い人を略奪して、皆殺しにして、死体がいろいろな所に散乱していたんだ。さらに(とう)(たく)を処刑した(おう)(いん)の遺体を市中に晒したよ。

(註39)

九州春秋曰:傕等在陝,皆恐怖,急擁兵自守。胡文才、楊整脩皆涼州大人,而司徒王允素所不善也。及李傕之叛,允乃呼文才、整脩使東解釋之,不假借以溫顏,謂曰:「關東鼠子欲何為邪?卿往呼之。」於是二人往,實召兵而還。

(きゅう)(しゅう)(しゅん)(じゅう)』によると、()(かく)たちが(せん)にいるとき、みんな恐れて、急いで兵を率いて自分たちを守ったよ。()(ぶん)(さい)()(しん))と(よう)(せい)(しゅう)(よう)(てい))はふたりとも(りょう)州の有力者で、()()(おう)(いん)は前から彼らと仲が悪かったんだ。()(かく)が反乱を起こすと、(おう)(いん)()(しん)(よう)(てい)を呼び出して、東に行って説得するように命令して、友好的な態度を見せないでこう言ったよ。
「関東のネズミどもは一体何をしようとしているの? あなたたちが行って呼んで来てね」
そこでふたりは出発したけど、実際には兵を招き寄せて帰ってきたんだ。

(註40)

張璠漢紀曰:布兵敗,住馬青瑣門外,謂允曰:「公可以去。」允曰:「安國家,吾之上願也,若不獲,則奉身以死。朝廷幼主恃我而已,臨難苟免,吾不為也。努力謝關東諸公,以國家為念。」傕、汜入長安城,屯南宮掖門,殺太僕魯馗、大鴻臚周奐、城門校尉崔烈、越騎校尉王頎。吏民死者不可勝數。

(ちょう)(はん)の『(かん)()』によると、(りょ)()は敗れて、馬を(せい)()(もん)の外に止めて、王允(おういん)にこう言ったよ。
「あなたは逃げるべきだよ」
王允(おういん)はこう答えたよ。
「国を安定させることが、私の最大の願いなんだ。もしそれがかなわないなら、身をもって死で報いるだけだよ。朝廷の幼い君主は私を頼りにしているの。この危難にあたって自分だけ逃げるなんてできないよ。どうか関東の人たちに努力して伝えてほしいんだ。国家のために力を尽くしてくれと」
そして()(かく)(かく)()(ちょう)(あん)(じょう)に入って、南宮の掖門に駐屯して、(たい)(ぼく)()()(だい)(こう)()(しゅう)(かん)(じょう)(もん)(こう)()(さい)(れつ)(えっ)()(こう)()(おう)()を殺したよ。役人や民の死者は数えきれないくらいだったんだ。

(註40)

司徒王允扶天子上宣平城門避兵,傕等於城門下拜,伏地叩頭。帝謂傕等曰:「卿無作威福,而乃放兵縱橫,欲何為乎?」傕等曰:「董卓忠於陛下,而無故為呂布所殺。臣等為卓報讎,弗敢為逆也。請事竟,詣廷尉受罪。」允窮逼出見傕,傕誅允及妻子宗族十餘人。長安城中男女大小莫不流涕。

()()王允(おういん)が天子を助けて、宣平城門へ上って兵を避けさせたよ。()(かく)たちは城門の下で拝礼して、地に伏して頭を打ちつけたよ。皇帝は()(かく)たちにこう言ったよ。
「あなたたちは威をふるって勝手なことをしてはならないと言ったのに、兵を放って好き勝手にさせているよ。いったい何をしようというの?」
()(かく)たちはこう答えたよ。
(とう)(たく)は陛下に忠誠を尽くしたのに、理由も無いのに(りょ)()に殺されたんだ。私たちは(とう)(たく)の仇を討とうとしただけで、決して逆らうつもりはないんだ。事が済んだら、(てい)()に出頭して罪を受けるよ」
王允(おういん)は追い詰められて()(かく)に会いに出たけど、()(かく)王允(おういん)とその妻や子供、一族10人以上を殺したんだ。(ちょう)(あん)の城中の老若男女を問わず涙を流さない者はいなかったんだって。

(註40)

允字子師,太原祁人也。少有大節,郭泰見而奇之,曰:「王生一日千里,王佐之才也。」泰雖先達,遂與定交。三公並辟,歷豫州刺史,辟荀爽、孔融為從事,遷河南尹、尚書令。及為司徒,其所以扶持王室,甚得大臣之節,自天子以下,皆倚賴焉。卓亦推信之,委以朝廷。

(おう)(いん)は、(あざな)()()で、(たい)(げん)()県の出身だよ。若い頃から節義ある志があって、(かく)(たい)は彼を見てほめてこう言ったよ。
「あなた一日に千里を進むような才を持っていて、王者を補佐するにふさわしい人だね」
(かく)(たい)は先輩だったけど、(おう)(いん)と親しく交流するようになったよ。
(おう)(いん)は、(さん)(こう)からそろって招かれて、()(しゅう)()()を歴任して、(じゅん)(そう)(こう)(ゆう)(じゅう)()として招いたよ。さらに()(なん)(いん)(しょう)(しょ)(れい)になって、()()になったよ。その時、王室を支えたその姿勢は、まさに大臣の節を現していたんだって。天子をはじめとしてみんなが彼を頼りにしていたの。(とう)(たく)もまた彼を信頼して、朝廷の事務を任せたよ。

(註41)

華嶠曰:夫士以正立,以謀濟,以義成,若王允之推董卓而分其權,伺其間而弊其罪。當此之時,天下之難解矣,本之皆主於忠義也,故推卓不為失正,分權不為不義,伺閒不為狙詐,是以謀濟義成,而歸於正也。

