正史『三国志』「魏書袁紹伝」をゆるゆる翻訳するよ! その2

正史『三国志』「魏書袁紹伝」をゆるゆる翻訳するよ!

はじめに

ChatGPT の力を借りて、正史『三国志』の 「魏書袁紹伝」 をゆるゆる翻訳するよ!
(えん)(しょう) について書かれているよ!

『三国志』を気軽に楽しく読んでみよう!

長いから記事を分けたよ。この記事は、官渡の戦いから最後までだよ。

出典

三國志 : 魏書六 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。

注意事項

  • ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
  • ChatGPT に意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
  • 第三者による学術的な検証はしていないよ。

翻訳の詳細は「ChatGPT と協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。

真面目な日本語訳は書籍が出版されているから、きっちりしっかり知りたい人はそちらを読んでみてね!

正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
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正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

官渡の戦い

本文

紹進軍黎陽,遣顏良攻劉延於白馬。沮授又諫紹:「良性促狹,雖驍勇不可獨任。」紹不聽。太祖救延,與良戰,破斬良。(註26)

(えん)(しょう)は軍を(れい)(よう)に進めて、(がん)(りょう)を送って(はく)()(りゅう)(えん)を攻めさせたよ。()(じゅ)がふたたび(えん)(しょう)を諫めてこう言ったよ。
「顔良は性格が小さくて、たとえ勇猛でも、独りでは任せられないよ」
でも、(えん)(しょう)は聞き入れなかったの。(そう)(そう)(りゅう)(えん)を救って、(がん)(りょう)と戦って討ち取ったよ。

(註26)

獻帝傳曰:紹臨發,沮授會其宗族,散資財以與之曰:「夫勢在則威無不加,勢亡則不保一身,哀哉!」其弟宗曰:「曹公士馬不敵,君何懼焉!」授曰:「以曹兖州之明略,又挾天子以為資,我雖克公孫,衆實疲弊,而將驕主忲,軍之破敗,在此舉也。揚雄有言,『六國蚩蚩,為嬴弱姬』,今之謂也。」

(けん)(てい)(でん)』によると、(えん)(しょう)が出発する前に、()(じゅ)は一族を集めて、財産を分け与えながらこう言ったよ。
「勢いがあるときは威がすべてに及ぶけど、勢いがなくなると自分の身さえ守れないんだ。悲しいことだ!」
弟の()(そう)はこう言ったよ。
(そう)(そう)の兵や馬は私たちの敵ではないよ。何をあなたは恐れるの!」
沮授はこう答えたよ。
(そう)(そう)(えん)州の優れた計略を持っていて、天子を利用して権威としているよ。私たちは(こう)(そん)(さん)を打ち破ったとはいえ、兵は疲れていて、将は驕っていて、主君も驕り高ぶっているんだ。この戦いで軍が敗れるのは当然のことだよ。(よう)(ゆう)が『六国が乱れて、(えい)(しん))に敗れて()(しゅう))を弱らせた』と言ったみたいに、今の状況も同じだよ」

本文

紹渡河,壁延津南,使劉備、文醜挑戰。太祖擊破之,斬醜,再戰,禽紹大將。紹軍大震。(註27)

(えん)(しょう)は黄河を渡って、(えん)(しん)の南に陣を構えたよ。(りゅう)()(ぶん)(しゅう)に挑ませたけど、(そう)(そう)は彼らを撃破して、(ぶん)(しゅう)を討ち取ったよ。ふたたび戦いが起こって、(えん)(しょう)の大将が捕らえられちゃった。だから、(えん)(しょう)の軍はすごくびっくりしたの。

(註27)

獻帝傳曰:紹將濟河,沮授諫曰:「勝負變化,不可不詳。今宜留屯延津,分兵官渡,若其克獲,還迎不晚,設其有難,衆弗可還。」紹弗從。授臨濟歎曰:「上盈其志,下務其功,悠悠黃河,吾其反乎?」遂以疾辭。紹恨之,乃省其所部兵屬郭圖。

(けん)(てい)(でん)』によると、(えん)(しょう)が済河を渡ろうとすると、()(じゅ)が諫めてこう言ったよ。
「勝敗はいつも変化するもので、慎重に考えなくてはならないよ。今は(えん)(しん)に駐屯して、兵を分けて(かん)()に送るべきだよ。もし勝って敵を討てれば戻るのは遅くないよ。でも、困難があれば軍は戻れないんだ」
(えん)(しょう)はこれを聞き入れなかったよ。()(じゅ)は済河を渡る前に嘆いてこう言ったよ。
「上に立つ者は自分の志を満たすことばかり求めて、下に立つ者は功績を得ようとばかりしているんだ。はるかな黄河の流れは止まらないけど、私は戻れるのかな?」
そして病気を理由に辞めたよ。(えん)(しょう)はこれを恨んで、()(じゅ)の兵を(かく)()に引き渡したんだ。

本文

太祖還官渡。沮授又曰:「北兵數衆而果勁不及南,南穀虛少而貨財不及北;南利在於急戰,北利在於緩搏。宜徐持乆,曠以日月。」紹不從。連營稍前,逼官渡,合戰,太祖軍不利,復壁。紹為高櫓,起土山,射營中,營中皆蒙楯,衆大懼。太祖乃為發石車,擊紹樓,皆破,紹衆號曰霹靂車。(註28)

(そう)(そう)(かん)()に戻ったよ。()(じゅ)(えん)(しょう)にさらにこう言ったよ。
「北の兵の数が多いけど、その強さは南に及ばないし、南は穀物が少なくて、資金も北に及ばないんだ。南の利点は短期戦にあって、北の利点は長期戦にあるよ。だから、ゆっくりと時間をかけて、時を稼ぐのがいいよ」
でも、(えん)(しょう)はこれを聞き入れなかったんだ。陣営を連ねて少しずつ前進して、(かん)()に迫って、戦いが始まったよ。(そう)(そう)の軍は不利となって、ふたたび壁を築いたよ。(えん)(しょう)は高い櫓を建てて、土を盛って山を築いて、(そう)(そう)の陣営を射撃したよ。(そう)(そう)の陣営の中ではみんな盾を使って防いで、とても恐れたの。そこで、(そう)(そう)は投石車を作って、(えん)(しょう)の楼を攻撃して、すべて壊したよ。(えん)(しょう)の軍はその投石車を「(へき)(れき)(しゃ)」と呼んだよ。

(註28)

魏氏春秋曰:以古有矢石,又傳言「旝動而鼓」,說文曰「旝,發石也」,於是造發石車。

()()(しゅん)(じゅう)』によると、昔は矢や石を使っていたんだって。『(しゅん)(じゅう)()()(でん)』には「(かい)が動いて鼓が鳴る」とあって、『(せつ)(もん)(かい)()』では「旝とは石を発すること」と説明されているよ。こうして投石車が造られたんだよ。

本文

紹為地道,欲襲太祖營。太祖輙於內為長塹以拒之,又遣奇兵襲擊紹運車,大破之,盡焚其穀。太祖與紹相持日乆,百姓疲乏,多叛應紹,軍食乏。會紹遣淳于瓊等將兵萬餘人北迎運車,沮授說紹:「可遣將蔣奇別為支軍於表,以斷曹公之鈔。」紹復不從。瓊宿烏巢,去紹軍四十里。太祖乃留曹洪守,自將步騎五千候夜潛往攻瓊。紹遣騎救之,敗走。破瓊等,悉斬之。

(えん)(しょう)は地下道を掘って、(そう)(そう)の陣営を襲おうとしたよ。(そう)(そう)はすぐに陣営内に長い塹壕を作ってこれに対抗して、さらに奇兵を送って(えん)(しょう)の運搬車を襲撃して打ち破って、すべての穀物を焼き払ったんだ。
(そう)(そう)(えん)(しょう)は長い間対峙したから、民は疲れ果てて、たくさんの人が(えん)(しょう)に寝返っちゃった。それに、(そう)(そう)の軍の食糧も足りなくなっちゃった。その時、(えん)(しょう)(じゅん)()(けい)たちに兵1万人以上を率いさせて、北へ運搬車を迎えに行かせたよ。()(じゅ)(えん)(しょう)にこう進言したよ。
「将の(しょう)()を送って外に置いて、(そう)(そう)の襲撃を防ぐべきだよ」
(えん)(しょう)はこれも聞き入れなかったんだ。(じゅん)()(けい)()(そう)に駐屯して、(えん)(しょう)の軍から40里離れていたんだ。(そう)(そう)(そう)(こう)を留めて守らせて、自ら歩兵と騎兵5,000人を率いて夜中にこっそりと(じゅん)()(けい)を攻めたよ。(えん)(しょう)は騎兵を送って助けさせたけど、敗れて逃げちゃった。(そう)(そう)(じゅん)()(けい)たちを破って、すべて討ち取ったよ。

