正史『三国志』「魏書袁紹伝」をゆるゆる翻訳するよ! その1

正史『三国志』「魏書袁紹伝」をゆるゆる翻訳するよ!

はじめに

ChatGPT の力を借りて、正史『三国志』の 「魏書袁紹伝」 をゆるゆる翻訳するよ!
(えん)(しょう) について書かれているよ!

『三国志』を気軽に楽しく読んでみよう!

長いから記事を分けたよ。

出典

三國志 : 魏書六 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。

注意事項

  • ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
  • ChatGPT に意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
  • 第三者による学術的な検証はしていないよ。

翻訳の詳細は「ChatGPT と協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。

真面目な日本語訳は書籍が出版されているから、きっちりしっかり知りたい人はそちらを読んでみてね!

正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
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正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

袁紹の生まれと出世

本文

袁紹字本初,汝南汝陽人也。高祖父安,為漢司徒。自安以下四世居三公位,由是勢傾天下。(註1)(註2)(註3)

(えん)(しょう)は、(あざな)(ほん)(しょ)で、(じょ)(なん)(じょ)(よう)県の出身だよ。高祖父の(えん)(あん)(かん)()()だったの。(えん)(あん)から数えて4世代にわたって(さん)(こう)という高い位についたから、その影響力は天下に広まっていたよ。

(註1)

華嶠漢書曰:安字邵公,好學有威重。明帝時為楚郡太守,治楚王獄,所申理者四百餘家,皆蒙全濟,安遂為名臣。章帝時至司徒,生蜀郡太守京。京弟敞為司空。京子陽,太尉。陽四子:長子平,平弟成,左中郎將,並早卒;成弟逢,逢弟隗,皆為公。

()(きょう)の『(かん)(じょ)』によると、(えん)(あん)は、(あざな)(しょう)(こう)で、勉強が好きで威厳があったんだって。(めい)(てい)の時代に()(ぐん)(たい)(しゅ)(郡の長官)となって、()(おう)(りゅう)(えい))の刑務を治めたよ。その時、 不当な扱いを受けた家は400以上もあって、みんな助けられたの。(えん)(あん)はこれによって名が知られたよ。
(しょう)(てい)の時代に()()となって、(しょく)(ぐん)(たい)(しゅ)(えん)(けい)が生まれたよ。(えん)(けい)の弟の(えん)(しょう)()(くう)となったよ。(えん)(けい)の子の(えん)(よう)(たい)()となって、彼には4人の子供がいたよ。長子の(えん)(へい)、その弟の(えん)(せい)()(ちゅう)(ろう)(しょう)になったけど、彼らは若いうちに亡くなったんだ。(えん)(せい)の弟の(えん)(ほう)とその弟の(えん)(かい)はみんな公になったよ。

(註2)

魏書曰:自安以下,皆博愛容衆,無所揀擇;賔客入其門,無賢愚皆得所欲,為天下所歸。紹即逢之庶子,術異母兄也,出後成為子。

()(しょ)』によると、(えん)(あん)以降の人たちはみんな、広く人を愛して、受け入れたよ。客が彼らの門に入ると、賢者でも愚者でも、みんなが望むものを手に入れられたから、天下の人たちは彼らを慕ったの。(えん)(しょう)(えん)(ほう)の庶子で、(えん)(じゅつ)の異母兄で、(えん)(せい)の子として出されたよ。

(註3)

英雄記曰:成字文開,壯健有部分,貴戚權豪自大將軍梁兾以下皆與結好,言無不從。故京師為作諺曰:「事不諧,問文開。」

(えい)(ゆう)()』によると、(えん)(せい)は、(あざな)(ぶん)(かい)で、強くて健康で、事務を処理をする才能があるよ。貴族や権力者たちや(たい)(しょう)(ぐん)(りょう)()以下の人たちは彼と結びつきを持って、彼の言うことには逆らわなかったよ。だから、都では「事がかなわないなら、(ぶん)(かい)(えん)(せい))に問え」ということわざができたんだって。

本文

紹有姿皃威容,能折節下士,士多附之,太祖少與交焉。以大將軍掾為侍御史,(註4)稍遷中軍校尉,至司隷。

(えん)(しょう)は見た目が立派で威厳があって、身を低くして士人に接することができたから、たくさんの士人が彼に付き従ったよ。(そう)(そう)は若い頃、彼と少し交流があったんだって。(えん)(しょう)(たい)(しょう)(ぐん)(えん)(属官)として()(ぎょ)()に任命されて、どんどん昇進して(ちゅう)(ぐん)(こう)()になって、()(れい)(こう)()にまでなったよ。

(註4)

英雄記曰:紹生而父死,二公愛之。幼使為郎,弱冠除濮陽長,有清名。遭母喪,服竟,又追行父服,凡在冢廬六年。禮畢,隱居洛陽,不妄通賔客,非海內知名,不得相見。又好游俠,與張孟卓、何伯求、吳子卿、許子遠、伍德瑜等皆為奔走之友。不應辟命。中常侍趙忠謂諸黃門曰:「袁本初坐作聲價,不應呼召而養死士,不知此兒欲何所為乎?」紹叔父隗聞之,責數紹曰:「汝且破我家!」紹於是乃起應大將軍之命。

(えい)(ゆう)()』によると、(えん)(しょう)は生まれてすぐに父が亡くなって、叔父の2人の公((えん)()の高位の親族)に育てられたよ。幼い頃に(ろう)となって、20歳で(ぼく)(よう)(けん)(ちょう)(県の長官)に任命されて、清廉な名声を得たよ。その後、母の喪に遭って、喪が明けたら、さらに父の喪を追って服して、あわせて6年間小さな家にこもっていたんだ。礼を終えると(らく)(よう)に隠居して、むやみに客と交流しないで、天下に知られていない人とは会わないようにしたんだって。それに、義侠心にあふれた行動をしていて、(ちょう)(もう)(たく)(ちょう)(ばく))、()(はく)(きゅう)()(ぎょう))、()()(けい)(きょ)()(えん)(きょ)(ゆう))、()(とく)()()(けい))たちと、奔走の友(お互いに助け合う友)となったよ。官職の招きには応じなかったんだ。
(ちゅう)(じょう)()(ちょう)(ちゅう)(こう)(もん)たちにこう言ったよ。
(えん)(ほん)(しょ)(えん)(しょう))は名声だけを築いて、招きにも応じなくて、死ぬ覚悟を持つ士人を養っているよ。この若者はいったい何をしようとしているの?」
(えん)(しょう)の叔父の(えん)(かい)はこれを聞いて、(えん)(しょう)を何回も叱ってこう言ったよ。
「あなたは私たちの家を滅ぼすつもりなの!」
だから(えん)(しょう)(たい)(しょう)(ぐん)の招きに応じたよ。

(註4)

臣松之案:魏書云「紹,逢之庶子,出後伯父成」。如此記所言,則似實成所生。夫人追服所生,禮無其文,況於所後而可以行之!二書未詳孰是。

(はい)(しょう)()が調べたところ、『()(しょ)』には「(えん)(しょう)(えん)(ほう)の庶子で、伯父の(えん)(せい)の後を継いだ」とあるよ。この記述から見ると、(えん)(せい)の実子みたいに見えるよ。でも、礼では実の父のために追って喪に服すという記述はないんだ。ましてや後を継いだ父のためにするなんて論外だよね。『()(しょ)』と『(えい)(ゆう)()』のどちらが正しいかはまだ詳しくわからないよ。

朝廷の混乱

本文

靈帝崩,太后兄大將軍何進與紹謀誅諸閹官,(註5)太后不從。乃召董卓,欲以脅太后。常侍、黃門聞之,皆詣進謝,唯所錯置。時紹勸進便可於此決之,至于再三,而進不許,令紹使洛陽方略武吏檢司諸宦者,又令紹弟虎賁中郎將術選溫厚虎賁二百人,當入禁中,代持兵黃門陛守門戶。中常侍段珪等矯太后命,召進入議,遂殺之,宮中亂。(註6)

(れい)(てい)が亡くなると、太后の兄で(たい)(しょう)(ぐん)()(しん)は、(えん)(しょう)と一緒に宦官たちを滅ぼす計画を立てたけど、太后はこれに従わなかったんだ。そこで(とう)(たく)を呼んで、太后を脅そうとしたよ。(じょう)()(こう)(もん)はこれを聞いて、()(しん)に謝ったけど、()(しん)は彼らの処遇をはっきりと決めなかったんだ。 この時、(えん)(しょう)()(しん)に早く決断するように何度も促したけど、()(しん)は許さなかったんだ。そして、(えん)(しょう)(らく)(よう)に行かせて武官を指揮して宦官たちを調べさせたよ、弟で()(ほん)(ちゅう)(ろう)(しょう)(えん)(じゅつ)に命令して、温厚な()(ほん)200人を選んで、宮中に入れて、(こう)(もん)と代わらせて門を守らせようとしたよ。でも、(ちゅう)(じょう)()(だん)(けい)たちは太后の命令を偽って()(しん)を呼び出して、議論をするからと言って彼を殺しちゃった。だから、宮中は混乱に陥っちゃった。

(註5)

續漢書曰:紹使客張津說進曰:「黃門、常侍秉權日乆,又永樂太后與諸常侍專通財利,將軍宜整頓天下,為海內除患。」進以為然,遂與紹結謀。

(ぞく)(かん)(じょ)』によると、(えん)(しょう)が客の(ちょう)(しん)()(しん)を説得させたんだって。(ちょう)(しん)()(しん)にこう言ったよ。
(こう)(もん)(じょう)()が長い間権力を握っていて、さらに(えい)(らく)(たい)(こう)も彼ら(じょう)()と協力して財産を好き勝手にしているんだ。あなたは天下を整えて、世の中の患いを取り除くべきだよ」
()(しん)はこれをもっともだと考えて、(えん)(しょう)と一緒に計略をめぐらせたよ。

(註6)

九州春秋曰:初紹說進曰:「黃門、常侍累世太盛,威服海內,前竇武欲誅之而反為所害,但坐言語漏泄,以五營士為兵故耳。五營士生長京師,服畏中人,而竇氏反用其鋒,遂果叛走歸黃門,是以自取破滅。今將軍以元舅之尊,二府並領勁兵,其部曲將吏皆英雄名士,樂盡死力,事在掌握,天贊其時也。今為天下誅除貪穢,功勳顯著,垂名後世,雖周之申伯,何足道哉?今大行在前殿,將軍以詔書領兵衞守,可勿入宮。」進納其言,後更狐疑。紹懼進之改變,脅進曰:「今交搆已成,形勢已露,將軍何為不早決之?事留變生,後機禍至。」進不從,遂敗。