()(きょう)によると、そもそも士(志ある者)とは正義によって立って、策によって成し遂げて、義によって物事を完成させるものだよ。(おう)(いん)(とう)(たく)を推挙して、権力を分けて、隙をうかがってその罪を暴いたのも、この時は、天下の混乱を解くのが難しい状況で、その根本はすべて忠義に基づいていたよ。(とう)(たく)を推したことは正しさを失ったのではなくて、権力を分けたことも義がないのではなくて、隙をうかがったのも卑怯な策ではないんだ。だから、策によって成功をおさめて、義によって事を成し遂げて、そして最終的には正義に戻るんだ。

本文

葬卓於郿,大風暴雨震卓墓,水流入藏,漂其棺槨。傕為車騎將軍、池陽侯,領司隷校尉、假節。汜為後將軍、美陽侯。稠為右將軍、萬年侯。傕、汜、稠擅朝政。(註42)濟為驃騎將軍、平陽侯,屯弘農。

(とう)(たく)()に葬られたけど、大風と暴雨が(とう)(たく)の墓を揺らして、水が中に流れ込んで、棺は漂ったんだ。
()(かく)(しゃ)()(しょう)(ぐん)()(よう)(こう)となって、()(れい)(こう)()を兼ねて、節を授けられたよ。(かく)()(こう)(しょう)(ぐん)()(よう)(こう)に、(はん)(ちゅう)()(しょう)(ぐん)(まん)(ねん)(こう)に任命されたよ。()(かく)(かく)()(はん)(ちゅう)は朝廷を勝手に支配したの。(ちょう)(せい)(ひょう)()(しょう)(ぐん)(へい)(よう)(こう)となって、(こう)(のう)に駐屯したよ。

(註42)

英雄記曰:傕,北地人。汜,張掖人,一名多。

(えい)(ゆう)()』によると、()(かく)は、(ほく)()の出身だよ。(かく)()は、(ちょう)(えき)の出身で、別名は(かく)()だよ。

涼州の軍勢

本文

是歲,韓遂、馬騰等降,率衆詣長安。以遂為鎮西將軍,遣還涼州,騰征西將軍,屯郿。侍中馬宇與諫議大夫种邵、左中郎將劉範等謀,欲使騰襲長安,己為內應,以誅傕等。騰引兵至長平觀,宇等謀泄,出奔槐里。稠擊騰,騰敗走,還涼州;又攻槐里,宇等皆死。時三輔民尚數十萬戶,傕等放兵劫略,攻剽城邑,人民饑困,二年間相啖食略盡。(註43)

この年(192年)、(かん)(すい)()(とう)たちが降伏して、兵を率いて(ちょう)(あん)に行ったよ。(かん)(すい)(ちん)西(せい)(しょう)(ぐん)に任命されて、(りょう)州に戻されたよ。()(とう)(せい)西(せい)(しょう)(ぐん)として()に駐屯したよ。
()(ちゅう)()()(かん)()(たい)()(ちゅう)(しょう)()(ちゅう)(ろう)(しょう)(りゅう)(はん)たちが計画を立てて、()(とう)(ちょう)(あん)を襲撃させて、自分たちは内から応じて()(かく)たちを攻めようとしたんだ。()(とう)は兵を率いて(ちょう)(へい)(かん)まで進んだけど、()()たちの計画が漏れちゃって、彼らは(かい)()に逃げたんだ。(はん)(ちゅう)()(とう)を攻撃して、()(とう)は敗走して(りょう)州に帰ったよ。そして、(はん)(ちゅう)(かい)()を攻撃して、()()たちはみんな殺されたんだ。当時、(さん)()の民はまだ数十万戸あったけど、()(かく)たちが兵を放って略奪して、城や邑を攻撃して奪って、民は飢えに苦しんで、2年間でお互いに食べ尽くす惨状となったんだ。

(註43)

獻帝紀曰:是時新遷都,宮人多亡衣服,帝欲發御府繒以與之,李傕弗欲,曰:「宮中有衣,胡為復作邪?」詔賣廄馬百餘匹,御府大司農出雜繒二萬匹,與所賣廄馬直,賜公卿以下及貧民不能自存者。李傕曰「我邸閣儲偫少」,乃悉載置其營。賈詡曰「此上意,不可拒」,傕不從之。

(けん)(てい)()』によると、当時、都が移ったばかりだったから、宮中の女性たちの多くが衣服を失っていたんだ。帝は倉庫から絹を出して与えようとしたけど、()(かく)はこれをしたくなくてこう言ったよ。
「宮中には衣服があるのに、どうしてまた作るの?」
そこで、詔を出して10匹以上の馬を売って、倉庫と(だい)()(のう)は雑織物2万匹を出して、売った馬の代金と合わせて(こう)(けい)以下と貧しい民で自分の生活を維持できない者に与えたよ。()(かく)はこう言ったよ。
「私の倉庫の蓄えが少ないんだ」
こうして、そのすべてを自分の陣営に運び込んだよ。()()はこう言ったよ。
「これは帝の意志だから、拒むべきではないよ」
でも、()(かく)はこれに従わなかったんだ。

郭汜と李傕の対立

本文

諸將爭權,遂殺稠,并其衆。(註44)

将たちは権力を争って、(はん)(ちゅう)を殺して、彼の兵たちを取り込んだよ。

(註44)

九州春秋曰:馬騰、韓遂之敗,樊稠追至陳倉。遂語稠曰:「天地反覆,未可知也。本所爭者非私怨,王家事耳。與足下州里人,今雖小違,要當大同,欲相與善語以別。邂逅萬一不如意,後可復相見乎!」俱郤騎前接馬,交臂相加,共語良乆而別。傕兄子利隨稠,利還告傕「韓、樊交馬語」,不知所道,意愛甚密。傕以是疑稠與韓遂私和而有異意。稠欲將兵東出關,從傕索益兵。因請稠會議,便於坐殺稠。