本文

太祖還,未至營,紹將高覽、張郃等率其衆降。紹衆大潰,紹與譚單騎退渡河。餘衆偽降,盡坑之。(註29)沮授不及紹渡,為人所執,詣太祖,(註30)太祖厚待之。後謀還袁氏,見殺。

(そう)(そう)は引き返して、まだ陣営に着いていない時に、(えん)(しょう)の将の(こう)(らん)(ちょう)(こう)たちが部隊を率いて降伏したよ。(えん)(しょう)の軍は大混乱になって、(えん)(しょう)は子の(えん)(たん)と一緒に単騎で黄河を渡って退却しちゃった。他に降伏するふりをした人たちは、すべて埋められたんだ。()(じゅ)(えん)(しょう)がまだ黄河を渡らないうちに、捕らえられて(そう)(そう)のもとに送られたよ。(そう)(そう)は厚くもてなしたけど、後に(えん)()に戻ることを企てたから、殺されたんだ。

(註29)

張璠漢紀云:殺紹卒凡八萬人。

(ちょう)(はん)の『(かん)()』によると、(えん)(しょう)の兵は約8万人が殺されたよ。

(註30)

獻帝傳云:授大呼曰:「授不降也,為軍所執耳!」太祖與之有舊,逆謂授曰:「分野殊異,遂用圮絕,不圖今日乃相禽也!」授對曰:「兾州失策,以取奔北。授智力俱困,宜其見禽耳。」太祖曰:「本初無謀,不用君計,今喪亂過紀,國家未定,當相與圖之。」授曰:「叔父、母、弟,縣命袁氏,若蒙公靈,速死為福。」太祖歎曰:「孤早相得,天下不足慮。」

(けん)(てい)(でん)』によると、()(じゅ)は大声でこう叫んだよ。
「私は降伏していないんだ。ただ軍に捕らえられただけだ!」
(そう)(そう)は彼と古くからの知り合いだったから、()(じゅ)にこう言ったよ。
「考えが違うから、私は交流を絶ったんだ。まさか今日、あなたを捕らえられるとは思わなかったよ!」
()(じゅ)はこう答えたよ。
()州((えん)(しょう))が策を誤って北へ敗れて逃げる結果となったよ。私の知恵も力も尽きて、捕らえられるのは当然だよ」
(そう)(そう)はこう言ったよ。
(えん)(ほん)(しょ)(えん)(しょう))には策がなくて、あなたの計略を使わなかったね。今は混乱が続いて、国家もまだ安定していないんだ。私たちで一緒に図ろうよ」
沮授はこう答言ったよ。
「叔父、母、弟が(えん)()に縁を持っているから、もしあなたの慈悲を受けるなら、すぐに死ぬことが私の幸せだよ」
(そう)(そう)は嘆いてこう言ったよ。
「もし私たちが早くあなたを得ていれば、天下なんて心配する必要はなかっただろうね」

本文

初,紹之南也,田豐說紹曰:「曹公善用兵,變化無方,衆雖少,未可輕也,不如以乆持之。將軍據山河之固,擁四州之衆,外結英雄,內脩農戰,然後簡其精銳,分為奇兵,乘虛迭出,以擾河南,救右則擊其左,救左則擊其右,使敵疲於奔命,民不得安業;我未勞而彼已困,不及二年,可坐克也。今釋廟勝之策,而決成敗於一戰,若不如志,悔無及也。」紹不從。

前に、(えん)(しょう)が南に進軍すると、(でん)(ほう)(えん)(しょう)に意見を言ったよ。
(そう)(そう)は兵を巧みに使って、変化に対応して、兵が少なくても侮ってはいけないよ。長期戦に持ち込むのが良いよ。あなたは山や黄河の険しい地を拠点として、4つの州の兵を持っているんだ。外には英雄と結んで、内では農業と戦備を整えて、精鋭を選んで、奇兵として分けて、敵の隙をついて何度も出撃して、河南を撹乱するんだ。右を救おうとすれば左を攻めて、左を救おうとすれば右を攻めて、敵を疲れさせて、民が安定した生活を送れないようにするの。私たちは苦労しないで敵は疲れ果てて、2年もかからないで勝利を得られるよ。今、長期の勝利の計略を捨てて、一戦で勝敗を決めようとしているなら、思いどおりにならなかった時には後悔しても遅いんだ」
(えん)(しょう)はこれを受け入れなかったんだ。

本文

豐懇諫,紹怒甚,以為沮衆,械繫之。紹軍旣敗,或謂豐曰:「君必見重。」豐曰:「若軍有利,吾必全,今軍敗,吾其死矣。」紹還,謂左右曰:「吾不用田豐言,果為所笑。」遂殺之。(註31)(註32)

(でん)(ほう)は繰り返し諫めたけど、(えん)(しょう)はすごく怒って、それが軍の士気をくじくものだと考えて、(でん)(ほう)を枷に繋いで牢獄に入れたんだ。(えん)(しょう)の軍が敗れると、ある人が(でん)(ほう)にこう言ったよ。
「あなたはきっと大切にされるだろうね」
(でん)(ほう)はこう答えたよ。
「もし軍が勝ってていれば、私は助かっただろうね。でも今、軍が敗れたのだから、私はもう死ぬんだ」
(えん)(しょう)が帰ると、周りの人たちにこう言ったよ。
「私は(でん)(ほう)の言葉を聞かなかったから、結局人々に笑われることになったよ」
そして(でん)(ほう)を殺したんだ。

(註31)

先賢行狀曰:豐字元皓,鉅鹿人,或云勃海人。豐天姿瓌傑,權略多奇,少喪親,居喪盡哀,日月雖過,笑不至矧。博覽多識,名重州黨。初辟太尉府,舉茂才,遷侍御史。閹宦擅朝,英賢被害,豐乃棄官歸家。袁紹起義,卑辭厚幣以招致豐,豐以王室多難,志存匡救,乃應紹命,以為別駕。

(せん)(けん)(こう)(じょう)』によると、(でん)(ほう)は、(あざな)(げん)(こう)で、(きょ)鹿(ろく)の出身だけど、別の説では(ぼっ)(かい)の出身とも言われているんだって。(でん)(ほう)は容姿が良くて、才能が優れていて、権謀や奇略が得意だよ。幼い頃に親を亡くしたて、喪に服して深く悲しんで、年月が過ぎても全然笑わなかったんだ。書を広く読んで、たくさんの知識を持っていて、名声は州の人たちの間で重んじられていたよ。
初めは太尉府に招かれて、茂才に推挙されて、()(ぎょ)()に昇進したよ。でも宦官が朝廷を支配して、才能のある人たちが害を受けるようになると、(でん)(ほう)は官職を辞めて故郷に戻ったの。(えん)(しょう)が義兵を挙げると、謙虚な言葉とたくさんの贈り物で(でん)(ほう)を招き入れたよ。(でん)(ほう)は王室のたくさんの困難に心を痛めて、助けたい志を持っていたから、(えん)(しょう)の招きに応えて(べつ)()となったよ。

(註31)

勸紹迎天子,紹不納。紹後用豐謀,以平公孫瓚。逢紀憚豐亮直,數讒之於紹,紹遂忌豐。紹軍之敗也,土崩奔北,師徒略盡,軍皆拊膺而泣曰:「向令田豐在此,不至於是也。」紹謂逢紀曰:「兾州人聞吾軍敗,皆當念吾,唯田別駕前諫止吾,與衆不同,吾亦慙見之。」紀復曰:「豐聞將軍之退,拊手大笑,喜其言之中也。」紹於是有害豐之意。初,太祖聞豐不從戎,喜曰:「紹必敗矣。」及紹奔遁,復曰:「向使紹用田別駕計,尚未可知也。」