(きゅう)(しゅう)(しゅん)(じゅう)』によると、もともと、(えん)(しょう)()(しん)を説得してこう言ったよ。
(こう)(もん)(じょう)()は代々権力を持ち続けて、その威は天下を圧していて、前に(とう)()は彼ら処刑しようとしたけど、かえって彼らに殺されてしまったの。これは、言葉が漏れたことと、五営の兵を使ったのが原因だよ。五営の兵は都で育って、中官(宦官)を恐れて敬っていて、(とう)()が彼らを使って宦官と戦おうとしたから、とうとう彼らは宦官側に寝返って、(とう)()は自ら滅びを招いたの。
今、あなたは帝の叔父という尊い地位にあって、司徒府と大将軍府の2つの府の精鋭兵を率いていて、その配下の将や役人たちはみんな、英雄や名高い士人だから、喜んで全力を尽くすよ。すべてはあなたの手中にあって、天もまた時機を与えてくれているよ。今こそ天下のために貪欲で汚れた者たちを処刑して、その功績を明らかにして後の世に名を残すんだ。たとえ(しゅう)(しん)(はく)であっても、比べても大したことはないんだよ。
今、大行皇帝((れい)(てい))は前殿にいて、あなたは詔書を持って兵を率いて、そのまま守りについて、宮中に入ってはならないよ」
()(しん)(えん)(しょう)の言葉を受け入れたけど、その後、疑いを抱くようになったんだ。(えん)(しょう)()(しん)が心変わりするのを恐れて、()(しん)を脅してこう言ったよ。
「今、計画はすでに始まっていて、形勢も明らかになっているの。あなたはどうして早く決断しないの? 事が遅れれば変が起こって、時機を逃したら災いが訪れるよ」
でも、()(しん)(えん)(しょう)の言葉に従わなくて、とうとう敗れちゃった。

本文

術將虎賁燒南宮嘉德殿青瑣門,欲以迫出珪等。珪等不出,劫帝及帝弟陳留王走小平津。紹旣斬宦者所署司隷校尉許相,遂勒兵捕諸閹人,無少長皆殺之。或有無鬚而誤死者,至自發露形體而後得免,宦者或有行善自守而猶見及。其濫如此。死者二千餘人。急追珪等,珪等悉赴河死。帝得還宮。

(えん)(じゅつ)()(ほん)の兵を率いて(なん)(きゅう)()(とく)殿(でん)(せい)()(もん)を焼いて、(だん)(けい)たちを追い出そうとしたよ。でも、(だん)(けい)たちは出てこなくて、皇帝と弟の(ちん)(りゅう)(おう)(りゅう)(きょう))を連れて(しょう)(へい)(しん)に逃げたんだ。
(えん)(しょう)は宦官が任命した()(れい)(こう)()(きょ)(そう)を討ち取って、さらに兵をまとめて宦官たちを捕らえて、年齢に関係なくみんな殺したよ。髭がないから誤って殺された人もいて、身体を見せた後にやっと免れた者もいたんだ。中には善い行いを守っていた宦官も殺されたんだ。この乱れようはひどくて、死者は2,000人以上にのぼったよ。(だん)(けい)たちを急いで追って、(だん)(けい)たちはみんな黄河に身を投げちゃった。帝は宮殿に帰ることができたよ。

帝をどうする?

本文

董卓呼紹,議欲廢帝,立陳留王。是時紹叔父隗為太傅,紹偽許之,曰:「此大事,出當與太傅議。」卓曰:「劉氏種不足復遺。」紹不應,橫刀長揖而去。(註7)

(とう)(たく)(えん)(しょう)を呼んで、帝を廃位して(ちん)(りゅう)(おう)を皇帝に立てることを議論したよ。この時、(えん)(しょう)の叔父の(えん)(かい)(たい)()を務めていたよ。(えん)(しょう)は認めたふりをしてこう言ったよ。
「これは大事なことだから、(たい)()(えん)(かい))と相談するべきだよ」
すると、(とう)(たく)はこう言ったよ。
(りゅう)()の血筋はもう残す価値がないんだ」
(えん)(しょう)はこれに答えなくて、刀を横にして深い礼をして、その場を去ったよ。

(註7)

獻帝春秋曰:卓欲廢帝,謂紹曰:「皇帝沖闇,非萬乘之主。陳留王猶勝,今欲立之。人有小智,大或癡,亦知復何如,為當且爾;卿不見靈帝乎?念此令人憤毒!」紹曰;「漢家君天下四百許年,恩澤深渥,兆民戴之來乆。今帝雖幼沖,未有不善宣聞天下,公欲廢適立庶,恐衆不從公議也。」卓謂紹曰:「豎子!天下事豈不決我?我今為之,誰敢不從?爾謂董卓刀為不利乎!」紹曰:「天下健者,豈唯董公?」引佩刀橫揖而出。

(けん)(てい)(しゅん)(じゅう)』によると、(とう)(たく)は帝を廃位しようとして、(えん)(しょう)にこう言ったよ。
「今の皇帝は幼くて愚かで、とても万乗の主にはふさわしくないんだ。(ちん)(りゅう)(おう)(りゅう)(きょう))の方がまだ優れているよ。今こそ彼を立てたいと思うんだ。人には少しの知恵があれば、大きな愚かさなこともするよ。それでもなお、どうすべきかを知るものだよ。今はひとまずこのようにするのがいいんだ。(れい)(てい)を知らないの? 思い出すと腹が立つ!」
(えん)(しょう)はこう言ったよ。
(かん)の帝室は天下を治めてすでに400年以上、その恩恵は深くて厚くて、人々はこれを仰いで長く従ってきたよ。今の帝は幼いけど、悪い評判が天下に伝わっているわけでもないよ。あなたが正当な帝を廃位して、庶民の王を立てようとしても、民はあなたの意見に従わないだろうね」
(とう)(たく)(えん)(しょう)にこう言ったよ。
「愚かな未熟者め! 天下の事がどうして私の決定に従わないというの? 私が今行動すれば、誰が従わないことがあるの? あなたは(とう)(たく)の刀が鋭くないとでも思うのか!」
(えん)(しょう)はこう言ったよ。
「天下の強者は董公((とう)(たく))だけではないよ」
そして佩いていた刀を引き抜いて、横に構えて礼をして立ち去ったんだ。

(註7)

臣松之以為紹于時與卓未搆嫌隙,故卓與之諮謀。若但以言議不同,便罵為豎子,而有推刃之心,及紹復荅,屈彊為甚,卓又安能容忍而不加害乎?且如紹此言,進非亮正,退違詭遜,而顯其競爽之旨,以觸哮闞之鋒,有志功業者,理豈然哉!此語,妄之甚矣。

(はい)(しょう)()の見解としては、(えん)(しょう)は当時、(とう)(たく)とまだ対立していなかったから、(とう)(たく)は彼に相談したんだ。もし、ただ意見が違うだけですぐに「愚かな未熟者め!」と罵って、さらに刀を抜いて殺そうとしていたなら、それに対する(えん)(しょう)の答えも、強く反発していて、(とう)(たく)がそれを我慢して害を加えないで済むのかな? さらに、(えん)(しょう)のこの発言は前に進んでも正義を貫くわけでもないし、後ろに退いても従うことを装うのでもないし、ただその意見の強さを示して、むしろ怒りを真正面から受けようとするなんて、志を持って功業を成し遂げようとする人が、このような行動を取るのかな! この話はでたらめの極みだね。

本文

紹旣出,遂亡奔兾州。侍中周毖、城門校尉伍瓊、議郎何顒等,皆名士也,卓信之,而陰為紹,乃說卓曰:「夫廢立大事,非常人所及。紹不達大體,恐懼故出奔,非有他志也。今購之急,勢必為變。袁氏樹恩四世,門世故吏徧於天下,若収豪傑以聚徒衆,英雄因之而起,則山東非公之有也。不如赦之,拜一郡守,則紹喜於免罪,必無患矣。」卓以為然,乃拜紹勃海太守,封邟鄉侯。

(えん)(しょう)は出て行った後、そのまま()州に逃げたよ。()(ちゅう)(しゅう)()(じょう)(もん)(こう)()()(けい)()(ろう)()(ぎょう)たちはみんな名高い士人で、(とう)(たく)は彼らを信頼していたけど、彼らはこっそりと(えん)(しょう)を支持していて、(とう)(たく)を説得してこう言ったよ。
「皇帝の廃立は大きな事で、普通の人が関わることではないよ。(えん)(しょう)は大局を理解していなくて、恐れて逃亡しただけで、他に意図はないんだ。でも今、彼を厳しく追い詰めると、必ず反乱を引き起こすよ。袁家は4代にわたって恩を施して、彼の家の旧い役人は天下に広くいるよ。もし彼が豪傑を集めて兵を起こせば、英雄がそれに応じて、山東はあなたのものではなくなっちゃう。むしろ許して、1つの郡の(たい)(しゅ)(郡の長官)に任命したら、(えん)(しょう)は罪を免れたことを喜んで、問題は起きないよ」
(とう)(たく)はこれをもっともだと思って、(えん)(しょう)(ぼっ)(かい)(たい)(しゅ)に任命して、(こう)(きょう)(こう)に封じたよ。

冀州を奪う

本文

紹遂以勃海起兵,將以誅卓。語在武紀。紹自號車騎將軍,主盟,與兾州牧韓馥立幽州牧劉虞為帝,遣使奉章詣虞,虞不敢受。後馥軍安平,為公孫瓚所敗。瓚遂引兵入兾州,以討卓為名,內欲襲馥。馥懷不自安。(註8)

(えん)(しょう)(ぼっ)(かい)で兵を起こして、(とう)(たく)を討とうとしたよ。この話は「武帝紀」に記されているよ。(えん)(しょう)は自ら(しゃ)()(しょう)(ぐん)と名乗って、同盟の主宰者となって、()(しゅう)(ぼく)(かん)(ふく)と一緒に(ゆう)(しゅう)(ぼく)(りゅう)()を皇帝に立てようとしたよ。そして使者を送って(りゅう)()に印章を与えようとしたけど、(りゅう)()は受け入れなかったんだ。その後、(かん)(ふく)の軍は(あん)(ぺい)(こう)(そん)(さん)に敗れちゃった。(こう)(そん)(さん)(とう)(たく)を討つ名目で()州に兵を引き入れたけど、内心では(かん)(ふく)を襲うつもりだったの。(かん)(ふく)はそのことを不安に感じていたよ。

(註8)

