西門豹 は、曹操さんが「西門豹の祠の西の平原の上に寿陵(生前の墓)を作ってね」と言うくらいリスペクトした人物だよ。紀元前 400 年頃(戦国時代)の政治家で、曹操さんの活躍した時代からは 600 年くらい前だね。
西門豹について、いくつかの文献からどんな人物か調べてみたよ。
注意事項
- ふわふわ理解のゆるゆる意訳だよ。正確性や確実性は保証できないよ。
- ChatGPT に意訳してもらったよ。出力された文章を一部加筆・修正して掲載しているよ。
- 第三者による学術的な検証はしていないよ。
翻訳の詳細は「ChatGPT と協力して正史『三国志』をゆるゆる翻訳するよ!」を見てね。
西門豹は鄴の令になる
『戦国策』「魏策」から。戰國策 : 魏策 : 魏一 : 西門豹為鄴令 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。
西門豹為鄴令,而辭乎魏文侯。文侯曰:「子往矣,必就子之功,而成子之名。」西門豹曰:「敢問就功成名,亦有術乎?」文侯曰:「有之。夫鄉邑老者而先受坐之士,子入而問其賢良之士而師事之,求其好掩人之美而揚人之醜者,而參驗之。夫物多相類而非也,幽莠之幼也似禾,驪牛之黃也似虎,白骨疑象,武夫類玉,此皆似之而非者也。」
西門豹が鄴の令(長官)になると、魏の文侯にお別れの挨拶をしたよ。文侯はこう言ったよ。
「あなたは行ってね。必ず功績を立てて、名声を成し遂げてね」
西門豹はこう言ったよ。
「恐れながら聞くけど、功績を立てて名声を成すには、何か方法があるの?」
文侯はこう言ったよ。
「あるよ。村や町の年長者や、最初に座る資格のある人に会いに行ってね。あなたがその地に入ったら、賢明で立派な人を尋ねて、その人を師として学ぶんだ。そして、人の良いところを隠して、悪いところを広める人を見つけて、その言動を慎重に確認してね。物事には似ていても違うものがたくさんあるよ。たとえば、雑草の若芽は稲に似ているし、まだら模様の牛の黄色い模様は虎に似ているし、白い骨は象牙に見間違えられるし、武夫(白い美しい石)は玉に見えるよ。これらはどれも似ているように見えるけど、実際には異なるものだよね」
魏の文侯は、魏の君主だよ。孔子の弟子の子夏から学んだよ(『史記』「魏世家」)。
『説苑』「政理」にも、同じように魏の文侯から教えを受ける話があるよ。『説苑』「政理」から。說苑 : 政理 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。
魏文侯使西門豹往治於鄴,告之曰:「必全功成名布義。」豹曰:「敢問全功成名布義為之奈何?」文侯曰:「子往矣!是無邑不有賢豪辨博者也,無邑不有好揚人之惡,蔽人之善者也。往必問豪賢者,因而親之;其辨博者,因而師之;問其好揚人之惡,蔽人之善者,因而察之,不可以特聞從事。夫耳聞之不如目見之,目見之不如足踐之,足踐之不如手辨之;人始入官,如入晦室,久而愈明,明乃治,治乃行。」
魏の文侯は西門豹を鄴に送って治めさせて、こう言ったよ。
「必ず功績を全うして、名声を立てて、義を広めてね」
西門豹はこう尋ねたよ。
「恐れながら聞くけど、功績を全うして、名声を立てて、義を広めるには、どのようにすればいいの?」
文侯はこう答えたよ。
「あなたが赴く地には、賢明で有能な人物や弁舌に長けた博識の者が必ずいるよ。それに、人の悪を広めて、善を隠そうとする者も必ずいるよ。まずは賢者や有能な者を尋ねて、彼らと親しくしてね。弁舌に長けた者は師として仰いでね。そして、人の悪を広めて、善を隠す者を尋ねて、その実態をよく見極めてね。ただうわさや聞き伝えだけで行動してはいけないよ。耳で聞くことは目で見ることに及ばないし、目で見ることは足で踏んですることに及ばないよ。足で踏んですることは、手で直接検証することに及ばないよ。人が新たに官職に就くことは、暗い部屋に入るようなものなんだ。長くそこにいればどんどん明るくなって、物事が明らかになれば治めることができて、治められるようになれば政治ができるようになるよ」
黄河の神様が妻を迎える
『史記』「滑稽列伝」から。史記 : 列傳 : 滑稽列傳 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。この文は褚少孫が補った部分らしいよ。
ちなみに「滑稽」とは、酒が稽(酒器)を滑るみたいに弁舌に優れているという意味だよ。
魏文侯時,西門豹為鄴令。豹往到鄴,會長老,問之民所疾苦。長老曰:「苦為河伯娶婦,以故貧。」豹問其故,對曰:「鄴三老、廷掾常歲賦斂百姓,收取其錢得數百萬,用其二三十萬為河伯娶婦,與祝巫共分其餘錢持歸。當其時,巫行視小家女好者,云是當為河伯婦,即娉取。洗沐之,為治新繒綺縠衣,閒居齋戒;為治齋宮河上,張緹絳帷,女居其中。為具牛酒飯食,行十餘日。共粉飾之,如嫁女床席,令女居其上,浮之河中。始浮,行數十里乃沒。其人家有好女者,恐大巫祝為河伯取之,以故多持女遠逃亡。以故城中益空無人,又困貧,所從來久遠矣。民人俗語曰『即不為河伯娶婦,水來漂沒,溺其人民』云。」西門豹曰:「至為河伯娶婦時,願三老、巫祝、父老送女河上,幸來告語之,吾亦往送女。」皆曰:「諾。」