(でん)(ほう)(えん)(しょう)に天子を迎えるように勧めたけど、(えん)(しょう)はこれを受け入れなかったの。後に、(えん)(しょう)(でん)(ほう)の策を使って(こう)(そん)(さん)を平定したよ。(ほう)()(でん)(ほう)の正直さを恐れて、何度も(えん)(しょう)に悪口を言ったから、(えん)(しょう)(でん)(ほう)を疑うようになっちゃった。
(えん)(しょう)の軍が敗れると、兵たちは崩れて北へ逃げ去って、指揮官はほとんど失われたんだ。軍のみんなは胸を叩いて泣きながら、こう言ったよ。
「もし(でん)(ほう)がここにいたら、このようにはならなかったのに」
(えん)(しょう)(ほう)()にこう言ったよ。
「冀州の人たちは私たちの軍の敗北を聞いたら、みんな私を思いやるだろうけど、(でん)(べつ)()(でん)(ほう))だけは前から私を止めようと諫めていて、他の人と異なっていたから、私は彼に会うのが恥ずかしいんだ」
(ほう)()はふたたびこう言ったよ。
(でん)(ほう)はあなたが退いたと聞いて、手を叩いて大笑いして、自分の言葉が正しかったと喜んでいるよ」
(えん)(しょう)(でん)(ほう)に殺意を抱くようになったんだ。
もともと曹操は(でん)(ほう)が軍に従わないと聞いて喜んで、こう言ったよ。
(えん)(しょう)は必ず敗れるだろうね」
(えん)(しょう)が敗れて逃げたと聞いて、ふたたびこう言ったよ。
「もし(えん)(しょう)(でん)(べつ)()(でん)(ほう))の計略を使っていたら、どうなっていたかわからなかっただろうね」

(註32)

孫盛曰:觀田豐、沮授之謀,雖良、平何以過之?故君貴審才,臣尚量主;君用忠良,則霸王之業隆,臣奉闇后,則覆亡之禍至:存亡榮辱,常必由茲。豐知紹將敗,敗則己必死,甘冒虎口以盡忠規,烈士之於所事,慮不存己。夫諸侯之臣,義有去就,況豐與紹非純臣乎!詩云「逝將去汝,適彼樂土」,言去亂邦,就有道可也。

(そん)(せい)によると、(でん)(ほう)()(じゅ)の策を観ると、(ちょう)(りょう)(ちん)(ぺい)でも、これを超えられるの? だから君主は人の才能を慎重に見極めて、臣下は君主の器量を量ることが大切だね。君主が忠のあって有能な人を使えば、覇王の事業は隆盛して、臣下が暗愚な君主に仕えれば、滅亡の災いが訪れるんだ。国が続くか滅び去るか、君主と臣下の栄誉と恥はいつもこのようなことから生じるよ。
(でん)(ほう)(えん)(しょう)の敗北を予見していて、敗れたら自分も必ず死ぬと知っていたけど、それでも忠を尽くして計略を進言することを選んで、虎の口(死地)に入っていったんだ。これは烈士の主君に仕える態度で、自分の安全を振り返らなかったよ。そもそも諸侯の臣下なら、義に従って進退を決めるのだから、ましてや(でん)(ほう)(えん)(しょう)の関係もまた純粋な臣下の関係ではなかったのだからなおさらだよね。『()(きょう)』に「私はあなたを去って、あの楽しい土地に行くんだ」とあるけど、乱れた国を去って、道理のある地に赴くべきだと言っているんだよ。

本文

紹外寬雅,有局度,憂喜不形於色,而內多忌害,皆此類也。

(えん)(しょう)は外見は穏やかで上品で、度量も広くて、心の中の心配や喜びを顔に出さなかったよ。でも、内心ではとても疑い深くて、害を与えることが多い人だったんだ。

後継ぎは誰?

本文

兾州城邑多叛,紹復擊定之。自軍敗後發病,七年,憂死。

()州の多くの城や村が反乱を起こして、(えん)(しょう)はふたたびこれを鎮圧したよ。軍が敗れた後、彼は病気になって、建安七年(202年)、不安になって亡くなったんだ。

本文

紹愛少子尚,皃美,欲以為後而未顯。(註33)審配、逢紀與辛評、郭圖爭權,配、紀與尚比,評、圖與譚比。衆以譚長,欲立之。配等恐譚立而評等為己害,緣紹素意,乃奉尚代紹位。譚至,不得立,自號車騎將軍。由是譚、尚有隙。太祖北征譚、尚。譚軍黎陽,尚少與譚兵,而使逢紀從譚。譚求益兵,配等議不與。譚怒,殺紀。(註34)

(えん)(しょう)は末子の(えん)(しょう)をとても愛していて、顔立ちが美しいから、彼を後継ぎにしたいと考えていたけど、まだはっきりとは言っていなかったんだ。(しん)(ぱい)(ほう)()(しん)(ぴょう)(かく)()と権力を争っていて、(しん)(ぱい)(ほう)()(えん)(しょう)に、(しん)(ぴょう)(かく)()(えん)(たん)についたよ。たくさんの人は、(えん)(たん)が長子だから、彼を立てるべきだと考えていたの。(しん)(ぱい)たちは(えん)(たん)が後継ぎになると(しん)(ぴょう)たちが自分たちに危害を与えることを恐れて、(えん)(しょう)の意向に従って(えん)(しょう)を後継ぎに勧めたよ。(えん)(たん)が着いたけど、後継ぎに立てられなかったから、自らを(しゃ)()(しょう)(ぐん)と名乗ったよ。これによって、(えん)(たん)(えん)(しょう)は仲が悪くなっちゃった。
(そう)(そう)(えん)(たん)(えん)(しょう)を討つために北へ軍を進めたよ。(えん)(たん)(れい)(よう)で軍を率いていたけど、(えん)(しょう)からの兵の支援は少なくて、逢紀を(えん)(たん)に従わせたよ。(えん)(たん)はさらに兵を求めたけど、(しん)(ぱい)たちはこれに応じないことを議論したよ。怒った(えん)(たん)(ほう)()を殺したんだ。

(註33)

典論曰:譚長而惠,尚少而美。紹妻劉氏愛尚,數稱其才,紹亦奇其皃,欲以為後,未顯而紹死。劉氏性酷妬,紹死,僵尸未殯,寵妾五人,劉盡殺之。以為死者有知,當復見紹於地下,乃髠頭墨靣以毀其形。尚又為盡殺死者之家。

(てん)(ろん)』によると、(えん)(たん)は年長で賢くて、(えん)(しょう)は若い頃から美しかったの。(えん)(しょう)の妻の(りゅう)()(えん)(しょう)を愛して、彼の才能を何度もほめたたえて、(えん)(しょう)もその容姿をほめて後継ぎにしたいと考えていたけど、正式に決める前に亡くなったんだ。(りゅう)()は性格が激しくて嫉妬深かったから、(えん)(しょう)が亡くなると、彼の遺体をまだ埋葬されていないうちに、愛されていた側室5人をすべて殺しちゃったの。彼女は、「死者に意識があるなら、地下でふたたび(えん)(しょう)に会うだろう」と考えて、側室たちの形を壊すために彼女たちの頭を剃って、顔を墨で塗ったんだ。さらに、(えん)(しょう)もまたその側室たちの家族をすべて殺したんだ。

(註34)

英雄記曰:紀字元圖。初,紹去董卓出奔,與許攸及紀俱詣兾州,紹以紀聦達有計策,甚親信之,與共舉事。後審配任用,與紀不睦。或有讒配於紹,紹問紀,紀稱「配天性烈直,古人之節,不宜疑之」。紹曰:「君不惡之邪?」紀荅曰:「先日所爭者私情,今所陳者國事。」紹善之,卒不廢配。配由是更與紀為親善。

(えい)(ゆう)()』によると、(ほう)()は、(あざな)(げん)()だよ。(えん)(しょう)(とう)(たく)から去って逃げて、(きょ)(ゆう)(ほう)()と一緒に()州に向かったよ。(えん)(しょう)(ほう)()が聡明で計略が得意だから、とても信頼して、一緒に事を起こしたよ。後に(しん)(ぱい)が使われるようになると、(ほう)()とは仲が悪くなっちゃった。ある人が(えん)(しょう)(しん)(ぱい)の悪口を言ったから、(えん)(しょう)(ほう)()を問いただしたよ。(ほう)()はこう答えたよ。
(しん)(ぱい)は性格がまっすぐで、昔の人の節を持つ人だよ。疑うべきではないよ」
(えん)(しょう)がこう尋ねたよ。
「あなたは彼を憎んでいないの?」
(ほう)()はこう答えたよ。
「前に争ったのは私情で、今言っているのは国のことだよ」
(えん)(しょう)はこれを良しとして、(しん)(ぱい)を辞めさせなかったから、(しん)(ぱい)(ほう)()はふたたび親しくなったよ。