英雄記曰:逢紀說紹曰:「將軍舉大事而仰人資給,不據一州,無以自全。」紹荅云:「兾州兵彊,吾士饑乏,設不能辦,無所容立。」紀曰:「可與公孫瓚相聞,導使來南,擊取兾州。公孫必至而馥懼矣,因使說利害,為陳禍福,馥必遜讓。於此之際,可據其位。」紹從其言而瓚果來。

(えい)(ゆう)()』によると、(ほう)()(えん)(しょう)に意見を言ったよ。
「あなたは大事を起こそうとしているのに、他人の援助に頼っていては、困難に遭ったら自立できないよ。1つの州を拠点としなければ、自らを保つことはできないんだ」
これに対して、(えん)(しょう)はこう答えたよ。
()州の兵は強いけど、私たちの軍は食糧が乏しくて、もし攻略がうまくいかなければ、立つ場所もなくなってしまうの」
そこで(ほう)()はこう提案したよ。
(こう)(そん)(さん)に連絡を取って、彼を南に導いて()州を攻撃させるんだ。(こう)(そん)(さん)が来たら、(かん)(ふく)は恐れるはず。その時、利益と害、そして福と禍を説得すれば、(かん)(ふく)は必ず()州を譲るよ。この機会にその地位を奪うんだ」
(えん)(しょう)はこの助言に従って、(こう)(そん)(さん)はやって来たよ。

本文

會卓西入關,紹還軍延津,因馥惶遽,使陳留高幹、頴川荀諶等說馥曰:「公孫瓚乘勝來向南,而諸郡應之,袁車騎引軍東向,此其意不可知,竊為將軍危之。」馥曰:「為之柰何?」諶曰:「公孫提燕、代之卒,其鋒不可當。袁氏一時之傑,必不為將軍下。夫兾州,天下之重資也,若兩雄并力,兵交於城下,危亡可立而待也。夫袁氏,將軍之舊,且同盟也,當今為將軍計,莫若舉兾州以讓袁氏。袁氏得兾州,則瓚不能與之爭,必厚德將軍。兾州入於親交,是將軍有讓賢之名,而身安於泰山也。願將軍勿疑!」馥素恇怯,因然其計。

ちょうどその頃、(とう)(たく)は西に(かん)(こく)(かん)へ入って、(えん)(しょう)は軍を(えん)(しん)に引き返したよ。そこで(かん)(ふく)は恐くなっちゃって、(えん)(しょう)(ちん)(りゅう)の出身の(こう)(かん)(えい)(せん)の出身の(じゅん)(しん)たちに(かん)(ふく)を説得させたよ。(こう)(かん)(じゅん)(しん)はこう言ったよ。
(こう)(そん)(さん)は勝利に乗って南に向かっていて、郡も彼に応じているんだ。一方、(えん)(しゃ)()(えん)(しょう))は軍を率いて東に向かっているけど、その意図はよくわからないんだ。あなたにとって危険な状況なんだ」
(かん)(ふく)は尋ねたよ。
「どうすればよいの?」
(じゅん)(しん)はこう答えたよ。
(こう)(そん)(さん)(えん)(だい)の兵を率いていて、その鋭さはとても防ぎきれるものではないんだ。一方、(えん)()はこの時代の英雄で、あなたの下に立つ人ではないよ。()州は天下の重要な拠点だよ。もし2人の強大な力が力を併せて、城下で戦えば、危険は避けられないんだ。でも、(えん)()はあなたの古い知り合いで、同盟者でもあるよ。今、あなたにとって最善の策は、()州を袁氏に譲ることだよ。(えん)()()州を手に入れれば、(こう)(そん)(さん)も対抗できなくて、必ずあなたに厚く報いるはず。()州が親しい仲間の手に渡れば、あなたは賢明に譲ったと評価されて、身の安全は泰山みたいに安らかになるよ。どうかあなたは疑わないでね」
もともと気弱な(かん)(ふく)は、この策を受け入れたよ。

本文

馥長史耿武、別駕閔純、治中李歷諫馥曰:「兾州雖鄙,帶甲百萬,穀支十年。袁紹孤客窮軍,仰我鼻息,譬如嬰兒在股掌之上,絕其哺乳,立可餓殺。柰何乃欲以州與之?」馥曰:「吾,袁氏故吏,且才不如本初,度德而讓,古人所貴,諸君獨何病焉!」從事趙浮、程奐請以兵拒之,馥又不聽。乃讓紹,(註9)紹遂領兾州牧。

(かん)(ふく)(ちょう)()(こう)()(べつ)()(びん)(じゅん)()(ちゅう)()(れき)(かん)(ふく)を諫めてこう言ったよ。
()州はたとえ田舎であっても、鎧を着た兵が100万人いて、10年分の穀物が蓄えられているよ。(えん)(しょう)は孤立した客で、疲れた軍勢を抱えていて、私たちの庇護なしには生きていけないんだ。たとえるなら、彼は膝の上に寝かされた赤ん坊みたいなもので、乳を与えられなければすぐに餓え死にするだろうね。どうしてわざわざ州を彼に譲ろうとするの?」
(かん)(ふく)はこう答えたよ。
「私は、もともと(えん)()に仕えていた役人で、才能も(えん)(ほん)(しょ)(えん)(しょう))には及ばないんだ。徳を測って譲ることは、古の人たちが尊んだことだよ。あなたたちは何を問題にしているの?」
(じゅう)()(ちょう)()(てい)(かん)は兵を使って抵抗するように求めたけど、(かん)(ふく)はそれも聞き入れなかったんだ。こうして(かん)(ふく)()州を(えん)(しょう)に譲って、(えん)(しょう)()(しゅう)(ぼく)となったよ。

(註9)

九州春秋曰:馥遣都督從事趙浮、程奐將彊弩萬張屯河陽。浮等聞馥欲以兾州與紹,自孟津馳東下。時紹尚在朝歌清水口,浮等從後來,船數百艘,衆萬餘人,整兵鼓夜過紹營,紹甚惡之。浮等到,謂馥曰:「袁本初軍無斗糧,各己離散,雖有張楊、於扶羅新附,未肯為用,不足敵也。小從事等請自以見兵拒之,旬日之間,必土崩瓦解;明將軍但當開閤高枕,何憂何懼!」馥不從,乃避位,出居趙忠故舍。遣子齎兾州印綬於黎陽與紹。

(きゅう)(しゅう)(しゅん)(じゅう)』によると、(かん)(ふく)()(とく)(じゅう)()(ちょう)()(てい)(かん)に、強力な弩兵1万を率いさせて()(よう)に駐屯させたよ。(ちょう)()たちは、(かん)(ふく)()州を(えん)(しょう)に譲ろうとしていると聞くと、(もう)(しん)から急いで馬で東に向かったよ。その時、(えん)(しょう)(ちょう)()(せい)(すい)(こう)にいたけど、(ちょう)()たちは後ろから来て、数百艘の船と1万人以上の兵を整えて、夜中に鼓を鳴らして(えん)(しょう)の陣営を通過したんだ。(えん)(しょう)はこれをとても嫌だと思ったよ。
(ちょう)()たちが着いて、(かん)(ふく)にこう言ったよ。
(えん)(ほん)(しょ)(えん)(しょう))の軍は戦うための食糧がなくて、配下はそれぞれ散り散りなんだ。(ちょう)(よう)()()()が新しく加わったけど、彼らはまだ(えん)(しょう)のために働くつもりはないから、戦うには足りないよ。私たち地位の低い役人たちは、自ら兵を率いてこれを打ち払うよ。10日の間に必ず敵を崩れさせるよ。あなたはただ門を開けて高い枕で安心していれば良いの。何も心配することも恐れることもないよ!」
でも、(かん)(ふく)はそれに従わないで、ついにその地位を退いて、(ちょう)(ちゅう)の旧宅に住んだよ。そして、自分の子供を送って()州の印綬を(れい)(よう)(えん)(しょう)に渡させたよ。

沮授の言葉

本文

從事沮授(註10)說紹曰:「將軍弱冠登朝,則播名海內;值廢立之際,則忠義奮發;單騎出奔,則董卓懷怖;濟河而北,則勃海稽首。振一郡之卒,撮兾州之衆,威震河朔,名重天下。雖黃巾猾亂,黑山跋扈,舉軍東向,則青州可定;還討黑山,則張燕可滅;回衆北首,則公孫必喪;震脅戎狄,則匈奴必從。橫大河之北,合四州之地,收英雄之才,擁百萬之衆,迎大駕於西京,復宗廟於洛邑,號令天下,以討未復,以此爭鋒,誰能敵之?比及數年,此功不難。」紹喜曰:「此吾心也。」即表授為監軍、奮威將軍。(註11)(註12)

(じゅう)()()(じゅ)(えん)(しょう)にこう言ったよ。
「あなたは20歳で朝廷に仕えて、その名を天下に広めたよ。皇帝の廃位のときには忠義を奮い立たせて、単騎で逃げたら(とう)(たく)は恐れて、黄河を渡って北に進めば(ぼっ)(かい)は頭を下げて従ったよ。1つの郡の兵を鼓舞して、()州の人たちをまとめて、その威を黄河の北で振るわせて、名は天下で重きをなしたよ。たとえ黄巾の乱が続いて、(こく)(ざん)賊が思うままに行動していても、軍を東に向ければ(せい)州を平定できて、軍を返して(こく)(ざん)賊を討てば(ちょう)(えん)を滅ぼせるよ。軍を北に向ければ(こう)(そん)(さん)は敗れて亡んで、異民族を脅かせば(きょう)()も従うだろうね。黄河の北を横断して、4つの州の地をまとめて、英雄の才能を集めて、100万の兵を持って、西の都((ちょう)(あん))で天子を迎えて、宗廟(祖先の廟)を(らく)(よう)に復興させて、天下に号令を発してまだ従わない者を討るんだ。このようにして争えば、誰が敵となるの? 数年のうちに、この功績を成し遂げるのは難しくないよ」
これを聞いた(えん)(しょう)は喜んで、こう言ったよ。
「これは私の思いだよ」
そして、すぐに()(じゅ)監軍将軍(かんぐんしょう\ぐん)(ふん)()(しょう)(ぐん)に任命するように上表したよ。

(註10)

沮音葅。

「沮」の発音は「葅」だよ。

(註11)

獻帝傳曰:沮授,廣平人,少有大志,多權略。仕州別駕,舉茂才,歷二縣令,又為韓馥別駕,表拜騎都尉。袁紹得兾州,又辟焉。

(けん)(てい)(でん)』によると、()(じゅ)は、(こう)(へい)の出身で、若い頃から大志を持っていて、たくさんの策略を持っていたんだって。州の(べつ)()として仕えて、茂才に挙げられて、2つの(けん)(れい)(県の長官)を歴任して、また(かん)(ふく)(べつ)()として仕えて、()()()に任命されたよ。(えん)(しょう)()州を得ると、彼に招かれたよ。