(きゅう)(しゅう)(しゅん)(じゅう)』によると、()(とう)(かん)(すい)が敗れると、(はん)(ちゅう)(ちん)(そう)まで追撃したよ。(かん)(すい)(はん)(ちゅう)にこう言ったよ。
「天地の情勢ははひっくり返って、この先どうなるかわからないの。もともと私たちが争っているのは私怨ではなくて、王家(王室)のためだよ。あなたとは同じ州の人で生まれた者同士だから、今は少し意見が違うだけで、いずれ同じ目標に向かうだろうね。今は良い言葉で別れを告げようよ。もし万が一、将来また会うことがあったとしても、きっと良い関係で会えるように」
ふたりは馬から降りて馬の頭を寄せ合って、腕を交えて言葉を交わして、しばらく語り合って別れたよ。()(かく)の兄の子の()()(はん)(ちゅう)に従っていて、彼は戻って()(かく)にこう報告したよ。
(かん)(すい)(はん)(ちゅう)が馬を寄せ合って話していたよ」
でも話の内容はわからなくて、ただ親しそうな様子だったと伝えたよ。だから、李傕は(はん)(ちゅう)(かん)(すい)と私的に和解して、何か別の企みを持っているのではないかと疑ったんだ。その後、(はん)(ちゅう)が兵を率いて東へ関を出ようとして、()(かく)に兵の増援を求ると、()(かく)は彼を会議に招いて、その席で殺したんだ。

本文

汜與傕轉相疑,戰鬬長安中。(註45)

(かく)()()(かく)はお互いに疑い合って、(ちょう)(あん)の中で戦闘を繰り広げたんだ。

(註45)

典略曰:傕數設酒請汜,或留汜止宿。汜妻懼傕與汜婢妾而奪己愛,思有以離間之。會傕送饋,妻乃以豉為藥,汜將食,妻曰:「食從外來,儻或有故!」遂摘藥示之,曰:「一栖不二雄,我固疑將軍之信李公也。」他日傕復請汜,大醉。汜疑傕藥之,絞糞汁飲之乃解。於是遂生嫌隙,而治兵相攻。

(てん)(りゃく)』によると、()(かく)は何度も酒宴を設けて(かく)()を招いて、時には(かく)()を泊まらせたよ。(かく)()の妻は、()(かく)が側室を使って、夫の愛を奪うのではないかと恐れて、何とかして彼らを離れさせようと考えたんだ。
ちょうどその頃、()(かく)が食べ物を送ってきたよ。(かく)()の妻は豆を薬に見立てて、(かく)()がそれを食べようとしたとき、こう言ったよ。
「これは外から送られてきたものだから、何か企みがあるかも!」
そして実際に薬のようなものを取り出して見せながら、こう言ったよ。
「1つの巣には2羽の雄が一緒にはいられないんだ。私はもともと、あなたが李公(()(かく))を信じることを疑っていたの」
後日、()(かく)はふたたび(かく)()を酒宴に招いたよ。(かく)()はすごく酔ったけど、()(かく)が毒を入れたのではないかと疑って、排泄物を水に溶かしたものを飲んで吐いて、酔いをさましたよ。
こうして彼らの間に疑念と対立が生まれて、とうとう兵を整えてお互いに攻撃し始めたんだ。

本文

傕質天子於營,燒宮殿城門,略官寺,盡收乘輿服御物置其家。(註46)

()(かく)は天子を自身の陣営に人質として、宮殿や城門を焼き払って、役所を略奪して、天子の車や服や物をすべて自分の家に運び込んだよ。

(註46)

獻帝起居注曰:初,汜謀迎天子幸其營,夜有亡告傕者,傕使兄子暹將數千兵圍宮,以車三乘迎天子。楊彪曰:「自古帝王無在人臣家者。舉事當合天下心,諸君作此,非是也。」暹曰:「將軍計定矣。」於是天子一乘,貴人伏氏一乘,賈詡、左靈一乘,其餘皆步從。

(けん)(てい)()(きょ)(ちゅう)』によると、前に、(かく)()は天子を自分の陣営に迎えようと計画したけど、夜中にその計画を()(かく)に告げた人がいたんだ。()(かく)は兄の子の()(せん)に数千の兵を率いて宮殿を包囲させて、3台の車で天子を迎えに行かせたよ。(よう)(ひょう)はこう言ったよ。
「古から帝王が臣下の家に住むことはないよ。事を起こす時には天下の心を合わせるべきで、あなたたちがこのようなことをするのは正しくないよ」
でも、()(せん)はこう言ったよ。
「将軍(()(かく))の計画はすでに決まっているんだ」
こうして、天子が1台、貴人の(ふく)()が1台、()()()(れい)が1台に乗って、そのほかの人たちはみんな歩いて従ったよ。

(註46)

是日,傕復移乘輿幸北塢,使校尉監塢門,內外隔絕。諸侍臣皆有饑色,時盛暑熱,人盡寒心。帝求米五斛、牛骨五具以賜左右,傕曰:「朝餔上飯,何用米為?」乃與腐牛骨,皆臭不可食。帝大怒,欲詰責之。侍中楊琦上封事曰:「傕,邊鄙之人,習於夷風,今又自知所犯悖逆,常有怏怏之色,欲輔車駕幸黃白城以紓其憤。臣願陛下忍之,未可顯其罪也。」帝納之。

この日、()(かく)はふたたび天子の車を北の()(砦)に移して、(こう)()に門を監視させて、内と外の往来を遮断したんだ。帝の臣下たちはみんな飢えた様子で、夏のとても暑い時期だったけど、みんな怖くて震えていたんだ。天子は米5斛と牛の骨5具を求めて周りの人たちに与えようとしたけど、()(かく)はこう言ったよ。
「今朝、食事を出して飯を食べさせたのに、どうしてまた米が必要なの?」
そして、腐った牛の骨を与えて、それはすべて臭くて食べられなかったんだ。天子はとても怒って、これを問いただそうとしたよ。
()(ちゅう)(よう)()が封をした上奏文を出してこう言ったよ。
()(かく)は辺境の出身の人で、異民族の風習に染まっているんだ。今また自分の犯した反逆を自覚していて、いつも不満そうな表情をしているよ。彼は(こう)(はく)(じょう)に天子の車を移してその憤りを鎮めようと考えているんだ。私は陛下がどうか今はこれを耐えて、彼の罪を明らかにしないように願っているよ」
天子は(よう)()の意見を受け入れたよ。