黎陽の戦い

本文

太祖渡河攻譚,譚告急於尚。尚欲分兵益譚,恐譚遂奪其衆,乃使審配守鄴,尚自將兵助譚,與太祖相拒於黎陽。自二月至九月,大戰城下,譚、尚敗退,入城守。太祖將圍之,乃夜遁。追至鄴,收其麥,拔陰安,引軍還許。太祖南征荊州,軍至西平。譚、尚遂舉兵相攻,譚敗奔平原。尚攻之急,譚遣辛毗詣太祖請救。太祖乃還救譚,十月至黎陽。(註35)(註36)(註37)

(そう)(そう)は黄河を渡って(えん)(たん)を攻めて、(えん)(たん)(えん)(しょう)に急ぎの援軍を求めたよ。(えん)(しょう)は兵を分けて(えん)(たん)に加勢しようと考えたけど、(えん)(たん)がその兵を奪うのを恐れて、(しん)(ぱい)(ぎょう)を守らせて、自ら兵を率いて(えん)(たん)を助けて、(そう)(そう)(れい)(よう)で対峙したよ。二月から九月までの間に大きな戦いが繰り広げられて、(えん)(たん)(えん)(しょう)は敗れて城に逃げ込んだよ。(そう)(そう)は城を取り囲もうとしたけど、夜中に退却したよ。(そう)(そう)(ぎょう)まで追撃して、彼らの麦を収穫して(いん)(あん)を占領して、軍を引いて(きょ)に戻ったよ。
(そう)(そう)(けい)州を攻めるために南へ軍を進めて、西(せい)(へい)に軍が着くと、(えん)(たん)(えん)(しょう)はお互いに兵を挙げて戦ったよ。(えん)(たん)は敗れて、(へい)(げん)に逃げ込んだよ。(えん)(しょう)が激しく攻撃する中、(えん)(たん)(しん)()(そう)(そう)のもとに送って、援軍を求めたよ。(そう)(そう)(えん)(たん)を救うために、十月に(れい)(よう)に戻ったよ。

(註35)

魏氏春秋載劉表遺譚書曰:「天篤降害,禍難殷流,尊公殂殞,四海悼心。賢胤承統,遐邇屬望,咸欲展布旅力,以投盟主,雖亡之日,猶存之願也。何寤青蠅飛於干旍,無極游於二壘,使股肱分為二體,背膂絕為異身!昔三王五伯,下及戰國,父子相殘,蓋有之矣;然或欲以成王業,或欲以定伯功,或欲以顯宗主,或欲以固冢嗣,未有棄親即異,抏其本根,而能崇業濟功,垂祚後世者也。若齊襄復九世之讎,士匄卒荀偃之事,是故春秋美其義,君子稱其信。

()()(しゅん)(じゅう)』によると、(りゅう)(ひょう)(えん)(たん)に手紙を送ったこう言ったよ。
「天は何度も災いを降らせて、禍いは盛んに広がって、尊敬すべきあなたの父((えん)(しょう))が亡くなって、天下の人たちは深く悲しんでいるんだ。賢い子がその位を継いで、遠くや近くの人たちはみんなあなたに威を仰いで、みんなが力を尽くして盟主に従おうとしていたよ。亡くなった日にも、その願いは変わらないの。でも、どうして青い蝿(嫉妬や争い)が旗の下を飛び交って、2つの陣営を限りなく行き来して、主君を支える臣下たちも2つに分かれて、背中と腰が別々の異なる体となったの?
昔の三王五伯の時代から戦国時代まで、父と子がお互いに争うことがあったよ。これらの争いは、王の業を成し遂げるため、伯の功績を定めるため、宗主を示すため、後継ぎを守るためといった、みんな大義に基づくものだったよ。でも、親を捨てて他者と組んで、その根本を抑えつけながら大業を成し遂げて、功績を立てて、後の世に栄えた者はいないんだ。たとえば、(せい)(じょう)(こう)が9代にわたる仇を討って、()(かい)(じゅん)(えん)の業を成し遂げように、『(しゅん)(じゅう)』にその義を美しく描かれて、君子たちはその信義をたたえるんだよ。

(註35)

夫伯游之恨於齊,未若太公之忿曹;宣子之承業,未若仁君之繼統也。且君子之違難不適讎國,豈可忘先君之怨,棄至親之好,為萬世之戒,遺同盟之恥哉!兾州不弟之慠,旣已然矣;仁君當降志辱身,以匡國為務;雖見憎於夫人,未若鄭莊之於姜氏,兄弟之嫌,未若重華之於象傲也。然莊公有大隧之樂,象受有鼻之封。願棄捐前忿,遠思舊義,復為母子昆弟如初。」

そもそも(はく)(ゆう)(じゅん)(えん))の斉に対する恨みも、太公(文公)が(そう)に対する憤りには及ばないし、(せん)()()(かい))が業を継いだことは、仁のある君主がその位を継いだことには及ばないよ。その上、君子は災難を避けるために敵の国に逃れることはなくて、どうして先代の君主の怨みを忘れて、親しい血縁の愛を捨てて、後の世の戒めとなって、同盟者に恥を遺すなんてできるの! ()州の不弟((えん)(しょう))の傲慢はすでに明らかだよね。だから、仁のある君主は志を低くして身を辱めてでも国を支えることに務めるべきだよ。たとえ夫人に憎まれたとしても、それは(てい)(そう)(こう)(きょう)()に対したありさまほどではないし、兄弟の仲が悪いのは(ちょう)()(しゅん))が弟に対したときよりも軽いものだよ。それでも(そう)(こう)は地下の中の楽しみを得て、弟は(ゆう)()に領地を与えられたよ。どうか前の憤りを捨て去って、遠く古い義を思って、ふたたび母と子、兄と弟として間柄を元のように戻してね」

(註35)

又遺尚書曰:「知變起辛、郭,禍結同生,追閼伯、實沈之蹤,忘常棣死喪之義,親尋干戈,僵尸流血,聞之哽咽,雖存若亡。昔軒轅有涿鹿之戰,周武有商、奄之師,皆所以翦除穢害而定王業,非彊弱之事爭,喜怒之忿也。故雖滅親不為尤,誅兄不傷義。今二君初承洪業,纂繼前軌,進有國家傾危之慮,退有先公遺恨之負,當唯義是務,唯國是康。何者?

それに、(りゅう)(ひょう)(えん)(しょう)に遺した手紙でこう言ったよ。
(しん)(ぴょう)(かく)()が変事を起こして争いが始まって、血を分けた兄弟に災いが結ばれたんだ。(あつ)(はく)(じっ)(ちん)の跡を追って、(じょう)(てい)の兄弟が亡くなった喪の義を忘れて、自ら戦いを求めて、死体は血を流したの。そのことを聞けば、喉がつかえて言葉も出なくて、生きていても死んでいるかのような思いに襲われるよ。
昔、(けん)(えん)涿(たく)鹿(ろく)の戦いを起こして、(しゅう)()(おう)(しょう)(いん))と(えん)に軍を起こしたけど、これらはすべて、穢れや害を取り除いて王の業を定めるためで、強いか弱いかを争ったり、喜びや怒りに任せたものではないよ。だから、親族を滅ぼしても罪とはならなくて、兄を処刑しても義を背かなかったよ。今、ふたりの君主は初めて偉大な事業を受け継いで、先王の道を受け継ごうとしているよ。進めば国家が傾く危機の心配があって、退けば先の君主の無念を背負うことになるよ。ただ義を務めて、国を安定させることだけが大切なんだ。どうしてかな? 金、木、水、火はそれぞれの剛と柔をお互いに補い合って、はじめて調和が取れて、民の役に立つよ。

(註35)

今青州天性峭急,迷於曲直。仁君度數弘廣,綽然有餘,當以大包小,以優容劣,先除曹操以卒先公之恨,事定之後,乃議曲直之計,不亦善乎!若留神遠圖,克己復禮,當振斾長驅,共獎王室,若迷而不反,違而無改,則胡夷將有誚讓之言,況我同盟,復能戮力為君之役哉?此韓盧、東郭自困於前而遺田父之獲者也。憤踊鶴望,兾聞和同之聲。若其泰也,則袁族其與漢升降乎!如其否也,則同盟永無望矣。」譚、尚盡不從。