(註12)

英雄記曰:是時年號初平,紹字本初,自以為年與字合,必能克平禍亂。

(えい)(ゆう)()』によると、この時の年号は(しょ)(へい)で、(えん)(しょう)(あざな)(ほん)(しょ)で、年と自分の(あざな)が一致しているから、きっと禍いや乱に勝てると考えていたんだって。

本文

卓遣執金吾胡母班、將作大匠吳脩齎詔書喻紹,紹使河內太守王匡殺之。(註13)(註14)

(とう)(たく)(しつ)(きん)()()()(はん)(しょう)(さく)(たい)(しょう)()(しゅう)を送って(えん)(しょう)に詔書を届けさたけど、(えん)(しょう)()(だい)(たい)(しゅ)(郡の長官)の(おう)(きょう)に命令して彼らを殺させたんだ。

(註13)

漢末名士錄曰:班字季皮,太山人,少與山陽度尚、東平張邈等八人並輕財赴義,振濟人士,世謂之八廚。

(かん)(まつ)(めい)()(ろく)』によると、()()(はん)は、(あざな)()()で、太山\たい(ざん)の出身だよ。若い頃、(さん)(よう)の出身の(たく)(しょう)(とう)(へい)の出身の(ちょう)(ばく)たちと一緒に8人でお金に執着しないで義を大切にして、人々を助けたよ。世の人たちは彼らを「(はっ)(ちゅう)」と呼んだよ。

(註14)

謝承後漢書曰:班,王匡之妹夫,董卓使班奉詔到河內,解釋義兵。匡受袁紹旨,收班繫獄,欲殺之以徇軍。

(しゃ)(しょう)の『()(かん)(じょ)』によると、()()(はん)(おう)(きょう)の妹婿で、(とう)(たく)()()(はん)を使者として詔を授けさせて()(だい)に送って、義兵を解散させるよう説得させたよ。でも、(おう)(きょう)(えん)(しょう)の命令を受けて、()()(はん)を捕らえて牢獄に繋いで、軍に示すために殺そうとしたよ。

(註14)

班與匡書云:「自古已來,未有下土諸侯舉兵向京師者。劉向傳曰『擲鼠忌器』,器猶忌之,況卓今處宮闕之內,以天子為藩屏,幼主在宮,如何可討?僕與太傅馬公、太僕趙岐、少府陰脩俱受詔命。關東諸郡雖實嫉卓,猶以銜奉王命,不敢玷辱。而足下獨囚僕於獄,欲以釁鼓,此悖暴無道之甚者也。僕與董卓有何親戚,義豈同惡?而足下張虎狼之口,吐長蛇之毒,恚卓遷怒,何甚酷哉!死,人之所難,然恥為狂夫所害。若亡者有靈,當訴足下於皇天。夫婚姻者禍福之機,今日著矣。曩為一體,今為血讎。亡人子二人,則君之甥,身沒之後,慎勿令臨僕尸骸也。」匡得書,抱班二子而泣。班遂死於獄。班甞見太山府君及河伯,事在搜神記,語多不載。

()()(はん)(おう)(きょう)に手紙を書いてこう言ったよ。
「古から、諸侯が兵を挙げた都へ向かったことはないよ。(りゅう)(きょう)が『鼠を倒したいのに器が壊れるのを考えてできない』というように、器ですら壊すのを恐れるのに、ましてや(とう)(たく)は今、宮中にいて天子を守っていて幼い主も宮中にいて、どうして討てるの? 私と(たい)()の馬公(()(じつ)(てい))、(たい)(ぼく)(ちょう)()(しょう)()(いん)(しゅう)たちはみんな詔の命令を受けているよ。関東の郡も(とう)(たく)を憎んでいるけど、帝の命令を尊重して、朝廷を辱めようとはしないよね。でも、あなたは私を牢獄に閉じ込めて、討伐のために殺そうとしているんだ。これは無道なふるまいの極みだよ。私と(とう)(たく)には何の親戚関係もないし、義理で同じ悪をする者でもないんだ。それなのに、あなたは虎や狼みたいな口を開いて、長蛇みたいな毒を吐いて、(とう)(たく)への怒りを私にぶつけているよ。なんて酷いことなの! 死は人が恐れるものだけど、私は狂人に殺されるのは恥だと思うよ。もし使者に魂があるなら、あなたを皇天に訴えるだろうね。婚姻は幸せや災いのきっかけとなるもので、今日それが明らかになったよ。昔は一体だったのに、今は血の敵となったんだ。私には2人の子がいて、彼らはあなたの甥にあたるよ。私が死んだ後、どうか私の遺体を彼らに見せないでね」
(おう)(きょう)はこの手紙を読んで、()()(はん)の2人の子を抱きしめて泣いたよ。()()(はん)はとうとう獄中で死んじゃった。
()()(はん)は昔、(たい)(ざん)()(くん)()(はく)を見たことがあって、この話は『(そう)(じん)()』に記されているから、詳細は載せないよ。

本文

卓聞紹得關東,乃悉誅紹宗族太傅隗等。當是時,豪俠多附紹,皆思為之報,州郡鋒起,莫不假其名。馥懷懼,從紹索去,往依張邈。(註15)

(とう)(たく)(えん)(しょう)が関東を手に入れたと聞くと、(えん)(しょう)の一族や(たい)()(えん)(かい)たちをみんな殺したんだ。この時、たくさんの豪傑が(えん)(しょう)に味方して、みんなが報復しようと考えたよ。州や郡は次々と立ち上がって、みんなが(えん)(しょう)の名を借りて行動したよ。(かん)(ふく)は恐れを抱いて、(えん)(しょう)から去って、(ちょう)(ばく)を頼ったんだ。

(註15)

英雄記曰:紹以河內朱漢為都官從事。漢先時為馥所不禮,內懷怨恨,且欲邀迎紹意,擅發城郭兵圍守馥第,拔刃登屋。馥走上樓,收得馥大兒,槌折兩脚。紹亦立收漢,殺之。馥猶憂怖,故報紹索去。

(えい)(ゆう)()』によると、(えん)(しょう)()(だい)の出身の(しゅ)(かん)()(かん)(じゅう)()に任命したよ。(しゅ)(かん)は前に、(かん)(ふく)に無礼な扱いをされたから、内心で怨みを抱いていて、それに(えん)(しょう)に取り入ろうと考えて、勝手に城郭の兵を動かして(かん)(ふく)の邸を囲んで、刀を抜いて屋根の上に登ったよ。(かん)(ふく)は楼に逃げ上がって、(しゅ)(かん)(かん)(ふく)の長子を捕らえて、その両脚を槌で折ったんだ。(えん)(しょう)もまた(しゅ)(かん)を捕らえて殺したよ。それでも(かん)(ふく)は心配と恐怖があって、袁紹に報告して去ったよ。

本文

後紹遣使詣邈,有所計議,與邈耳語。馥在坐上,謂見圖構,無何起至溷自殺。(註16)

その後、(えん)(しょう)は使者を(ちょう)(ばく)のもとに送って、何か計画を相談して、耳打ちで話し合っていたの。(かん)(ふく)はその場に座っていて、陰謀を感じ取ったよ。しばらくして、(かん)(ふく)は厠に行って、自ら命を絶ったんだ。

界橋の戦い

(註16)

英雄記曰:公孫瓚擊青州黃巾賊,大破之,還屯廣宗,改易守令,兾州長吏無不望風響應,開門受之。紹自往征瓚,合戰於界橋南二十里。瓚步兵三萬餘人為方陣,騎為兩翼,左右各五千餘匹,白馬義從為中堅,亦分作兩校,左射右,右射左,旌旗鎧甲,光照天地。

(えい)(ゆう)()』によると、(こう)(そん)(さん)(せい)州の黄巾賊を攻撃して、大勝利したよ。そして、(こう)(そう)に戻って駐屯して、(たい)(しゅ)(郡の長官)や(けん)(れい)(県の長官)を入れ替えたよ。()州の長吏たちはみんな抵抗しないで、彼の威勢に恐れて門を開けて迎え入れたよ。
(えん)(しょう)は自ら(こう)(そん)(さん)を討つために出陣して、(かい)(きょう)の南20里で戦ったよ。(こう)(そん)(さん)は3万人以上の歩兵を方陣(四角形の陣形)に置いて、騎兵は左右にそれぞれ5,000騎以上置いたよ。(はく)()()(じゅう)を中央に置いて、さらに左と右に分けて、左から右へ、右から左へと交差して弓を射て攻撃させたよ。旗や鎧甲の光は天地を照らしていたの。

(註16)

紹令麴義以八百兵為先登,彊弩千張夾承之,紹自以步兵數萬結陣於後。義乆在涼州,曉習羌鬬,兵皆驍銳。瓚見其兵少,便放騎欲陵蹈之。義兵皆伏楯下不動,未至數十步,乃同時俱起,揚塵大叫,直前衝突,彊弩雷發,所中必倒,臨陣斬瓚所署兾州刺史嚴綱甲首千餘級。瓚軍敗績,步騎奔走,不復還營。

(えん)(しょう)(きく)()に800の兵を率いて先鋒を務めさせて、さらに1,000張の強弩兵をその両側に置いて支援させたよ。(えん)(しょう)自身も数万の歩兵を後方に置いて大軍を構えたよ。(きく)()は長く涼州にいたから、(きょう)族の戦いに詳しくて、兵はみんな勇猛で精鋭だったの。(こう)(そん)(さん)はその兵が少なさを見て、騎兵を繰り出して倒そうとしたよ。(きく)()の兵は盾の下に伏せて動かなかったんだ。数十歩の距離に迫ると、一斉に立ち上がって、塵を巻き上げて大声で叫びながら突進したよ。強弩が雷みたいに発射されて、命中すれば必ず敵は倒れたんだ。戦場で(こう)(そん)(さん)が任命した()(しゅう)()()(州の長官)の(げん)(こう)を討ち取って、敵の首は1,000以上になったよ。(こう)(そん)(さん)の軍は敗れて、歩兵も騎兵も逃げて散って、ふたたび陣営に戻ることはなかったんだ。

(註16)

義追至界橋;瓚殿兵還戰橋上,義復破之,遂到瓚營,拔其牙門,營中餘衆皆復散走。紹在後,未到橋十數里,下馬發鞍,見瓚已破,不為設備,惟帳下彊弩數十張,大戟士百餘人自隨。瓚部迸騎二千餘匹卒至,便圍紹數重,弓矢雨下。別駕從事田豐扶紹欲郤入空垣,紹以兜鍪撲地曰:「大丈夫當前鬬死,而入牆間,豈可得活乎?」彊弩乃亂發,多所殺傷。瓚騎不知是紹,亦稍引郤;會麴義來迎,乃散去。