(註46)

初,傕屯黃白城,故謀欲徙之。傕以司徒趙溫不與己同,乃內溫塢中。溫聞傕欲移乘輿,與傕書曰:「公前託為董公報讎,然實屠陷王城,殺戮大臣,天下不可家見而戶釋也。今爭睚眥之隙,以成千鈞之讎,民在塗炭,各不聊生,曾不改寤,遂成禍亂。朝廷仍下明詔,欲令和解,詔命不行,恩澤日損,而復欲輔乘輿於黃白城,此誠老夫所不解也。於易,一過為過,再為涉,三而弗改,滅其頂,凶。不如早共和解,引兵還屯,上安萬乘,下全生民,豈不幸甚!」

もともと、()(かく)(こう)(はく)(じょう)に駐屯していたから、天子をそこに移そうと計画していたんだ。()(かく)()()(ちょう)(おん)が自分に同意しないことを知って、(ちょう)(おん)()(砦)に閉じ込めたよ。(ちょう)(おん)()(かく)が天子を移そうとしていることを聞いて、()(かく)に手紙を送ってこう言ったよ。
「あなたは前に(とう)(たく)の仇を討つと言って行動していたけど、実際には都を攻め滅ぼして、大臣たちを殺して、天下の人たちは誰ひとりとして安心して暮らすことができなくなったんだ。今、小さなことから大きな恨みを生み出して、人々は苦しんで、生きる望みもなくしているというのに、改めて考え直すこともしないで、ついに大きな災いと乱れを招いたんだ。朝廷は何度も詔を下して、和解を図るように命令したけど、命令は実行されなくて、恩恵も日々減っているんだ。なのに、天子を(こう)(はく)(じょう)に移すなんて、これは老いた私には理解できないの。『(えき)(きょう)』によると、一度の過ちは過ちだけど、二度目はさらに悪化して、三度目には滅びに行き着くんだって。早く和解して兵を引いて陣地に戻って、上は天子を安定させて、下は民を救うことこそ本当に喜ばしいことではないかな!」

(註46)

傕大怒,欲遣人害溫。其從弟應,溫故掾也,諫之數日乃止。帝聞溫與傕書,問侍中常洽曰:「傕弗知臧否,溫言太切,可為寒心。」對曰:「李應已解之矣。」帝乃恱之。

()(かく)はとても怒って、人を送って(ちょう)(おん)を殺そうとしたんだ。()(かく)の従弟の()(おう)は、前に(ちょう)(おん)(えん)だったから、数日間諫めてやっと思いとどまらせたよ。帝は(ちょう)(おん)()(かく)に宛てた手紙のことを聞いて、()(ちゅう)(じょう)(こう)にこう尋ねたよ。
()(かく)は善悪の区別がつかなくて、(ちょう)(おん)の言葉はあまりに厳しくて、聞いていても心が冷えるようなんだ」
(じょう)(こう)はこう答えたよ。
()(おう)がすでに怒りを和らげているよ」
帝はそれを聞いて喜んだよ。

本文

傕使公卿詣汜請和,汜皆執之。(註47)相攻擊連月,死者萬數。(註48)

()(かく)は公卿たちを(かく)()のもとに送って、和解を求めたけど、(かく)()は全員を捕らえちゃった。彼らは数ヶ月間にわたって戦って、死者は数万人になったんだ。

(註47)

華嶠漢書曰:汜饗公卿,議欲攻傕。楊彪曰:「羣臣共鬬,一人劫天子,一人質公卿,此可行乎?」汜怒,欲手刃之,中郎將楊密及左右多諫,汜乃歸之。

()(きょう)の『(かん)(じょ)』によると、(かく)()は公卿たちを宴に招いて、()(かく)を攻撃しようと議論したんだって。(よう)(ひょう)はこう言ったよ。
「臣下たちがお互いに争って、一方は天子を脅して、もう一方が(こう)(けい)を人質にしていて、そんなことでどうしてできるの?」
(かく)()は怒って、自ら剣を取って(よう)(ひょう)を殺そうとしたんだ。(ちゅう)(ろう)(しょう)(よう)(みつ)や周りの人たちが諫めたから、(かく)()は思いとどまって、(よう)(ひょう)を帰したよ。

(註48)

獻帝起居注曰:傕性喜鬼恠左道之術,常有道人及女巫歌謳擊鼓下神,祠祭六丁,符劾厭勝之具,無所不為。又於朝廷省門外,為董卓作神坐,數以牛羊祠之,訖,過省閤問起居,求入見。傕帶三刀,手復與鞭合持一刃。侍中、侍郎見傕帶仗,皆惶恐,亦帶劒持刀,先入在帝側。

(けん)(てい)()(きょ)(ちゅう)』によると、()(かく)は邪教の術が好きで、いつも道士や(じょ)()(巫女)を招いて、歌ったり踊らせたりして、太鼓を打たせて神を降ろしたり、六丁(道教の神々)を祀ったり、符や呪いの道具を使ったり、呪いの勝利を得る術など、なんでもしていたんだって。それに、朝廷の政庁の門の外に(とう)(たく)の霊を祀る座を作って、よく牛や羊を供えて祀ったよ。儀式が終わると朝廷の役所を通って帝の行動を尋ねて、拝謁を求めたよ。そのとき、()(かく)は3本の刀を帯びていて、手には鞭と刃を持っていたんだ。()(ちゅう)()(ろう)たちは()(かく)が武器を持っているのを見てみんな恐れて、彼らもまた剣や刀を持って、先に入って帝の側に控えたよ。