今、(せい)州((えん)(たん))の性格はせっかちで、道理が正しいか間違っているか見誤っているんだ。あなたは度量が広くて、大らかで余裕があるのだから、大が小を包んで、優れた者が劣った者を広い心で受け入れるべきだよ。まずは(そう)(そう)を除いて、先公((えん)(しょう))の恨みを晴らして、事が定まった後で是非を議論するのが良いよ。もし遠くを見据えて大きな計略に心を配って、己を克服して礼を戻せば、旗を掲げて進軍して一緒に王室を助けられるだろうね。でも、もし迷いから抜け出せなくて、過ちを改めないなら、異民族からも非難の声が上がるだろうし、ましてや同盟の者たちがあなたのために力を尽くすなんてありえないよ。これはまさに、(かん)()(良い犬)や(とう)(かく)(ずる賢いウサギ)が自分を困難に陥れて、農夫に利益を与えたのと同じだよね。私の憤りのあまり身を震わせて、和解と協調の声を願っているよ。もし和解したら、(えん)()(かん)と一緒に栄えるだろうね。でも、もしそうでなければ、同盟の望みは永遠に断たれるだろうね」
(えん)(たん)(えん)(しょう)は従わなかったんだ。

(註36)

漢晉春秋載審配獻書於譚曰:「春秋之義,國君死社稷,忠臣死王命。苟有圖危宗廟,敗亂國家,王綱典律,親踈一也。是以周公垂泣而蔽管、蔡之獄,季友歔欷而行鍼叔之鴆。何則?義重人輕,事不得已也。昔衞靈公廢蒯聵而立輙,蒯聵為不道,入戚以篡,衞師伐之。春秋傳曰:『以石曼姑之義,為可以拒之。』是以蒯聵終獲叛逆之罪,而曼姑永享忠臣之名。父子猶然,豈況兄弟乎!

(かん)(しん)(しゅん)(じゅう)』によると、(しん)(ぱい)(えん)(たん)に手紙を送ってこう言ったよ。
「『(しゅん)(じゅう)』の教えでは、国の君主は国家のために死んで、忠のある臣下は王の命令のために死ぬんだ。もし宗廟(祖先の廟)を危うくして、国家を乱そうとする者がいるなら、それが親族でもそうでない者でも、王の法や典律に照らして等しく処断すべきだよ。(しゅう)(こう)(たん)は涙を流して(かん)(しゅく)(さい)(しゅく)の罪を裁いて、()(ゆう)は泣きながらも(しゅく)()に毒を与えたんだ。どうしてかな? 義が人の命より重くて、事は仕方がなかったからだよ。
昔、(えい)(れい)(こう)(かい)(がい)を廃位して、(ちょう)を立てたよ。(かい)(がい)は道に外れていて、親族を引き入れて王位を奪おうとしたから、(えい)の軍はこれを討伐したよ。『(しゅん)(じゅう)()()(でん)』には『(せき)(まん)()の義によってこれを拒むことができた』とあるよ。だから、(かい)(がい)は最終的に反逆の罪に問われて、(せき)(まん)()は永遠に忠臣の名を受けたの。父と子でさえこうなのに、兄弟ならなおさらだよね!

(註36)

昔先公廢絀將軍以續賢兄,立我將軍以為適嗣,上告祖靈,下書譜牒,先公謂將軍為兄子,將軍謂先公為叔父,海內遠近,誰不備聞?且先公即世之日,我將軍斬衰居廬,而將軍齋于堊室,出入之分,於斯益明。是時凶臣逢紀,妄畫蛇足,曲辭諂媚,交亂懿親,將軍奮赫然之怒,誅不旋時,我將軍亦奉命承旨,加以淫刑。

昔、あなたの父((えん)(しょう))は、賢明な兄を継がせるために(えん)(たん)を廃位して、袁尚を後継ぎとしたよ。これを上は祖先の霊に告げて、下は系譜に記したよ。(えん)(しょう)(えん)(たん)を兄の子として、(えん)(たん)(えん)(しょう)を叔父としたよ。国内外の誰もがこれを聞いて知っていたよ。そして、(えん)(しょう)が亡くなると、(えん)(しょう)は喪服の最も重い(ざん)(すい)を着て、喪屋にこもって喪に服して(父を弔う礼)、(えん)(たん)は喪に服すための部屋にこもって(叔父を弔う礼)、出自と立場の違いは、よりはっきりしたの。その時、悪い臣下の(ほう)()が、蛇に足を描くようなでたらめな策をして、へつらいと媚びた言葉で真実をねじまげて、親族を乱したんだ。(えん)(たん)は激しく怒って、時を待たないで彼を処刑して、(えん)(しょう)も命令を受けて彼を処刑したよ。

(註36)

自是之後,癰疽破潰,骨肉無絲髮之嫌,自疑之臣,皆保生全之福。故悉遣彊胡,簡命名將,料整器械,選擇戰士,殫府庫之財,竭食土之實,其所以供奉將軍,何求而不備?君臣相率,共衞旌麾,戰為鴈行,賦為幣主,雖傾倉覆庫,翦剥民物,上下欣戴,莫敢告勞。何則?推戀戀忠赤之情,盡家家肝腦之計,脣齒輔車,不相為賜。

この後、腫れ物は破れて潰れて、骨と肉の間にわずかな隔たりすらなくなって、疑っていた臣下たちも、みんな命を保って生き延びる幸福を得たよ。そこで、強力な()族を送って、有能な将を選んで、武器や装備を整えて、戦士を選んで、倉庫の財を使い果たして、土地の食糧を尽くして、将軍に必要なものをすべて供給して、求められるものは1つとして備えなかったものはないよ。君主と臣下が一緒に力を合わせて旗を守って、戦場では雁の列みたいに進んで、税は君主に捧げたよ。たとえ倉庫が空になっても、民からの物を削り取っても、上下の者たちは喜んでこれを受け入れて、誰も苦しみを訴える者はいなかったよ。どうしてかというと、忠と真心の情に動かされて、家ごとに心血を注ぐ覚悟でいて、唇と歯、車と軸のようにお互いに支え合って、それを惜しまなかったからだよ。

(註36)

謂為將軍心合意同,混齊一體,必當并威偶勢,禦寇寧家。何圖凶險讒慝之人,造飾無端,誘導姦利,至令將軍翻然改圖,忘孝友之仁,聽豺狼之謀,誣先公廢立之言,違近者在喪之位,悖紀綱之理,不顧逆順之節,橫易兾州之主,欲當先公之繼。遂放兵鈔撥,屠城殺吏,交尸盈原,裸民滿野,或有髠𩮜髮膚,割截支體,冤魂痛於幽冥,創痍號於草棘。

(えん)(たん)は心をひとつにして、意を同じくして、ひとつにまとまって、きっと威を合わせて、勢いを並べて賊を防いで、家を守ると思っていたんだ。でも、凶悪で邪悪な悪口を言う臣下が根拠もないのに偽りを飾り立てて、不正な利益を誘導したから、(えん)(たん)は突然計画を改めて、孝や兄弟の情を忘れて、(ヤマイヌ)(オオカミ)みたいな悪い人の策を信じて、(えん)(しょう)が廃立したという偽りの言葉を広めて、喪に服すべき人を無視して、礼法や秩序に反して、道を顧みないで、勝手に()州の主に就こうとして、(えん)(しょう)の後継ぎになろうとしたんだ。その結果、兵を放って略奪をして、城を攻め滅ぼして役人を殺して、死体が原野にあふれて、裸の民が野に満ちて、中には髪を切られて肌を削がたり、手足を切られる者まで出たんだ。魂は幽冥で苦しんで、傷ついた者は草むらで悲鳴を上げたの。

(註36)

又乃圖獲鄴城,許賜秦、胡財物婦女,豫有分界。或聞告令吏士云:『孤雖有老母,輙使身體完具而已。』聞此言者,莫不驚愕失氣,悼心揮涕,使太夫人憂哀憤懣於堂室,我州君臣士友假寐悲歎,無所措其手足;念欲靜師拱默以聽執事之圖,則懼違春秋死命之節,貽太夫人不測之患,隕先公高世之業。