(きく)()はこれを(かい)(きょう)まで追撃したよ。(こう)(そん)(さん)は後衛の兵に橋上で戦いを挑ませたけど、(きく)()はふたたびこれを破って、そのまま(こう)(そん)(さん)の陣営に行って牙門(本陣の門)を攻め取ったよ。陣営の残った兵も散り散りに逃げ去ったよ。
(えん)(しょう)は後方にいて、橋まで十数里の地点に着いていて、馬を降りて鞍を外して休んでいたんだ。(こう)(そん)(さん)をすでに破ったことを知って、特に守りを整えなくて、側にいたのは強弩を持つ数十人と大戟を持った戦士100人くらいだけだったよ。そこへ、(こう)(そん)(さん)の部隊の騎兵2,000騎が突然現れて、(えん)(しょう)を数重にも包囲して、弓矢を雨のように浴びせたんだ。(べつ)()(じゅう)()(でん)(ほう)(えん)(しょう)を支えて、垣の間に退かせようとしたけど、(えん)(しょう)は兜を地面に叩きつけてこう言ったよ。
「立派な男子たる者、前線で戦って死ぬべきで、垣の間に逃げ込んで生き延びるなんて、どうしてできるの!」
強弩の兵たちは一斉に矢を放って、たくさんの敵を傷つけたよ。(こう)(そん)(さん)の騎兵は、それが(えん)(しょう)だと知らなくて、だんだん後退していったの。その時、(きく)()が迎えに来たから、(こう)(そん)(さん)の軍は散り散りに逃げたよ。

弩 vs 騎馬。

(註16)

瓚每與虜戰,常乘白馬,追不虛發,數獲戎捷,虜相告云「當避白馬」。因虜所忌,簡其白馬數千匹,選騎射之士,號為白馬義從;一曰胡夷健者常乘白馬,瓚有健騎數千,多乘白馬,故以號焉。

(こう)(そん)(さん)は異民族との戦いではいつも白馬に乗って、追撃すれば必ず命中させて、何度も勝っていたんだよ。だから、異民族は「白馬を避けよ」と言っていたの。このことを利用して、(こう)(そん)(さん)は白馬を数千匹集めて、馬に乗って弓を射る兵を選んで、「(はく)()()(じゅう)」と呼んだよ。一説には異民族の強者がいつも白馬に乗っていたから、(こう)(そん)(さん)は数千の強力な騎兵を白馬に乗せて、この名を付けたとも言われているよ。

(註16)

紹旣破瓚,引軍南到薄落津,方與賔客諸將共會,聞魏郡兵反,與黑山賊于毒共覆鄴城,遂殺太守栗成。賊十餘部,衆數萬人,聚會鄴中。坐上諸客有家在鄴者,皆憂怖失色,或起啼泣,紹容皃不變,自若也。

(えん)(しょう)(こう)(そん)(さん)を破った後、軍を南に進めて(はく)(らく)(しん)に着いたよ。そこで客や将たちと一緒に会議を開いていたところ、()郡の兵が反乱を起こして、(こく)(ざん)賊の()(どく)と一緒に(ぎょう)(じょう)を襲って、(たい)(しゅ)(郡の長官)の(りつ)(せい)を殺したという知らせが届いたんだ。賊は10以上の部隊に分かれて、数万人が(ぎょう)に集まっちゃった。その場にいた客の中には家族が(ぎょう)にいる人もいて、みんなは怖がって顔色を失って、ある者は泣き始めて席を立ったんだ。でも、(えん)(しょう)は表情を変えないで、落ち着いていたよ。

(註16)

賊陶升者,故內黃小吏也,有善心,獨將部衆踰西城入,閉守州門,不內他賊,以車載紹家及諸衣冠在州內者,身自扞衞,送到斥丘乃還。紹到,遂屯斥丘,以陶升為建義中郎將。乃引軍入朝歌鹿場山蒼巖谷討于毒,圍攻五日,破之,斬毒及長安所署兾州牧壺壽。遂尋山北行,薄擊諸賊左髭丈八等,皆斬之。又擊劉石、青牛角、黃龍、左校、郭大賢、李大目、于氐根等,皆屠其屯壁,奔走得脫,斬首數萬級。紹復還屯鄴。

賊の(とう)(しょう)は、昔は(ない)(こう)の地位の低い役人で、善い心を持っていたよ。(とう)(しょう)は独自に部隊を率いて西城を越えて入って、州の門を閉じて他の賊を中に入れさせないようにして、車で(えん)(しょう)の家族や州内にいた士人や役人たちを運び出して、自ら護衛して(せき)(きゅう)まで送り届けて、その後戻ったよ。(えん)(しょう)(せき)(きゅう)に着くと、そこで軍を駐屯させて、(とう)(しょう)(けん)()(ちゅう)(ろう)(しょう)に任命したよ。
その後、(えん)(しょう)は軍を率いて(ちょう)()鹿(ろく)(じょう)(ざん)(そう)(げん)(こく)へ進軍して、(こく)(ざん)賊の首領の()(どく)を討伐したよ。5日間包囲して攻撃して、これを破って()(どく)(ちょう)(あん)(朝廷)が任命した(えん)(しゅう)(ぼく)()寿(じゅ)を斬ったよ。そして山を越えて北へ進んで、賊の()()(じょう)(はち)たちを攻撃して、全員討ち取ったよ。さらに(りゅう)(せき)(せい)(ぎゅう)(かく)(こう)(りゅう)()(こう)(かく)(たい)(けん)()(たい)(もく)()(てい)(こん)たちを攻撃して彼らの陣地を滅ぼして、逃げた人もいたけど、討ち取った敵の首は数万にもなったんだ。(えん)(しょう)はふたたび(ぎょう)に戻って駐屯したよ。

(註16)

初平四年,天子使太傅馬日磾、太僕趙岐和解關東。岐別詣河北,紹出迎於百里上,拜奉帝命。岐住紹營,移書告瓚。瓚遣使具與紹書曰:「趙太僕以周召之德,銜命來征,宣揚朝恩,示以和睦,曠若開雲見日,何喜如之?昔賈復、寇恂亦爭士卒,欲相危害,遇光武之寬,親俱陛見,同輿共出,時人以為榮。自省邊鄙,得與將軍共同此福,此誠將軍之眷,而瓚之幸也。」麴義後恃功而驕恣,紹乃殺之。

初平四年(193年)、天子は(たい)()()(じつ)(てい)(たい)(ぼく)(ちょう)()を送って、関東の将たちと和解を図らせたよ。(ちょう)()は別に河北を訪れて、(えん)(しょう)は百里の外まで彼を出迎えて、天子の命令を受けたよ。(ちょう)()(えん)(しょう)の陣営に留まって、手紙を送って(こう)(そん)(さん)にも告げたんだ。(こう)(そん)(さん)は使者を送って、(えん)(しょう)に手紙を書いてこう言ったよ。
(ちょう)(たい)(ぼく)(ちょう)())が(しゅう)(しゅう)(こう)(たん)(しょう)(こう)(せき)の徳を持っていて、天子の命令を持ってここに来て、朝廷の恩を広く示して、和解を示したのは、まるで雲が開けて日が現れるようなことで、これ以上の喜びはあるの? 昔、()(ふく)(こう)(じゅん)も兵を争って、お互いに危害を加えようとしたけど、(こう)()(てい)(りゅう)(しゅう))の広い心によって、ふたりとも陛下に会って、同じ車に乗って出て行ったよ。当時の人たちはそれを栄誉とたたえたよ。私は辺境にいるけど、あなたと一緒にこの恩恵を受けられるのは、本当にあなたの情によるもので、私にとって幸せなんだ」
その後、(きく)()は功績を誇って驕って勝手なふるまいをするようになったから、(えん)(しょう)は彼を殺したんだ。

天子を迎えられなかった

本文

初,天子之立非紹意,及在河東,紹遣潁川郭圖使焉。圖還說紹迎天子都鄴,紹不從。(註17)

もともと、天子((けん)(てい))を立てたのは(えん)(しょう)の意志ではなかったの。(えん)(しょう)()(とう)にいたとき、(えい)(せん)の出身の(かく)()を使者として送ったよ。(かく)()が戻ってきて、(えん)(しょう)に天子を迎えて(ぎょう)に都を置くように提案したけど、(えん)(しょう)は従わなかったんだ。

(註17)

獻帝傳云:沮授說紹曰:「將軍累葉輔弼,世濟忠義。今朝廷播越,宗廟毀壞,觀諸州郡外託義兵,內圖相滅,未有存主卹民者。且今州城粗定,宜迎大駕,安宮鄴都,挾天子而令諸侯,畜士馬以討不庭,誰能禦之!」紹恱,將從之。

(けん)(てい)(でん)』によると、()(じゅ)(えん)(しょう)にこう言ったよ。 「あなたは代々朝廷を助けて、忠義を尽くしてきたよ。今、朝廷は混乱して、宗廟(祖先の廟)は壊されているんだ。州や郡は表向きは正義の兵を掲げているけど、実際にはお互いに滅ぼし合おうとしているの。今まで主君を守って民を救おうとする人はいないんだ。今、州城はほぼ平定されているから、大駕(天子の車)を迎えて、(ぎょう)の宮殿に置いて、天子を抱えて諸侯に命令して、兵と馬を養って不法な者を討てば、誰も抵抗できないよ!」
(えん)(しょう)はこの提案を喜んで、従おうとしたよ。

(註17)

郭圖、淳于瓊曰:「漢室陵遲,為日乆矣,今欲興之,不亦難乎!且今英雄據有州郡,衆動萬計,所謂秦失其鹿,先得者王。若迎天子以自近,動輙表聞,從之則權輕,違之則拒命,非計之善者也。」授曰:「今迎朝廷,至義也,又於時宜大計也,若不早圖,必有先人者也。夫權不失機,功在速捷,將軍其圖之!」紹弗能用。案此書稱郭圖之計,則與本傳違也。

(かく)()(じゅん)()(けい)がこう言ったよ。
(かん)の王朝はどんどん衰えて、長い時間が経ったよ。今それを復興しようとするのは難しいのではないかな。そして今、英雄たちは州や郡を占拠して、たくさんの兵を持っているよ。まさに(しん)が鹿を失った時、先に得た者が王になるという状況だよ。もし天子を迎えて自分に近づけると、何か事を動かすたびに天子に報告しなければならくて、それに従えば権力が弱まって、従わなければ命令に逆らうことになるんだ。これは良い計画ではないよ」
()(じゅ)はこう言ったよ。
「今、朝廷を迎えることは義にかなうことで、それに時に合った大きな計画なんだよ。もし早く行動しなかったら、必ず先に動く者が現れるよ。機会を逃さないで、速やかに行動することが重要だよ。将軍((えん)(しょう))はそれを考えて!」
(えん)(しょう)はこの提案を採用しなかったんだ。
(けん)(てい)(でん)』には(かく)()の計画が記されていて、「袁紹伝」とは異なっているよ。