(註48)

傕對帝,或言「明陛下」,或言「明帝」,為帝說郭汜無狀,帝亦隨其意荅應之。傕喜,出言「明陛下真賢聖主」,意遂自信,自謂良得天子歡心也。雖然,猶不欲令近臣帶劒在帝邊,謂人言「此曹子將欲圖我邪?而皆持刀也」。侍中李禎,傕州里,素與傕通,語傕「所以持刀者,軍中不可不爾,此國家故事」。傕意乃解。

()(かく)は帝に対して、ある時は「明陛下」、ある時は「明帝」と呼んだよ。そして(かく)()の無礼について話したら、帝もそれに合わせて返答したよ。()(かく)は喜んで、こう言ったよ。
「明陛下こそ本当に賢くて聖なる君主だね」
そして、ますます自信を持って、自分はすっかり天子に信頼されているのだと思い込むようになったんだ。でも、()(かく)は天子の側にいる臣下たちが剣を帯びていることを嫌って、こう言ったよ。
「彼らはまさか私を謀ろうとしているの? それでみんな刀を持っているんだね」
()(ちゅう)()(てい)は、()(かく)と同じ故郷の出身で、もともと親しかったから、()(かく)にこう言ったよ。
「刀を持つのは軍中の習わしで、国の昔からの決まり事だよ」
これを聞いて()(かく)の疑いはようやく解けたよ。

(註48)

天子以謁者僕射皇甫酈涼州舊姓,有專對之才,遣令和傕、汜。酈先詣汜,汜受詔命。詣傕,傕不肯,曰:「我有討呂布之功,輔政四年,三輔清靜,天下所知也。郭多,盜馬虜耳,何敢乃欲與吾等邪?必欲誅之。君為涼州人,觀吾方略士衆,足辦多不?多又劫質公卿,所為如是,而君苟欲利郭多,李傕有膽自知之。」

天子は、(えっ)(しゃ)(ぼく)()(こう)()()(りょう)州の古くからの有力者で、単独で相手と論じる弁才に優れていたから、()(かく)(かく)() を和解させるために送ったよ。(こう)()()はまず(かく)() を訪れて、(かく)()は詔の命令を受け入れたよ。次に()(かく)を訪ねると、()(かく)は受け入れないでこう言ったよ。
「私は(りょ)()を討った功績があって、政務を助けて4年間、(さん)()を清らかに保ってきたことは、天下が知っているよね。(かく)()(かく)())はただの馬泥棒にすぎないんだ。それがどうして私と並び立とうなんて考えられるの? 私は必ず彼を処刑するつもりだよ。あなたは(りょう)州の人で、私の策と兵を見て、それが(かく)()たちを処刑するのに十分か足りないかを判断してね。彼はまた公卿を脅して人質に取って、そんなことをしておきながら、あなたが(かく)()に利益を与えるつもりなら、()(かく)の考えを自ら知ることになるよ」

(註48)

酈荅曰:「昔有窮后羿恃其善射,不思患難,以至於斃。近董公之彊,明將軍目所見,內有王公以為內主,外有董旻、承、璜以為鯁毒,呂布受恩而反圖之,斯須之間,頭縣竿端,此有勇而無謀也。今將軍身為上將,把鉞仗節,子孫握權,宗族荷寵,國家好爵而皆據之。今郭多劫質公卿,將軍脅至尊,誰為輕重邪?張濟與郭多、楊定有謀,又為冠帶所附。楊奉,白波帥耳,猶知將軍所為非是,將軍雖拜寵之,猶不肯盡力也。」傕不納酈言,而呵之令出。酈出,詣省門,白傕不肯從詔,辭語不順。

(こう)()()はこう答えたよ。
「昔、(ゆう)(きゅう)(こう)羿(げい)は、自分の弓の腕に頼って、災いを考えなかったから命を落としたんだって。最近の(とう)(たく)の強さは、あなたが目にしたとおりだよ。内には王公((おう)(いん))が政権を握って、外には(とう)(びん)(とう)(しょう)(とう)(こう)が毒みたいに側を固めていたんだ。(りょ)()は恩を受けていたのに反逆して(とう)(たく)を殺して、あっという間にその首を竿の先に掛けたよ。これは勇気はあるけど、知恵がないよね。
今、あなたは上将として斧鉞を持っていて、節を持っていて、子孫は権力を握って、一族も気に入られていて、国家の高位の爵位はみんなあなたの一門が持っているよ。でも今、(かく)()(かく)())は(こう)(けい)を脅して人質に取って、あなたは天子を脅しているよ。これはどっちが良いのか悪いのかな? (ちょう)(せい)(かく)()(よう)(てい)と一緒にたくらんで、官職につく者たちの支持も得ているよ。(よう)(ほう)はただの(はく)()賊の首領にすぎないけど、それでもあなたのやっていることが正しくないと知っているよ。あなたがいくら彼を気に入っても、彼は全力を尽くそうとはしないよ」
()(かく)(こう)()()の言葉を受け入れないで、怒って彼を追い出したよ。(こう)()()は外に出て、役所の門に行って、()(かく)が詔に従わなくて、言葉も逆らっていると報告したよ。

(註48)

侍中胡邈為傕所幸,呼傳詔者令飾其辭。又謂酈曰:「李將軍於卿不薄,又皇甫公為太尉,李將軍力也。」酈荅曰:「胡敬才,卿為國家常伯,輔弼之臣也,語言如此,寧可用邪?」邈曰:「念卿失李將軍意,恐不易耳!我與卿何事者?」酈言:「我累世受恩,身又常在幃幄,君辱臣死,當坐國家,為李傕所殺,則天命也。」