それに、(ぎょう)(じょう)を奪おうと企んで、(しん)()の兵に財や女性を与えるのを赦して、あらかじめ分け前を決めたんだって。ある人が、命令を聞いた役人や兵にこう言ったよ。
『私は老いた母がいるけど、ただ身体が無事でさえあればよいの』
この言葉を聞いた人たちはみんなびっくりして、心を痛めて涙を流したよ。母は宮殿の奥で悲しみと憤りに満ちた思いで心配しているの。私たちの州の君主、臣下、士人、友人たちは仮眠することもできなくて、寝床に伏しても悲嘆にくれて眠れなくて、手も足もどうしてよいかわからないの。あなたの計略に従って、ただ軍を静めてじっとして、見ていようとするなら、それは『(しゅん)(じゅう)』の死をもって節を守る教えに反するし、母に計り知れぬ災いをもたらすだろうね。さらに、(えん)(しょう)が築いた高い世の業を台無しにしちゃう恐れがあったんだ。

(註36)

且三軍憤慨,人懷私怒,我將軍辭不獲已,以及館陶之役。是時外為禦難,內實乞罪,旣不見赦,而屠各二三其心,臨陣叛戾。我將軍進退無功,首尾受敵,引軍奔避,不敢告辭。亦謂將軍當少垂親親之仁,貺以緩追之惠,而乃尋蹤躡軌,無所逃命。困獸必鬬,以干嚴行,而將軍師旅土崩瓦解,此非人力,乃天意也。

さらに、全軍がとても怒って、人々がそれぞれ私的な怒りを抱いて、(えん)(しょう)は仕方なく(かん)(とう)の戦いに行ったよ。この時、外には敵を防ぐという名目があったけど、内では罪を乞う状況だったんだ。でも、赦されなくて、()(がく)族((きょう)())は心変わりして、戦場で反逆したんだ。(えん)(しょう)は進退ともに功績をあげられなくて、前後から敵に攻められて、軍を引いて逃げなきゃならなくて、去ることを告げることもできなかったの。それでも、(えん)(たん)が少しでも親族に対する少しの仁と、追撃を緩める恩恵があるべきだと思っていたけど、跡を追い続けて、逃れる場所はなかったんだ。追いつめられた獣は必ず戦うよ。そのような中で厳しい行動に向かって、(えん)(たん)の軍は崩れたんだ。これは人の力ではなくて、天意によるものだよ。

(註36)

是後又望將軍改往修來,克己復禮,追還孔懷如初之愛;而縱情肆怒,趣破家門,企踵鶴立,連結外讎,散鋒於火,播增毒螫,烽煙相望,涉血千里,遺城厄民,引領悲怨,雖欲勿救,惡得已哉!故遂引軍東轅,保正疆埸,雖近郊壘,未侵境域,然望旌麾,能不永歎?配等備先公家臣,奉廢立之命。

この後も、(えん)(たん)が過ちを改めて立ち直って、自らを律して礼を守って、かつての親愛の情を取り戻してくれることを望んでいたの。でも、かえって感情に任せて怒りを抑えなくて、自ら家門を滅ぼす道を急いで、背伸びしてふさわしくない地位を狙って、外敵と手を結んで、火に兵を投げて、毒のある虫のような害をまき散らして、戦火の狼煙が各地に立ち上って、血を千里に渡って流して、城を捨て民を苦しめて、人々は首を伸ばして援軍を待って、悲しみと怨みの声を上げたんだ。たとえ救いたくなくても、どうして放っておけるの! だから、軍を引いて東に進んで、境界の守りを固めたんだ。近くの砦には着いたけど、領域を侵すことはなかったよ。でも、あなたの旗を遠くに仰ぎ見れば、どうして長く嘆かないでいられるの? (しん)(ぱい)たちは(えん)(しょう)の臣下として、廃立の命令を受けているよ。

(註36)

而圖等干國亂家,禮有常刑。故奮弊州之賦,以除將軍之疾,若乃天啟于心,早行其誅,則我將軍匍匐悲號於將軍股掌之上,配等亦袒躬布體以待斧鉞之刑。若必不悛,有以國斃,圖頭不縣,軍不旋踵。願將軍詳度事宜,錫以環玦。」

でも、(かく)()たちは国を乱して家を滅ぼす罪を犯したよ。礼に従えば当然、刑罰があるよね。そこで、私たちの州の賦を奮い立たせて、(えん)(たん)の病気を除こうとしたの。もし天が心を明らかにして、早く誅罰を行えば、(えん)(しょう)(えん)(たん)の掌の上で伏せて悲んで泣き叫ぶだろうし、(しん)(ぱい)たちも服を脱いで重い刑罰を待っただろうね。でも、もし悔い改めないで国が滅びることになれば、(かく)()の首は吊されないし、軍は退く間もないだろうね。どうか(えん)(たん)には事情を慎重によく考えて、環みたいに仲直りするか、玦みたいに別れるか決めてほしいんだ」

将軍が具体的に誰を指すのか補ったよ。

(註37)

典略曰:譚得書悵然,登城而泣。旣劫於郭圖,亦以兵鋒累交,遂戰不解。

(てん)(りゃく)』によると、(えん)(たん)は手紙を読んで悲しんで、城に登って泣いたよ。でも、(かく)()に脅されて、また兵のほこさきがお互いに交わって、戦いは止まらなかったんだ。

本文

尚聞太祖北,釋平原還鄴。其將呂曠、呂翔叛尚歸太祖,譚復陰刻將軍印假曠、翔。太祖知譚詐,與結婚以安之,乃引軍還。尚使審配、蘇由守鄴,復攻譚平原。

(えん)(しょう)(そう)(そう)が北にいると聞いて、(へい)(げん)を離れて(ぎょう)に帰ったよ。その将の(りょ)(こう)(りょ)(しょう)(えん)(しょう)に背いて(そう)(そう)に従ったよ。(えん)(たん)はこっそりとふたたび将軍の印を刻んで(りょ)(こう)(りょ)(しょう)に与えたよ。(そう)(そう)(えん)(たん)が騙そうとしていると知って、婚姻関係を結んで安定させて、軍を引いて帰ったよ。(えん)(しょう)(しん)(ぱい)()(ゆう)(ぎょう)を守らせて、ふたたび(えん)(たん)(へい)(げん)を攻めたよ。

本文

太祖進軍將攻鄴,到洹水,去鄴五十里,由欲為內應,謀泄,與配戰城中,敗,出奔太祖。太祖遂進攻之,為地道,配亦於內作塹以當之。配將馮禮開突門,內太祖兵三百餘人,配覺之,從城上以大石擊突中柵門,柵門閉,入者皆沒。太祖遂圍之,為塹,周四十里,初令淺,示若可越。配望而笑之,不出爭利。

(そう)(そう)は進軍して(ぎょう)を攻めようとして、(かん)(すい)に着いたよ。(ぎょう)から50里の場所だよ。()(ゆう)(そう)(そう)に応じようとしたけど、計画が漏れちゃって、城内で(しん)(ぱい)と戦ったけど敗れて、(そう)(そう)のもとに逃げたの。(そう)(そう)は進軍して(ぎょう)を攻めて、地下道を作ったよ。(しん)(ぱい)も内側に塹壕を掘ってそれを防いだよ。(しん)(ぱい)の将の(ふう)(れい)は正面の門を開けて(そう)(そう)の兵300人以上を内に入れたけど、(しん)(ぱい)はこれに気づいて、城の上から大石で門の柵を打って、門は閉じられて、中に入った兵たちはみんな討ち取られたんだ。(そう)(そう)(ぎょう)を包囲して、40里にわたって塹壕を掘って、初めは浅く掘って越えられるように見せかけたよ。(しん)(ぱい)はそれを見て笑って、出て争おうとしなかったの。

本文

太祖一夜掘之,廣深二丈,決漳水以灌之,自五月至八月,城中餓死者過半。尚聞鄴急,將兵萬餘人還救之,依西山來,東至陽平亭,去鄴十七里,臨滏水,舉火以示城中,城中亦舉火相應。配出兵城北,欲與尚對決圍。太祖逆擊之,敗還,尚亦破走,依曲漳為營,太祖遂圍之。

(そう)(そう)は一夜で掘り進んで、広さと深さをそれぞれ2丈にして、(しょう)(すい)を引き入れて城に流し込んだよ。五月から八月までの間、城内では半数以上の人が餓死したんだ。(えん)(しょう)(ぎょう)の危機を聞いて、兵を1万以上を率いて救援に戻って、西山に沿って進んで、東は(よう)(へい)(てい)に着いて、(ぎょう)から17里の()(すい)で火を掲げて、城内に合図を送ったよ。城内でも火を掲げて応じたよ。(しん)(ぱい)は北城から兵を出して(えん)(しょう)と一緒に包囲を破ろうとしたけど、(そう)(そう)はこれを反撃して打ち破って、(しん)(ぱい)は敗れて戻って、(えん)(しょう)もまた破られて逃げて(きょく)(しょう)で陣営を布いたよ。(そう)(そう)はそのまま(えん)(しょう)を包囲したよ。