本文

會太祖迎天子都許,收河南地,關中皆附。紹悔,欲令太祖徙天子都鄄城以自密近,太祖拒之。天子以紹為太尉,轉為大將軍,封鄴侯,(註18)(註19)(註20)紹讓侯不受。頃之。擊破瓚於易京,井其衆。

その頃、(そう)(そう)が天子を迎えて(きょ)に都を移して、()(なん)を制して、(かん)(ちゅう)もみんな従ったよ。(えん)(しょう)はこれを後悔して、(そう)(そう)に天子を(けん)(じょう)に移すように提案したけど、(そう)(そう)はこれを拒否したの。
天子は(えん)(しょう)(たい)()に任命して、さらに(たい)(しょう)(ぐん)に昇格させて、(ぎょう)(こう)に封じたけど、(えん)(しょう)は侯を辞退したんだ。その後、(えん)(しょう)(えき)(けい)(こう)(そん)(さん)を打ち破って、彼の軍勢を壊滅させたよ。

(註18)

典略曰:自此紹貢御希慢,私使主薄耿苞密白曰:「赤德衰盡,袁為黃胤,宜順天意。」紹以苞密白事示軍府將吏。議者咸以苞為妖妄宜誅,紹乃殺苞以自解。

(てん)(りゃく)』によると、この時から(えん)(しょう)は朝廷への貢ぎ物や礼を怠るようになって、こっそりと(しゅ)()(こう)(ほう)にこう言わせたよ。
「赤徳((かん)の王朝)は衰え尽くして、(えん)()(こう)(てい)の子孫だから、天意に従うべきだよ」
(えん)(しょう)(こう)(ほう)の密告を軍府の将や役人たちに示したよ。議論する者たちはみんな、(こう)(ほう)が妖しげで愚かな言葉を口にしたから処罰すべきだと言ったんだ。そこで(えん)(しょう)は、自身を守るために(こう)(ほう)を殺したんだ。

(註19)

九州春秋曰:紹延徵北海鄭玄而不禮,趙融聞之曰:「賢人者,君子之望也。不禮賢,是失君子之望也。夫有為之君,不敢失萬民之歡心,況於君子乎?失君子之望,難乎以有為也。」

(きゅう)(しゅう)(しゅん)(じゅう)』によると、(えん)(しょう)(ほっ)(かい)の出身の(じょう)(げん)を招いたけど、礼を欠いていたんだ。(ちょう)(ゆう)はこれを聞いてこう言ったよ。
「賢人というものは、君子の望みだよ。賢人を礼遇しないということは、君子の望みを失うことだよ。何かを成し遂げようとする君主は、民の心を失うことを恐れるものだね。ましてや君子の望みを失うと、何かを成し遂げることが難しくなるだろうね」

(註20)

英雄記載太祖作董卓歌,辭云:「德行不虧缺,變故自難常。鄭康成行酒,伏地氣絕,郭景圖命盡於園桑。」如此之文,則玄無病而卒。餘書不見,故載錄之。

(えい)(ゆう)()』によると、(そう)(そう)(とう)(たく)を題材にして歌を作ったよ。
「徳行が欠けていなくても、変わることは自ずと変わらないことは難しいよ。(じょう)(こう)(せい)(じょう)(げん))は酒を飲んでいたけど地面に伏して息が絶えて、(かく)(けい)()(かく)()?)は桑畑で命が尽きた」
この文によると、(じょう)(げん)は病気ではなくて自然死したことがわかるよ。他の書には記してないから、ここに記録するね。

本文

出長子譚為青州,沮授諫紹:「必為禍始。」紹不聽,曰:「孤欲令諸兒各據一州也。」(註21)

長子の(えん)(たん)(せい)州を治めさせると、()(じゅ)(えん)(しょう)を諫めてこう言ったよ。
「必ず災いの始まりとなるよ」
でも、(えん)(しょう)は聞かないでこう言ったよ。
「私は子供たちそれぞれに1つの州を治めさせたいの」

(註21)

九州春秋載授諫辭曰:「世稱一兔走衢,萬人逐之,一人獲之,貪者悉止,分定故也。且年均以賢,德均則卜,古之制也。願上惟先代成敗之戒,下思逐兔分定之義。」紹曰:「孤欲令四兒各據一州,以觀其能。」授出曰:「禍其始此乎!」譚始至青州,為都督,未為刺史,後太祖拜為刺史。其土自河而西,蓋不過平原而已。遂北排田楷,東攻孔融,曜兵海隅,是時百姓無主,欣戴之矣。

(きゅう)(しゅう)(しゅん)(じゅう)』によると、()(じゅ)は諫めてこう言ったよ。
「世の中では、1匹のウサギが大道を走ると、万人がこれを追いかけるけど、1人がそれを捕えると、欲を持っていた人たちはみんな追うのを止めるのは、分け前が決まっているからだと言うよ。年齢が同じなら才能によって、徳が同じなら占いで決めるのが、昔からのやり方だよ。どうか上は先代の成功と失敗の戒めを考えて、下はウサギを追って分ける義をよく考えてね」
(えん)(しょう)はこう言ったよ。
「私は4人の子供たちにそれぞれ1つの州を治めさせて、その能力を見たいの」
()(じゅ)は出て行ってこう言ったよ。
「これが災いの始まりかも!」
(えん)(たん)(せい)州に赴任したばかりのとき、()(とく)となったけど、まだ()()(州の長官)ではなかったよ。その後、(そう)(そう)が彼を()()に任命したよ。彼の領地は黄河から西まで、(へい)(げん)を超えることはなかったんだ。その後、北の(でん)(かい)を排除して、東の(こう)(ゆう)を攻めて、軍を海辺にまで進めたよ。この時、民は主君を失っていて、彼を喜んで迎え入れたよ。

(註21)

然信用羣小,好受近言,肆志奢淫,不知稼穡之艱難。華彥、孔順皆姦佞小人也,信以為腹心;王脩等備官而已。然能接待賔客,慕名敬士。使婦弟領兵在內,至令草竊,巿井而外,虜掠田野;別使兩將募兵下縣,有賂者見免,無者見取,貧弱者多,乃至於竄伏丘野之中,放兵捕索如獵鳥獸。邑有萬戶者,著籍不盈數百,收賦納稅,參分不入一。招命賢士,不就;不彊棄軍期,安居族黨,亦不能罪也。

でも、(えん)(たん)はつまらない人たちを信じて使って、近くの者の言葉を好んで聞き入れて、望むままに贅沢と乱れた楽しみにふけって、農業の苦しさを知ろうとしなかったの。()(げん)(こう)(じゅん)はみんな、媚びを売るつまらない人なのに、彼らを信頼できる臣下として使ったんだ。(おう)(しゅう)たちはただ官位に就いているだけだったんだ。でも、(えん)(たん)は客をもてなして、名声を慕って士人を敬うことができたよ。
(えん)(たん)は妻の弟に兵を率いさせて内に駐屯させたけど、その兵たちは草むらに潜んで、市場の外では田野を略奪するようになったんだ。それに、別の2人の将を送って、それぞれの県で兵を募らせたら、賄賂を贈る者は免除されて、贈らない者は取り立てられたんだ。貧しくて弱い人が多いから、丘や野に隠れる人が現れて、兵たちは鳥や獣を狩るようにこれらを捕らえたんだ。1万戸の村でも、戸籍に登録されている者は数百人しかなくて、税も3分の1しか入らなかったの。才能のある人を招いても応じる人はいなくて、軍の期日に強制的に従わせることもできなくて、家族や親戚と一緒に安心して暮らすばかりで、罪を問えなかったんだ。

本文

又以中子熈為幽州,甥高幹為并州。衆數十萬,以審配、逢紀統軍事,田豐、荀諶、許攸為謀主,顏良、文醜為將率,簡精卒十萬,騎萬匹,將攻許。(註22)(註23)(註24)

それに、(えん)(しょう)は次子の(えん)()(ゆう)州、甥の(こう)(かん)(へい)州を治めさせたよ。兵は数十万にもなって、(しん)(ぱい)(ほう)()が軍事をまとめて、(でん)(ほう)(じゅん)(しん)(きょ)(ゆう)を謀主(軍事の助言をする参謀)として、さらに、(がん)(りょう)(ぶん)(しゅう)が将として率いて、精鋭の兵十万と騎兵1万を編成して、(きょ)を攻めようとしたんだ。

(註22)

世語曰:紹步卒五萬,騎八千。

(せい)()』によると、(えん)(しょう)は歩兵5万、騎兵8,000を持っていたよ。

(註23)

孫盛評曰:案魏武謂崔琰曰「昨案貴州戶籍,可得三十萬衆」。由此推之,但兾州勝兵已如此,況兼幽、并及青州乎?紹之大舉,必悉師而起,十萬近之矣。

(そん)(せい)によると、(そう)(そう)(さい)(えん)にこう言ったよ。
「最近、あなたの州の戸籍を調べたところ、30万の兵を得られるよ」
これから推測すると、()州だけでもこれほどの兵がいたのだから、ましてや(ゆう)州、(へい)州、(せい)州も含めればさらに多いだろうね。(えん)(しょう)が大きな戦いを起こす時には、必ずすべての兵を動かして、その数は10万に近かったの。

(註24)

獻帝傳曰:紹將南師,沮授、田豐諫曰:「師出歷年,百姓疲弊,倉庾無積,賦役方殷,此國之深憂也。宜先遣使獻捷天子,務農逸民;若不得通,乃表曹氏隔我王路,然後進屯黎陽,漸營河南,益作舟船,繕治器械,分遣精騎,鈔其邊鄙,令彼不得安,我取其逸。三年之中,事可坐定也。」

(註24)

獻帝傳曰:紹將南師,沮授、田豐諫曰:「師出歷年,百姓疲弊,倉庾無積,賦役方殷,此國之深憂也。宜先遣使獻捷天子,務農逸民;若不得通,乃表曹氏隔我王路,然後進屯黎陽,漸營河南,益作舟船,繕治器械,分遣精騎,鈔其邊鄙,令彼不得安,我取其逸。三年之中,事可坐定也。」