()(ちゅう)()(ばく)()(かく)に取り入って気に入られていて、詔を伝える者に対して()(かく)に都合よく言葉を飾るように命令したよ。そして、()(ばく)(こう)()()にこう言ったよ。
「李将軍(()(かく))はあなたに対して決して薄情ではないよ。それに、皇甫公((こう)()(すう))が(たい)()になれたのも李将軍の力だよ」
(こう)()()はこう答えたよ。
()(けい)(さい)()(ばく))、あなたは国家の大臣で、補佐をするものなのに、そのような言葉を口にするなんて、それが正しく使われてよい言葉だと思っているの?」
()(ばく)はこう言ったよ。
「あなたが李将軍の意に背くことを考えて、恐れているだけなんだ。私とあなたは何の関係もないよ」
(こう)()()はこう言ったよ。
「私は代々にわたって恩を受けてきて、私も長らく天子の側に仕えてきたよ。君主が辱めを受ければ臣下は死すべきだよ。もし国家のために()(かく)に殺されるなら、それは天命だよ」

(註48)

天子聞酈荅語切,恐傕聞之,便勑遣酈。酈裁出營門,傕遣虎賁王昌呼之。昌知酈忠直,縱令去,還荅傕,言追之不及。天子使左中郎將李固持節拜傕為大司馬,在三公之右。傕自以為得鬼神之力,乃厚賜諸巫。

天子は(こう)()()の答えた言葉が切実だったから、これを()(かく)が聞くことを恐れて、すぐに(こう)()()を送るように命令したよ。(こう)()()がちょうど軍営の門を出たところで、()(かく)()(ほん)(おう)(しょう)に彼を呼び戻すように命令したよ。(おう)(しょう)(こう)()()が忠義に厚くて正直な人だと知っていたから、わざと彼を逃がしたんだ。そして戻って()(かく)に「追いつけなかった」と報告したよ。
天子は()(ちゅう)(ろう)(しょう)()()に節を持たせて、()(かく)(だい)()()に任命して、(さん)(こう)の上位にしたよ。()(かく)は自分が鬼神の力を得たと考えて、たくさんの巫女たちに厚く報酬を与えたよ。

天子は荒れた洛陽へ

本文

傕將楊奉與傕軍吏宋果等謀殺傕,事泄,遂將兵叛傕。傕衆叛,稍衰弱。張濟自陝和解之,天子乃得出,至新豐、霸陵間。(註49)

()(かく)の将の(よう)(ほう)は、()(かく)の軍の役人の(そう)()たちと一緒に()(かく)を殺す計画を立てたけど、その計画が漏れたんだ。そして兵を率いて()(かく)から反乱を起こしたよ。()(かく)の軍勢は反乱のせいでどんどん弱っていったんだ。(ちょう)(せい)(せん)から来て和解しようとして、天子は(しん)(ぽう)()(りょう)の間に出ることができたよ。

(註49)

獻帝起居注曰:初,天子出到宣平門,當渡橋,汜兵數百人遮橋問「是天子邪」?車不得前。傕兵數百人皆持大戟在乘輿車左右,侍中劉艾大呼云:「是天子也。」使侍中楊琦高舉車帷。帝言諸兵:「汝不郤,何敢迫近至尊邪?」汜等兵乃郤。旣度橋,士衆咸呼萬歲。

『献帝起居注(けんていききょちゅう)』によると、前に、天子が宣平門を出て橋を渡ろうとすると(かく)()の兵数百人が橋を遮って、「これは天子?」と問いただしたから、車は前に進めなくなっちゃった。すると、()(かく)の兵数百人はみんな大きな戟を持って、天子の車の周りを守っていたよ。()(ちゅう)(りゅう)(がい)が大声でこう叫んだよ。
「これが天子だよ!」
そして、()(ちゅう)(よう)()に車の帷を高く上げさせたよ。帝は(かく)()の兵たちにこう言ったよ。
「あなたたちが退かないで、どうして天子にこれほどまでに近づけるの?」
(かく)()の兵たちはやっと退いたよ。橋を渡り終えた後、兵たちは一斉に万歳と叫んだよ。

本文

郭汜復欲脅天子還都郿。天子奔奉營,奉擊汜,破之。汜走南山,奉及將軍董承以天子還洛陽。傕、汜悔遣天子,復相與和,追及天子於弘農之曹陽。奉急招河東故白波帥韓暹、胡才、李樂等合,與傕、汜大戰。奉兵敗,傕等縱兵殺公卿百官,略宮人入弘農。(註50)(註51)

(かく)()はふたたび天子を脅して()に戻そうとしたよ。天子は(よう)(ほう)の陣営に逃げ込んで、(よう)(ほう)(かく)()を攻撃して破ったよ。(かく)()は南山に逃げて、(よう)(ほう)と将軍の(とう)(しょう)は天子を連れて(らく)(よう)に戻ったよ。
()(かく)(かく)()は天子を逃がしたことを後悔して、ふたたび和解して天子を追って、(こう)(のう)(そう)(よう)で天子に追いついたよ。(よう)(ほう)は急いで()(とう)(はく)()の指揮官の(かん)(せん)()(さい)()(がく)たちを呼び集めて、()(かく)(かく)()と大きな戦いをしたよ。でも、(よう)(ほう)の兵は敗れて、()(かく)たちは兵を放って(こう)(けい)や百官を殺して、宮中の女性を奪って(こう)(のう)に連れて帰ったんだ。

(註50)

獻帝紀曰:時尚書令士孫瑞為亂兵所害。

(けん)(てい)()』によると、この時、(しょう)(しょ)(れい)()(そん)(ずい)は賊の兵に殺されちゃった。

(註51)

三輔決錄注曰:瑞字君榮,扶風人,世為學門。瑞少傳家業,博達無所不通,仕歷顯位。卓旣誅,遷大司農,為三老。每三公缺,瑞常在選中。太尉周忠、皇甫嵩,司徒淳于嘉、趙溫,司空楊彪、張喜等為公,皆辭拜讓瑞。天子都許,追論瑞功,封子萌澹津亭侯。萌字文始,亦有才學,與王粲善。臨當就國,粲作詩以贈萌,萌有荅,在粲集中。