本文

未合,尚懼,遣陰夔、陳琳乞降,不聽。尚還走濫口,進復圍之急,其將馬延等臨陣降,衆大潰,尚奔中山。盡收其輜重,得尚印綬、節鉞及衣物,以示其家,城中崩沮。配兄子榮守東門,夜開門內太祖兵,與配戰城中,生禽配。配聲氣壯烈,終無撓辭,見者莫不歎息。遂斬之。(註38)(註39)高幹以并州降,復以幹為刺史。

戦いがまだ始まらないうちに、(えん)(しょう)は恐れて、(いん)()(ちん)(りん)を使者として送って降伏を申し出たけど、(そう)(そう)は受け入れなかったんだ。(えん)(しょう)(らん)(こう)に逃げ戻ったけど、包囲がさらに厳しくなっちゃった。その将の()(えん)たちが戦場で降伏して、兵たちは大きく崩れたの。(えん)(しょう)は中山(ちゅうざん)へ逃げ込んだよ。(そう)(そう)は彼らの輜重(軍の補給物資)をすべて奪って、(えん)(しょう)の印綬、節鉞、衣服などを手に入れて、これを(えん)(しょう)の家族に示したよ。城内は崩れて、混乱したよ。
(しん)(ぱい)の兄の子の(しん)(えい)は東の門を守っていたけど、夜に門を開けて(そう)(そう)の兵を入れて、(しん)(ぱい)と城内で戦ったよ。(しん)(ぱい)は生け捕りにされたんだ。(しん)(ぱい)の声と気迫は激しい勢いで、最後まで屈する言葉を発さないで、見ていた者はみんな嘆いたんだ。そして、(しん)(ぱい)は討ち取られたよ。(こう)(かん)(へい)州をあげて降伏して、ふたたび(へい)(しゅう)()()(州の長官)になったよ。

(えん)(たん)さん(えん)(しょう)さんサイドから見るとグダグダ感がすごい。

(註38)

先賢行狀曰:配字正南,魏郡人,少忠烈慷慨,有不可犯之節。袁紹領兾州,委以腹心之任,以為治中別駕,并總幕府。初,譚之去,皆呼辛毗、郭圖家得出,而辛評家獨被收。及配兄子開城門內兵,時配在城東南角樓上,望見太祖兵入,忿辛、郭壞敗兾州,乃遣人馳詣鄴獄,指殺仲治家。

(せん)(けん)(こう)(じょう)』によると、(しん)(ぱい)は、(あざな)(せい)(なん)で、()郡の出身だよ。若い頃から忠義と烈しさにあふれていて、不屈の節を持っていたよ。(えん)(しょう)()州を治めると、(しん)(ぱい)を信頼できる臣下として使って、()(ちゅう)(べつ)()にして、さらに幕府をまとめさせたよ。
もともと、(えん)(たん)が去ると、(しん)()(かく)()の家族はみんな外に出されたけど、(しん)(ぴょう)の家族だけは捕らえられたんだ。(しん)(ぱい)の兄の子が城の門を開いて(そう)(そう)の兵を入れると、(しん)(ぱい)は城の東南角の楼の上にいて、(そう)(そう)の兵が入るのを見て、(しん)()(かく)()()州を滅ぼしたことにとても怒って、急いで人を送って(ぎょう)の牢獄に駆けつけて、(ちゅう)()(しん)(ぴょう))の家族を殺すように命令したよ。この時、(しん)()とは軍にいて、門が開いたのを聞くと、急いで牢獄に駆けつけて兄の家族を救おうとしたけど、すでに彼らは殺されていたんだ。

(註38)

是日生縛配,將詣帳下,辛毗等逆以馬鞭擊其頭,罵之曰:「奴,汝今日真死矣!」配顧曰:「狗輩,正由汝曹破我兾州,恨不得殺汝也!且汝今日能殺生我邪?」有頃,公引見,謂配:「知誰開卿城門?」配曰:「不知也。」曰:「自卿子榮耳。」配曰:「小兒不足用乃至此!」公復謂曰:「曩日孤之行圍,何弩之多也?」配曰:「恨其少耳!」公曰:「卿忠於袁氏父子,亦自不得不爾也。」有意欲活之。配旣無撓辭,而辛毗等號哭不已,乃殺之。

この日、(しん)(ぱい)は縄で縛られて生け捕りにされて、(そう)(そう)の陣営の中に連れて行かれたよ。途中、(しん)()たちが馬鞭で彼の頭を打って、罵ってこう言ったよ。
「奴め、今日こそ本当に死ぬときだよ!」
(しん)(ぱい)は振り返ってこう言ったよ。
「犬どもめ、あなたたちが私の()州を滅ぼしたから私は破れたんだ。悔しいのは、あなたたちを殺せなかったことだ! それに、あなたたちに私の生死が決められるものか?」
しばらくして、(そう)(そう)(しん)(ぱい)を呼び寄せて会って、こう尋ねたよ。
「誰が城門を開けたか知っているの?」
(しん)(ぱい)はこう答えたよ。
「知らないよ」
(そう)(そう)はこう言ったよ。
「あなたの子の(しん)(えい)だよ」
(しん)(ぱい)はこう言ったよ。
「愚かな子め、役に立たないと思っていたが、まさかここまでとは!」
さらに(そう)(そう)はこう尋ねたよ。
「前に、私たちが包囲していたとき、どうしてあんなに弩が多かったの?」
(しん)(ぱい)はこう答えたよ。
「少なかったのが悔しいよ!」
(そう)(そう)はこう言ったよ。
「あなたが(えん)()の父と子に忠義を尽くしたことは理解しているよ。だからこのようにするしかなかったの」
そして、彼を助けたいと示したよ。でも、(しん)(ぱい)は屈する言葉は出さなくて、(しん)()たちが泣き叫び続けたから、ついに(しん)(ぱい)は殺されたんだ。

(註38)

初,兾州人張子謙先降,素與配不善,笑謂配曰:「正南,卿竟何如我?」配厲聲曰:「汝為降虜,審配為忠臣,雖死,豈若汝生邪!」臨行刑,叱持兵者令北向,曰:「我君在北。」

もともと、()州の出身の(ちょう)()(けん)は先に降伏していて、(しん)(ぱい)とは仲が悪かったんだ。(ちょう)()(けん)(しん)(ぱい)を見て笑ってこう言ったよ。
(せい)(なん)(しん)(ぱい))、あなたは結局、私よりどうだった?」
(しん)(ぱい)は厳しい声でこう答えたよ。
「あなたは降伏した賊で、私は忠臣だよ。たとえ死んでも、あなたのように生きるわけにはいかない!」
刑を執行するとき、(しん)(ぱい)は兵に向かって叱りつけて、北に向くように命令してこう言ったよ。
「私の君主((えん)())は北にいるんだ」

(註39)

樂資山陽公載記及袁暐獻帝春秋並云太祖兵入城,審配戰於門中,旣敗,逃于井中,於井獲之。

(がく)()の『(さん)(よう)(こう)(さい)()』と(えん)()の『(けん)(てい)(しゅん)(じゅう)』よると、(そう)(そう)の兵が城に入ると、(しん)(ぱい)は門の中で戦って、敗れて井戸に逃げて、井戸の中で捕らえられたんだって。

(註39)

臣松之以為配一代之烈士,袁氏之死臣,豈當數窮之日,方逃身於井,此之難信,誠為易了。不知資、暐之徒竟為何人,未能識別然否,而輕弄翰墨,妄生異端,以行其書。如此之類,正足以誣罔視聽,疑誤後生矣。寔史籍之罪人,達學之所不取者也。

(はい)(しょう)()の見解としては、(しん)(ぱい)はこの時代を代表する烈士で、(えん)()のために命を捧げて仕える臣下だったのに、どうして追い詰められたときに自分から井戸に逃げて身を隠そうとしたなんて信じられるのかな。この話は本当に信じられなくて、簡単に誤りだとわかるね。(がく)()(えん)()たちが、一体どのような人物なのかすらわからなくて、彼らは真偽を見極められなくて、軽々しく筆を動かして勝手に異なる説を作って、その書を広めたんだ。このようなものはまさに、見たものと聞いたものを欺いて、後の世の人たちを惑わすものだよね。これこそ史書を汚す罪人で、真の学問が採用すべきものではないよ。