(けん)(てい)(でん)』によると、(えん)(しょう)が南に軍を進めようとすると、()(じゅ)(でん)(ほう)は諫めてこう言ったよ。
「軍を出してから何年も経って、民は疲れ果てて、倉庫には蓄えがなくて、税や労役はとても重くなって、これは国の大きな心配事だよ。まずは使者を送って天子に勝利を報告して、農業を奨めて民を休ませるべきだよ。それができないなら、(そう)()(そう)(そう))が私たちの王の天子への道を阻んでいると上表してから、(れい)(よう)に進軍して駐屯して、どんどん()(なん)に陣営を築くんだ。さらに、船を増やして、武器を整えて、精鋭の騎兵を分けて敵の領地を攻撃して、彼らを安らかにさせないで、私たちはその隙をついて進むんだ。3年以内に、この事態を座っていても解決できるよ」

(註24)

審配、郭圖曰:「兵書之法,十圍五攻,敵則能戰。今以明公之神武,跨河朔之彊衆,以伐曹氏。譬若覆手,今不時取,後難圖也。」授曰:「蓋救亂誅暴,謂之義兵;恃衆憑彊,謂之驕兵。兵義無敵,驕者先滅。曹氏迎天子安宮許都,今舉兵南向,於義則違。且廟勝之策,不在彊弱。曹氏法令旣行,士卒精練,非公孫瓚坐受圍者也。今棄萬安之術,而興無名之兵,竊為公懼之!」

(しん)(ぱい)(かく)()はこう言ったよ。
「兵法によると、敵が10倍の兵なら取り囲んで、5倍の兵なら攻撃して、それが戦える敵というものだよ。今、あなたの優れた武の徳で河北の強力な兵を率いれば、(そう)()(そう)(そう))を討つのは手のひらを返すみたいに簡単だよね。今こそ機を逃さないで攻め取らなければ、後で図るのは難しくなっちゃう」
()(じゅ)はこう言ったよ。
「そもそも乱を救って暴君を討つのを義兵と言って、たくさんの兵に頼って強さを誇るのは驕兵と言うよ。義兵は敵がいないけど、驕兵は先に滅ぶんだ。(そう)()が天子を迎えて、宮殿を(きょ)()に置いた今、南に兵を向けるのは義に反するよ。勝利の策は強さや数だけにあるのではないよ。(そう)()は法令がすでに行き届いて、兵はよく訓練されているんだ。(こう)(そん)(さん)みたいにただ座って簡単に包囲されるような相手ではないよ。今、万全の策を捨てて名分のない軍を起こすのは、あなたを心配しないではいられないよ!」

(註24)

圖等曰:「武王伐紂,不曰不義,況兵加曹氏而云無名!且公師武臣竭力,將士憤怒,人思自騁,而不及時早定大業,慮之失也。夫天與弗取,反受其咎,此越之所以霸,吳之所以亡也。監軍之計,計在持牢,而非見時知機之變也。」紹從之。

(かく)()たちはこう言ったよ。
(しゅう)()(おう)(ちゅう)を討ったとき、義に反するとは言わなかったよ。なのに、(そう)()(そう)(そう))に対して兵を動かすのは名分のない軍と呼ぶのは、おかしいよね! しかも今、あなたの指揮官や将や兵たちは力を尽くして、憤りを抱えて、みんなが自分の力を発揮したがっているよ。なのに、時を逃して今すぐに大業を成し遂げないのは、深く心配する失策だよ。天が与えているのにそれを取らないでいると、逆に災いを受けるよ。これは(えつ)が覇者となって、()が滅びた理由だよ。()(じゅ)の計画は守りを固めることにあるけど、時機を見抜くことには欠けているよ」
(えん)(しょう)はこれに従ったよ。

(註24)

圖等因是譖授「監統內外,威震三軍,若其浸盛,何以制之?夫臣與主不同者昌,主與臣同者亡,此黃石之所忌也。且御衆於外,不宜知內。」紹疑焉。乃分監軍為三都督,使授及郭圖、淳于瓊各典一軍,遂合而南。

(かく)()たちはこれを利用して、()(じゅ)の悪口を言ったよ。
()(じゅ)は内と外の軍をまとめて、全軍に威を震わせているよ。もし彼の勢力がこのまま増すと、どうやってこれを制するの? 臣下と主君が異なれば栄えて、主君と臣下が同じだと滅ぶよ。これは(こう)(せき)(こう)の戒めだよ。さらに、外で軍を率いる者は、内のことは知らないほうがよいんだよ」
(えん)(しょう)はこれを疑ったよ。それで、監軍を3つの都督に分けて、()(じゅ)(かく)()(じゅん)()(けい)にそれぞれ1つの軍を任せて、軍勢を合わせて南に進軍したよ。

優柔不断

本文

先是,太祖遣劉備詣徐州拒袁術。術死,備殺刺史車冑,引軍屯沛。紹遣騎佐之。太祖遣劉岱、王忠擊之,不克。建安五年,太祖自東征備。田豐說紹襲太祖後,紹辭以子疾,不許,豐舉杖擊地曰:「夫遭難遇之機,而以嬰兒之病失其會,惜哉!」太祖至,擊破備;備奔紹。(註25)

これより前、(そう)(そう)(りゅう)()(じょ)州に送って、(えん)(じゅつ)に対抗させたよ。(えん)(じゅつ)が死ぬと、(りゅう)()()()(州の長官)の(しゃ)(ちゅう)を殺して、軍を引いて(はい)に駐屯したんだ。袁紹(えんしょう)は騎兵を送って、(りゅう)()を助けたよ。(そう)(そう)(りゅう)(たい)(おう)(ちゅう)を送って(りゅう)()を攻めたけど、成功しなかったの。
(けん)(あん)五年(200年)、(そう)(そう)(りゅう)()を討つために自ら東へ軍を進めたよ。(でん)(ほう)は袁紹に、(そう)(そう)を後ろから襲撃するように提案したけど、(えん)(しょう)は子供の病気を理由にこれを許さなかったんだ。(でん)(ほう)は杖で地面を打ちながらこう言ったよ。
「この絶好の機会を、子供の病気のために失うなんて、なんて惜しいことだ!」
(そう)(そう)が着いて、(りゅう)()を打ち破ったよ。(りゅう)()(えん)(しょう)のもとへ逃げたんだ。

檄文を送る

(註25)

魏氏春秋載紹檄州郡文曰:「蓋聞明主圖危以制變,忠臣慮難以立權。曩者彊秦弱主,趙高執柄,專制朝命,威福由己,終有望夷之禍,汙辱至今。及臻呂后,祿、產專政,擅斷萬機,決事省禁,下陵上替,海內寒心。於是絳侯、朱虛興威奮怒,誅夷逆亂,尊立太宗,故能道化興隆,光明顯融,此則大臣立權之明表也。 

()()(しゅん)(じゅう)』によると、(えん)(しょう)が州や郡に檄文を送ってこう言ったよ。
「賢明な君主は危機にあって変化を見極めるもので、忠臣は困難な状況に対処するものだよ。昔の強大な(しん)の時代、君主が弱くなって、(ちょう)(こう)が権力を握って、朝廷の政治を自分のものにして、賞罰を好き勝手にしちゃった。その結果、(ぼう)()の悲劇((しん)の二世皇帝が死んだ事件)が起こって、その屈辱は今でも語られ続けているんだ。(りょ)(こう)の時代にも同じように、(りょ)(ろく)(りょ)(さん)が政権を握って、すべての事を決めて、権力をふるったんだ。このせいで、下にあるべき者が上の権威を奪って、世の中の人たちは心を痛めていたの。この状況で、(こう)(こう)(しゅう)(ぼつ))と(しゅ)(きょ)(りゅう)(しょう))が怒りの兵をあげて、反逆者を討って、(たい)(そう)(かん)(ぶん)(てい))を皇帝に即位させたよ。こうして道徳が盛んに行われて、国は光を取り戻したよ。これこそが、大臣の使命としてはっきりとした模範なんだよ。

(註25)

司空曹操,祖父騰,故中常侍,與左悺、徐璜並作妖孽,饕餮放橫,傷化虐民。父嵩,乞匄攜養,因贓假位,輿金輦璧,輸貨權門,竊盜鼎司,傾覆重器。操贅閹遺醜,本無令德,僄狡鋒俠,好亂樂禍。幕府昔統鷹揚,掃夷凶逆。續遇董卓侵官暴國,於是提劒揮鼓,發命東夏,方收羅英雄,棄瑕錄用,故遂與操參咨策略,謂其鷹犬之才,爪牙可任。

()(くう)(そう)(そう)について、彼の祖父の(そう)(とう)は、昔の(ちゅう)(じょう)()で、()(かん)(じょ)(こう)と一緒に悪事を働いて、好き勝手に利益を手に入れて、社会の秩序を乱して、民を苦しめたんだ。彼の父の(そう)(すう)は、養子として育てられて、賄賂を使って地位を得たんだ。金や玉を積み上げて、権力者に贈り物をして、重要な地位を盗み取って、天子を政治を左右するようになったよ。
(そう)(そう)は、宦官に養われた子にすぎなくて、徳を持たなくて、ずるくて乱暴で、戦乱を好んで災いを楽しんでいるよ。幕府で昔は猛将を率いて悪人を討ったよ。さらに、(とう)(たく)が暴力で支配して国が(そう)(そう)に陥ると、(そう)(そう)は剣を振るって、軍鼓を鳴らして、東に討伐の命令を発して、英雄たちを集めて、過去の過ちを許して、能力のある人を活かしたよ。だから、(そう)(そう)と一緒に計略を相談する者に対しては、官位を授けて、鷹や犬みたいな才能はその爪と牙を信頼されたの。

(註25)

至乃愚佻短慮,輕進易退,傷夷折衂,數喪師徒。幕府輙復分兵命銳,脩完補輯,表行東郡太守、兖州刺史,被以虎文,授以偏師,獎蹙威柄,兾獲秦師一克之報。而操遂乘資跋扈,肆行酷裂,割剥元元,殘賢害善。

でも、(そう)(そう)の考えは浅はかで、軽々しく進んではためらわないで退いて、戦いでたくさんの損害を出して、く軍を敗れさせたんだ。だから幕府では、ふたたび兵を分けて鋭兵を選んで、集めて補って、彼は(とう)(ぐん)(たい)(しゅ)(郡の長官)を願い出て、(えん)(しゅう)()()(州の長官)に任命されたよ。彼は虎の皮を身に着けて勢いを大きく示して、別働隊を与えられて、勢力を強化して、(しん)の軍が勝つ(もう)(めい)の功績を追うことを期待していたんだよ。でも、その地位を利用して好き勝手にふるまって、残酷なことをして、民を苦しめて、賢者を傷つけたんだ。

(註25)