(さん)()(けつ)(ろく)(ちゅう)』によると、()(そん)(ずい)は、(あざな)(くん)(えい)で、()(ふう)の出身で、代々学問の家に育ったよ。()(そん)(ずい)は若い頃から家業を受け継いで、博識で詳しくないことはなくて、高い地位を歴任したよ。(とう)(たく)が殺された後、大司農(だいしのう)に昇進して、三老となったよ。(さん)(こう)の席が空くたびに、()(そん)(ずい)はいつも選ばれていたよ。(たい)()(しゅう)(ちゅう)(こう)()(すう)()()(じゅん)()()(ちょう)(おん)()(くう)(よう)(ひょう)(ちょう)()たちが公になったけど、みんな()(そん)(ずい)に辞退して譲ったよ。
天子が(きょ)に都を移すと、()(そん)(ずい)の功績を評価して、子の()(そん)(ぼう)(たん)(しん)(てい)(こう)に封じたよ。()(そん)(ぼう)は、(あざな)(ぶん)()で、学問の才能があって、(おう)(さん)と親しかったの。国に赴く時、(おう)(さん)は詩を作って()(そん)(ぼう)に贈って、()(そん)(ぼう)も詩を返して、その詩は(おう)(さん)の詩集に記されているよ。

本文

天子走陝,北渡河,失輜重,步行,唯皇后貴人從,至大陽,止人家屋中。(註52)奉、暹等遂以天子都安邑,御乘牛車。太尉楊彪、太僕韓融近臣從者十餘人。以暹為征東、才為征西、樂征北將軍,並與奉、承持政。遣融至弘農與傕、汜等連和,還所略宮人公卿百官,及乘輿車馬數乘。是時蝗蟲起,歲旱無穀,從官食棗菜。(註53)

天子は(せん)から逃げて、黄河を北に渡ったよ。輜重(軍の物資)を失って、歩いて行ったんだ。皇后と貴人だけが一緒について行ったよ。そして、(たい)(よう)に着いて、民家に身を寄せたよ。(よう)(ほう)(かん)(せん)たちは天子を(あん)(ゆう)に移して都として、牛車に天子を乗せて移動させたよ。(たい)()(よう)(ひょう)(たい)(ぼく)(かん)(ゆう)をはじめとする近くの臣下やついて行った人は十数人しかいなかったんだ。
その後、(かん)(せん)(せい)(とう)(しょう)(ぐん)()(さい)(せい)西(せい)(しょう)(ぐん)()(がく)(せい)(ほく)(しょう)(ぐん)となって、(よう)(ほう)(とう)(しょう)と一緒に政務を執ったよ。(かん)(ゆう)(こう)(のう)に送って()(かく)(かく)()たちと和睦を結んで、彼らによって連れ去られた宮中の女性、(こう)(けい)、百官、数台の車馬を取り戻したよ。この時、イナゴが発生して、干ばつで穀物がなくなって、従者たちは(ナツメ )と菜を食べていたんだ。

(註52)

獻帝紀曰:初,議者欲令天子浮河東下,太尉楊彪曰:「臣弘農人,從此已東有三十六灘,非萬乘所當從也。」劉艾曰:「臣前為陝令,知其危險,有師猶有傾覆,況今無師,太尉謀是也。」乃止。及當北渡,使李樂具船。天子步行趨河岸,岸高不得下,董承等謀欲以馬羈相續以繫帝腰。時中宮僕伏德扶中宮,一手持十匹絹,乃取德絹連續為輦。行軍校尉尚弘多力,令弘居前負帝,乃得下登船。其餘不得渡者甚衆,復遣船收諸不得渡者,皆爭攀船,船上人以刃櫟斷其指,舟中之指可掬。

(けん)(てい)()』によると、もともと、議論では天子を船に乗せて黄河を下って東へ向かわせようとしたんだ。(たい)()(よう)(ひょう)はこう言ったよ。
「私は(こう)(のう)の出身だよ。この先、東には急流が36もあって、万乗(天子)が進むべき道ではないんだ」
(りゅう)(がい)もこう言ったよ。
「私は前に、(せん)(けん)(れい)を務めたから、その危険をよく知っているよ。軍があっても転覆する危険があるのに、今は軍もないから、(たい)()(よう)(ひょう))の意見が正しいね」
こうして、黄河を下る計画は中止されたよ。
天子が北へ渡ろうとして、()(がく)に船を準備させたよ。天子は歩いて河岸に向かったけど、岸が高くて降りられなかったんだ。(とう)(しょう)たちは、馬の(たづな)をつなげて天子の腰結んで降ろそうと考えたよ。この時、(ちゅう)(きゅう)(ぼく)(ふく)(とく)は中宮を支えていて、片手に10匹の絹を持っていたよ。(ふく)(とく)はその絹をつなぎ合わせて輿を作ったよ。それに、(こう)(ぐん)(こう)()(しょう)(こう)は力が強いから、先に降りて天子を背負って、船に乗せたよ。でも、他の者たちは渡れなくて多くは残されちゃった。ふたたび船を出して渡れなかった人たちを集めたけど、みんなが船にしがみついて、船の上の人たちは刀でその手指を切り落としたんだ。船の中には切り落とされた指がすくえるくらいあったんだって。

(註53)

魏書曰:乘輿時居棘籬中,門戶無關閉。天子與羣臣會,兵士伏籬上觀,互相鎮壓以為笑。諸將專權,或擅笞殺尚書。司隷校尉出入,民兵抵擲之。諸將或遣婢詣省閤,或自齎酒啖,過天子飲,侍中不通,喧呼罵詈,遂不能止。又競表拜諸營壁民為部曲,求其禮遺。醫師、走卒皆為校尉,御史刻印不供,乃以錐畫,示有文字,或不時得也。