追い詰められた先に

本文

太祖之圍鄴也,譚略取甘陵、安平、勃海、河間,攻尚於中山。尚走故安從熈,譚悉收其衆。太祖將討之,譚乃拔平原,并南皮,自屯龍湊。十二月,太祖軍其門,譚不出,夜遁奔南皮,臨清河而屯。

(そう)(そう)(ぎょう)を包囲している間、(えん)(たん)(かん)(りょう)(あん)(ぺい)(ぼっ)(かい)()(かん)を攻め取って、(ちゅう)(ざん)(えん)(しょう)を攻めたよ。(えん)(しょう)()(あん)へ逃げて(えん)()に従ったよ。(えん)(たん)(えん)(しょう)の兵をすべて集めたの。(そう)(そう)が彼を討とうとすると、(えん)(たん)(へい)(げん)を離れて、(なん)()に集まって、(りゅう)(そう)に駐屯したよ。十二月、(そう)(そう)の軍がその門に着いたけど、(えん)(たん)は出てこなくて、夜に(なん)()に逃げて、(せい)()のほとりに陣を布いたよ。

本文

十年正月,攻拔之,斬譚及圖等。熈、尚為其將焦觸、張南所攻,奔遼西烏丸。觸自號幽州刺史,驅率諸郡太守令長,背袁向曹,陳兵數萬,殺白馬盟,令曰:「違命者斬!」衆莫敢語,各以次歃。至別駕韓珩,曰:「吾受袁公父子厚恩,今其破亡,智不能救,勇不能死,於義闕矣;若乃北靣於曹氏,所弗能為也。」一坐為珩失色。觸曰:「夫興大事,當立大義,事之濟否,不待一人,可卒珩志,以勵事君。」

建安十年(205年)、正月、(そう)(そう)(せい)()を攻め取って、(えん)(たん)(かく)()たちを討ち取ったよ。(えん)()(えん)(しょう)は将の(しょう)(しょく)(ちょう)(なん)に攻められて、(りょう)西(せい)()(がん)族へ逃げたんだ。
(しょう)(しょく)は自ら(ゆう)(しゅう)()()(州の長官)を名乗って、郡の(たい)(しゅ)(郡の長官)、(けん)(れい)(けん)(ちょう)(県の長官)を率いて、(えん)()に背いて(そう)(そう)に従ったよ。兵を数万集めて白馬を殺して盟約を交わして、命令を下してこう言ったよ。
「命令に背く者は斬る!」
誰も反対できなくて、それぞれ順番に白馬の血をすすって盟約を結んだよ。
(べつ)()(かん)(こう)のもとに着くと、彼はこう言ったよ。
「私は(えん)()の父と子から厚い恩を受けて、今や彼らが滅びようとしているのに、私は知恵では救えないし、勇をふるって死ぬこともできなくて、義に欠けるんだ。ましてや北を向いて(そう)(そう)に頭を下げるなんて、私にはできないよ」
その場にいたみんなが、(かん)(こう)の発言に顔色を失っちゃった。(しょう)(しょく)はこう言ったよ。
「大事を成し遂げるためには、大義を立てるべきだよ。成功するかどうかは、ひとりによって決まるものではないんだ。(かん)(こう)の志を貫かせて、君主に仕える道の励みとすべきだよ」

本文

高幹叛,執上黨太守,舉兵守壺口關。遣樂進、李典擊之,未拔。十一年,太祖征幹。幹乃留其將夏昭、鄧升守城,自詣匈奴單于求救,不得,獨與數騎亡,欲南奔荊州,上洛都尉捕斬之。(註40)

(こう)(かん)が反乱を起こして、(じょう)(とう)(たい)(しゅ)(郡の長官)を捕らえて、兵を挙げて()(こう)(かん)を守ったよ。(そう)(そう)(がく)(しん)()(てん)にこれを攻撃させたけど、攻め取れなかったの。
建安十一年(206年)、(そう)(そう)が自ら(こう)(かん)を討つために出征したよ。(こう)(かん)はその将の()(しょう)(とう)(しょう)に城を守らせて、自ら(きょう)()(ぜん)()(首領)に助けを求めに行ったけど、得られなかったんだ。彼は数騎を連れて逃げて、(けい)州へ南へ逃げようとしたけど、(じょう)(らく)()()に捕まって討ち取られたんだ。

(註40)

典略曰:上洛都尉王琰獲高幹,以功封侯;其妻哭於室,以為琰富貴將更娶妾媵而奪己愛故也。

(てん)(りゃく)』によると、(じょう)(らく)()()(おう)(えん)(こう)(かん)を捕らえた功績で侯に封ぜられたよ。彼の妻は部屋で泣いたんだ。(おう)(えん)が豊かになったことで、側室をさらに迎えて、自分の愛を奪うのではないかと思ったからだよ。

本文

十二年,太祖至遼西擊烏丸。尚、熈與烏丸逆軍戰,敗走奔遼東,公孫康誘斬之,送其首。(註41)(註42)(註43)太祖高韓珩節,屢辟不至,卒於家。(註44)

建安十二年(207年)、(そう)(そう)(りょう)西(せい)に着いて、()(がん)族を攻撃したよ。(えん)(しょう)(えん)()()(がん)の軍と一緒に逆らって戦ったけど、敗走して(りょう)(とう)へ逃げたんだ。(こう)(そん)(こう)は彼らを誘い出して討ち取って、その首を送ったよ。
(そう)(そう)(かん)(こう)の節を高く評価して、何度も呼び出そうとしたけど、(かん)(こう)は応じなくて、家で亡くなったんだ。

(註41)

典略曰:尚為人有勇力,欲奪取康衆,與熈謀曰:「今到,康必相見,欲與兄手擊之,有遼東猶可以自廣也。」康亦心計曰:「今不取熈、尚,無以為說於國家。」乃先置其精勇於廄中,然後請熈、尚。熈、尚入,康伏兵出,皆縛之,坐於凍地。尚寒,求席,熈曰:「頭顱方行萬里,何席之為!」遂斬首。譚,字顯思。熈,字顯弈。尚,字顯甫。

(てん)(りゃく)』によると、(えん)(しょう)は勇気があって、(こう)(そん)(こう)の兵を奪おうと考えて、(えん)()と計画を立ててこう言ったよ。
「今ここに着けば、(こう)(そん)(こう)は必ず私たちに会うだろうね。兄と手を組んで(こう)(そん)(こう)を攻めて、(りょう)(とう)の勢力を自分たちのものにしようよ」
(こう)(そん)(こう)もまた心の中で計画していたよ。
「今ここで(えん)()(えん)(しょう)を討ち取らないと、国家に言い訳が立たないんだ」
そして、先に精鋭を厩の中に置いて、その後、(えん)()(えん)(しょう)を招いたよ。(えん)()(えん)(しょう)が入ると、(こう)(そん)(こう)は伏兵を出して、彼らを縛って、凍った地面に座らせたよ。(えん)(しょう)が寒さで席を求めると、(えん)()はこう言ったよ。
「頭蓋骨がこれからはるか遠くまで運ばれるというのに、席なんて何のために必要なの!」
そして討ち取られたよ。
(えん)(たん)は、(あざな)(けん)()だよ。(えん)()は、(あざな)(けん)(えき)だよ。(えん)(しょう)は、(あざな)(けん)()だよ。

(註42)

吳書曰:尚有弟名買,與尚俱走遼東。

()(しょ)』によると、(えん)(しょう)には(えん)(ばい)という弟がいて、(えん)(しょう)と一緒に(りょう)(とう)に逃げたんだって。

(註43)

曹瞞傳云:買,尚兄子。未詳。

(そう)(まん)(でん)』によると、(えん)(ばい)(えん)(しょう)の兄の子なんだって。詳しくはわからないよ。

(註44)

先賢行狀曰:珩字子佩,代郡人,清粹有雅量。少喪父母,奉養兄姊,宗族稱孝悌焉。

(せん)(けん)(こう)(じょう)』によると、(かん)(こう)は、(あざな)()(はい)で、(だい)郡の出身で、清廉で寛大だよ。若い頃に親を亡くして、兄姉を養って、親族から兄弟を敬っているとほめたたえられたよ。

陳寿の評

「魏書劉表伝」に併せて記載するよ。

「魏書袁紹伝」は以上だよ!

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