故九江太守邊讓,英才俊逸,天下知名,以直言正色,論不阿諂,身被梟縣之戮,妻孥受灰滅之咎。自是士林憤痛,民怨彌重,一夫奮臂,舉州同聲,故躬破於徐方,地奪於呂布,仿偟東裔,蹈據無所。幕府唯彊幹弱枝之義,且不登叛人之黨,故復援旌擐甲,席卷赴征,金鼓響震,布衆破沮,拯其死亡之患,復其方伯之任,是則幕府無德於兖土之民,而有大造於操也。

だから(きゅう)(こう)(たい)(しゅ)(郡の長官)の(へん)(じょう)は、優れた才能を持っていて、天下に知られていたけど、正直な言葉と態度を持って、媚びを売らないで進言していたから、磔刑を受けて、妻も子もみんな殺されたんだ。
この時から士人たちは激しい怒りと悲しみに包まれて、民の怨みはより深くなったよ。ひとりが腕を振るえば、1つの州が同じ声を上げたよ。だから、(そう)(そう)(じょ)州で敗れて、領地を(りょ)()に奪われて、東に逃げて、根拠となる地を失っちゃったんだね。
でも、幕府では強幹弱枝(中央の力を強くして地方の力を弱める)の義を重んじて、反乱者((りょ)())に加勢しなかったよ。そこで、(そう)(そう)はふたたび旗を揚げて兵を集めて、すぐに戦いに出たよ。金鼓の音は響き渡ると、(りょ)()の軍は崩れたんだ。(そう)(そう)は、王朝の危機を救った功績によって、伯の地位に戻れたよ。だから、幕府は(えん)州の民に恩徳を与えなかったけど、(そう)(そう)に対して大きな助けとなったんだね。

(註25)

後會鑾駕東反,羣虜亂政。時兾州方有北鄙之警,匪遑離局,故使從事中郎徐勛就發遣操,使繕脩郊廟,翼衞幼主。而便放志專行,脅遷省禁,卑侮王官,敗法亂紀,坐召三臺,專制朝政,爵賞由心,刑戮在口,所愛光五宗,所惡滅三族,羣談者蒙顯誅,腹議者蒙隱戮,道路以目,百寮鉗口,尚書記朝會,公卿充員品而已。

その後、天子は(らく)(よう)へ戻ったけど、たくさんの賊が争っていたんだ。その時、()州は北方の警戒に直面していて、離れられなかったの。だから、(じゅう)()(ちゅう)(ろう)(じょ)(くん)を送って、(そう)(そう)に郊廟を修理させて、幼い君主を守らせようとしたよ。でも、(そう)(そう)は野心を抱いて、好き勝手にふるまって、天子を脅して洛陽に移して、天子の権限を勝手に使って、王室を蔑ろにして、法や制度を壊して、規律を乱して、三台(中台、外台、憲台)を手に入れて、思うままに朝廷の政治をして、爵位や賞を自分の意のままに与えて、刑罰を口先で決めて、彼の愛する者に一族も栄光を受けて、彼の憎む者は一族を滅ぼされたんだ。公然と意見を述べる人は厳しい罰を受けて、腹の中で議論する者もこっそりと処罰されたんだ。道行く人たちはお互いに目をくばせするだけで通り過ぎていったよ。百官(官僚)は口をつぐんで、(しょう)(しょ)は天子に会う場で記録するだけで、(こう)(けい)はただの飾り物にすぎなかったんだ。

(註25)

故太尉楊彪,歷典三司,享國極位,操因睚眥,被以非罪,榜楚并兼,五毒俱至,觸情放慝,不顧憲章。又議郎趙彥,忠諫直言,議有可納,故聖朝含聽,改容加錫,操欲迷奪時權,杜絕言路,擅收立殺,不俟報聞。

だから(たい)()(よう)(ひょう)()(くう)()()を歴任して、国の最高位として務めていたけど、(そう)(そう)は小さな過失を探し出して、(よう)(ひょう)を罪人としたんだ。(よう)(ひょう)は拷問されて、5つの刑罰が次々と加えられたよ。(そう)(そう)は感情に任せて悪事をして、法や制度も彼の眼中にはないんだ。
さらに、()(ろう)(ちょう)(げん)は忠誠を尽くして、直言して諫めて、その議論は採用する価値があったよ。だから、天子はその意見を聞き入れて、特別に尊敬していたよ。でも、(そう)(そう)は世の中の人たちの聡明さを奪って、言論の道を閉ざそうとして、勝手に(ちょう)(げん)を捕らえて処刑して、天子に報告すらしなかったんだ。

(註25)

又梁孝王,先帝母弟,墳陵尊顯,松栢桑梓,猶宜恭肅,而操率將校吏士親臨發掘,破棺裸尸,略取金寶,至令聖朝流涕,士民傷懷。又署發丘中郎將、摸金校尉,所過墮突,無骸不露。身處三公之官,而行桀虜之態,殄國虐民,毒流人鬼。

(りょう)(こう)(おう)(りゅう)())は先帝の母の弟で、その墓は特別に尊いものとされて、松や柏、桑や梓が植えられているべきだったよ。でも、(そう)(そう)は兵や役人を率いてその墓を掘り返して、棺を壊して遺体を曝して、金や宝物を略奪したんだ。だから天子は涙を流して、士人や民は心を痛めたの。
その上、(そう)(そう)(はっ)(きゅう)(ちゅう)(ろう)(しょう)(墓を暴く官職)や()(きん)(こう)()(金を探す官職)を置いて、行く先々で墓を壊して、遺骸を曝したんだ。彼は(さん)(こう)の地位にいるのに、(けつ)みたいなふるまいをして、国を荒れさせて、民を虐げて、その毒は人々と霊魂にまで及んでいるよ。

(註25)

加其細政苛慘,科防互設,繒繳充蹊,坑穽塞路,舉手挂網羅,動足蹈機陷,是以兖、豫有無聊之民,帝都有吁嗟之怨。歷觀古今書籍,所載貪殘虐烈無道之臣,於操為甚。幕府方詰外姦,未及整訓,加意含覆,兾可彌縫。而操豺狼野心,潛苞禍謀,乃欲撓折棟梁,孤弱漢室,除滅中正,專為梟雄。

さらに、彼はひどい刑罰を広めて、さまざまな規制が設けられたよ。道には網が張り巡らされて、落とし穴がいろいろな場所にあって、手を挙げれば網に引っかかって、足を動かせば罠にかかるといった状態だったよ。こうして、(えん)州や()州には不安に暮れる民がいて、都では嘆きの声が上がってたの。
古今の書物を見渡しても、(そう)(そう)くらい貪欲で残虐で、道を外れた臣下はいないよね。幕府は外の悪い臣下を制圧するのに忙しくて、まだ国内を整えるには手が回らないんだ。だから耐えて、寛容に努めて、(そう)(そう)が改めることを期待していたよ。でも、(そう)(そう)はまるで(ヤマイヌ)(オオカミ)みたいな野心を持って、こっそりと悪事を計画して、国の棟や梁となる重要な人たちを壊そうとして、(かん)の王朝を孤立させて、中正な人たちを除いて、残酷な人たちが権力を握ろうとしていたんだ。

(註25)

往歲伐鼓北征,討公孫瓚,彊禦桀逆,拒圍一年。操因其未破,陰交書命,欲託助王師,以相掩襲,故引兵造河,方舟北濟。會其行人發路,瓚亦梟夷,故使鋒芒挫縮,厥圖不果。屯據敖倉,阻河為固,乃欲以螳蜋之斧,禦隆車之隧。

かつては太鼓を打って北へ軍を進めて、(こう)(そん)(さん)を討とうとして、彼の強い抵抗に遭って、1年間包囲していたよ。(そう)(そう)は撃破できないとわかると、こっそりと手紙を交わして、天子の軍を助けて、応じるように仕向けたよ。だから、兵を率いて黄河を渡って、舟を使って北方へ進軍したけど、行軍の途中で事情が見つかって、(こう)(そん)(さん)は首をさらされたんだ。だからその計画はだめになって、結局実現しなかったんだ。
(そう)(そう)(ごう)(そう)に陣取って、黄河を頼みとして防衛して、カマキリの斧で戦車の進行を防ごうとするかのような無謀な企てをしていたの。

(註25)

幕府奉漢威靈,折衝宇宙,長戟百萬,胡騎千羣,奮中黃、育、獲之材,騁良弓勁弩之勢,并州越太行,青州涉濟、漯,大軍汎黃河以角其前,荊州下宛、葉而掎其後,雷震虎步,並集虜庭,若舉炎火以焫飛蓬,覆滄海而沃熛炭,有何不消滅者哉?

幕府は(かん)の王朝の威光を使って、いろいろな方面から出て、100万人の長戟兵やたくさんの胡賊の騎兵、精鋭の兵たちを奮い立たせて、強力な弓や弩を備えた勢力を駆使して、(へい)州は(たい)(こう)(さん)を越えて、(せい)州は(せい)(すい)(とう)(すい)を渡って、大軍((えん)(しょう))は黄河を渡ってその前衛と向き合って、(けい)州は(えん)(よう)を制して後ろから挟み撃ちにしたよ。その雷鳴みたいな轟音と虎みたいな足取りで、(そう)(そう)の軍のいる地域に一斉に集まったの。まるで炎を掲げて風にヨモギを焼きつくして、大きな海を返して燃える炭の火を消しつくすみたいで、どうしてどんな敵でも消し去れないことがあるの?

(註25)

當今漢道陵遲,綱弛紀絕。操以精兵七百,圍守宮闕,外稱陪衞,內以拘執,懼其篡逆之禍,因斯而作。乃忠臣肝腦塗地之秋,烈士立功之會也,可不勗哉!」此陳琳之辭。

今、(かん)の王朝はどんどん衰えて、国の秩序は根本から壊されて、統制も失われているの。(そう)(そう)は精鋭の兵700人を率いて宮殿の門を取り囲んで、表向きでは護衛を装いながら、実際には天子を拘束しているんだ。だから、彼が帝位を奪う禍が起こるのではないかと恐れているよ。今こそ、忠臣が命を捧げる時で、烈士が功績を立てる機会でもあるよ。努めないでいられるの!」
これは(ちん)(りん)の言葉だよ。

『文選』に「為袁紹檄豫州」として記されているよ。註釈もあるから、詳しくはそちらを見てね。 → 文選注 : 檄 - 中國哲學書電子化計劃
『文選』によると、()(しゅう)()()に宛てた文章みたい。この時の()(しゅう)()()(りゅう)()さん。
(ちん)(りん)さんについては、「魏書王粲伝」も見てね。

続き → 正史『三国志』「魏書袁紹伝」をゆるゆる翻訳するよ! その 2

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