()(しょ)』によると、天子の車はいばらの囲いの中にあって、門戸は閉ざされていなかったんだって。天子が臣下たちと会うと、兵たちは囲いの上に登って見物して、お互いに押し合いながら笑っていたんだって。将たちは身勝手にふるまって、ある者は(しょう)(しょ)を勝手に打ち殺して、()(れい)(こう)()が出入りすると、民兵たちはこれを追い払って石を投げたんだ。将たちの中には、下女を役所に送る人もいれば、自ら酒や食べ物を持って天子のもとを通ろうとして、()(ちゅう)が通さないと、大声で罵って止められなくなったんだ。それに、将たちは競って自分の陣営や城壁に住む民を部曲として認めさせようと上表して、贈り物を求めたよ。医師や従者も(こう)()に任命されて、(ぎょ)()が印を刻むのが追い付かなくて、(きり)で文字を示して印に見せかけたけど、時にはそれすら間に合わなかったこともあったんだ。

本文

諸將不能相率,上下亂,糧食盡。奉、暹、承乃以天子還洛陽。出箕關,下軹道,張楊以食迎道路,拜大司馬。語在楊傳。天子入洛陽,宮室燒盡,街陌荒蕪,百官披荊棘,依丘牆間。州郡各擁兵自為,莫有至者。饑窮稍甚,尚書郎以下自出樵采,或饑死牆壁閒。

将たちはお互いに協力できなくて、上下ともに混乱して、とうとう食糧も尽きちゃった。そこで、(よう)(ほう)(かん)(せん)(とう)(しょう)は天子を連れて(らく)(よう)に帰ることにしたよ。()(かん)を出て()(どう)を下って、(ちょう)(よう)は食料を持って道中で迎えたから、(だい)()()に任命されたよ。この話は「(ちょう)(よう)(でん)」に記されているよ。
天子が(らく)(よう)に入ると、宮殿はすべて焼き尽くされていて、街道は荒れ果てていたの。百官はいばらをかき分けて、丘や崩れた壁の間に身を寄せたよ。州や郡はそれぞれ兵を持って独立して、誰ひとりとして天子のもとに来なかったんだ。飢えがひどくなって、(しょう)(しょ)(ろう)以下は自ら薪を取りに出かけて、飢え死て城壁の間で死ぬ者もいたんだ。

曹操と許へ

本文

太祖乃迎天子都許。暹、奉不能奉王法,各出奔,寇徐、揚閒,為劉備所殺。(註54)董承從太祖歲餘,誅。

(そう)(そう)は天子を迎え入れて(きょ)に都を置いたよ。(かん)(せん)(よう)(ほう)は王の法を守れなくて、それぞれ逃げ出して、(じょ)州と(よう)州の間で賊になったけど、(りゅう)()に殺されたんだ。(とう)(しょう)(そう)(そう)に従って1年くらいで殺されたんだ。

(註54)

英雄記曰:備誘奉與相見,因於坐上執之。暹失奉勢,孤,時欲走還并州,為杼秋屯帥張宣所邀殺。

(えい)(ゆう)()』によると、(りゅう)()(よう)(ほう)を誘って会うと、その場で捕えたよ。(かん)(せん)(よう)(ほう)を失ったから、孤立して、(へい)州に戻ろうとしたけど、(ちょ)(しゅう)の陣営の指揮官の(ちょう)(せん)に待ち伏せされて殺されたんだって。

本文

建安二年,遣謁者僕射裴茂率關西諸將誅傕,夷三族。(註55)汜為其將五習所襲,死於郿。濟饑餓,至南陽寇略,為穰人所殺,從子繡攝其衆。才、樂留河東,才為怨家所殺,樂病死。

建安二年(197年)、(えっ)(しゃ)(ぼく)()(はい)(ぼう)に関西の将たちを率いて()(かく)を殺させて、その一族を滅ぼしたよ。(かく)()はその将の()(しゅう)に襲われて、()で亡くなったよ。(ちょう)(せい)は飢えて(なん)(よう)に攻め入って略奪をしたけど、(じょう)の人に殺されたよ。その従子の(ちょう)(しゅう)が彼の兵を率いたよ。()(さい)()(がく)()(とう)に留まったけど、()(さい)は怨みを抱いている人に殺されて、()(がく)は病死したんだって。

(註55)

典略曰:傕頭至,有詔高縣。

()(かく)の首が届くと、詔によって(こう)県に掲げられたよ。

本文

遂、騰自還涼州,更相寇,後騰入為衞尉,子超領其部曲。十六年,超與關中諸將及遂等反,太祖征破之。語在武紀。遂奔金城,為其將所殺。超據漢陽,騰坐夷三族。趙衢等舉義兵討超,超走漢中從張魯,後奔劉備,死於蜀。

(かん)(すい)()(とう)(りょう)州に戻って、ふたたびお互いに攻め合うようになったよ。その後、()(とう)(えい)()として朝廷に入って、彼の子の()(ちょう)がその部隊を率いたよ。
建安十六年(211年)、()(ちょう)(かん)(ちゅう)の将たちや(かん)(すい)たちと反乱を起こしたけど、(そう)(そう)に征伐されたんだ。この話は「武帝紀」に記されているよ。(かん)(すい)(きん)(じょう)に逃れたけど、その将に殺されたよ。()(ちょう)(かん)(よう)を拠点としたけど、()(とう)の一族は滅ぼされたんだ。(ちょう)()たちが義兵を挙げて()(ちょう)を攻めて、()(ちょう)(かん)(ちゅう)に逃れて、(ちょう)()のもとに身を寄せたよ。その後、(りゅう)()のもとに行って、(しょく)で亡くなったんだ。

陳寿の評価

「魏書劉表伝」に併せて記載するよ。

「魏書董卓伝」は以上だよ!

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