魏の文侯の時代、西門豹は鄴の令(長官)になったよ。鄴に着いた西門豹は、長老たちに会って、民の苦しみについて尋ねたよ。長老はこう言ったよ。
「河伯(黄河に棲む神)のために妻を取ることで苦しんでいるから貧しいの」
西門豹はその理由を尋ねたよ。長老はこう語ったよ。
「鄴の三老や廷掾(役人)は毎年、民から税を集めて、数百万の銭を得ているんだ。彼らが河伯の妻のために使うのはそのうちの20から30万だけで、残りのお金は祝巫と分け合って持ち帰るんだ。その時、巫は美しい女の子を見つけて、『これは河伯の妻にする』と言って、妻として連れて行っちゃうんだ。その女の子を洗い清めて、新しい絹織物の衣服を着せて、断食させるの。黄河のほとりに斎宮(家)を建てて、真っ赤な絹の幕を張って、女の子をその中に住まわせて、牛や酒、飯などを用意して、10日以上の儀式をするんだ。そして、妻にする準備を整えた後、女の子を飾り立てて、結婚に使うための床を作って、女の子をその上に乗せて黄河に浮かべるの。最初は浮いているけど、数十里進むと沈んでしまうんだ。美しい娘を持つ家族は、巫にその娘を河伯の妻として取られるのを心配して、ほとんどが娘を連れて遠く逃げ出しちゃった。だから、町はどんどん人が少なくなって、貧しくなっちゃった。この習慣は長い間続いていて、民は『河伯が妻を迎えないと、水が押し寄せて人々を流して溺れさせる』と言っているの」
西門豹はこう言ったよ。
「もし河伯が妻を迎える時が来たら、三老、祝巫、長老が女の子を黄河に送りに行く時に、私にも知らせてね。私も一緒に送りに行くから」
みんなは「わかった」と答えたよ。
要するに人身御供だね。
至其時,西門豹往會之河上。三老、官屬、豪長者、裏父老皆會,以人民往觀之者三二千人。其巫,老女子也,已年七十。從弟子女十人所,皆衣繒單衣,立大巫后。西門豹曰:「呼河伯婦來,視其好醜。」即將女出帷中,來至前。豹視之,顧謂三老、巫祝、父老曰:「是女子不好,煩大巫嫗為入報河伯,得更求好女,后日送之。」即使吏卒共抱大巫嫗投之河中。有頃,曰:「巫嫗何久也?弟子趣之!」復以弟子一人投河中。
その時が来て、西門豹は長老たちに会いに黄河のほとりに行ったよ。三老、役人、裕福な人、里の父老たちがみんな集まって、民は2,000から3,000人も集まって見物していたよ。
大巫は70歳くらいの老女で、10人くらいの弟子の女性がみんな絹の衣服を着て、巫の後ろに立っていたよ。
西門豹はこう言ったよ。
「河伯の妻を呼んでよ。彼女の美しさを見てみるよ」
すぐに女の子が幕の中から出されて、前に連れてこられたよ。西門豹は彼女を見て振り返って、三老、巫祝、父老たちにこう言ったよ。
「この女の子は美しくないね。大巫に河伯に報告してもらって、もっと美しい女の子を探して、後日送るようにしよう」
そして、すぐに役人たちに命令して、大巫を抱きかかえて黄河に投げ込んだよ。
しばらくして、西門豹はこう言ったよ。
「大巫はどうしてこんなに長い間も黄河の中にいるの? 弟子よ、急いで行け!」
そして、弟子を1人、黄河に投げ込んだよ。
有頃,曰:「弟子何久也?復使一人趣之!」復投一弟子河中。凡投三弟子。西門豹曰:「巫嫗弟子是女子也,不能白事,煩三老為入白之。」復投三老河中。西門豹簪筆磬折,向河立待良久。長老、吏傍觀者皆驚恐。西門豹顧曰:「巫嫗、三老不來還,柰之何?」欲復使廷掾與豪長者一人入趣之。皆叩頭,叩頭且破,額血流地,色如死灰。西門豹曰:「諾,且留待之須臾。」須臾,豹曰:「廷掾起矣。狀河伯留客之久,若皆罷去歸矣。」鄴吏民大驚恐,從是以後,不敢復言為河伯娶婦。
しばらくして、西門豹はこう言ったよ。
「弟子はどうして戻ってこないの? もう1人を急いで行かせて!」
また別の弟子を1人、黄河に投げ込んだよ。合計で3人の弟子を投げ込んだんだ。
西門豹はこう言ったよ。
「巫や弟子たちは女性で、うまく報告することができないみたい。手間をかけさせるけど、三老に行ってもらおう」
そして、三老を黄河へ投げ込んだよ。西門豹は筆を頭髪に挟んで、腰を曲げて待ち続けたよ。長老や側にいた役人、見物していた人たちはみんなびっくりして恐れちゃった。
西門豹は振り返ってこう言ったよ。
「巫や三老たちがまだ帰ってこないの。どうすればいいかな?」
彼は役人と裕福な人から1人を選んで、黄河に投げ込もうとしたよ。すると、彼らは地面にひれ伏して、頭を地面に叩き続けて、額から血が流れて、顔色は死んだように青ざめたんだ。西門豹はこう言ったよ。
「わかった、少し待ってみよう」
しばらくして、西門豹はこう言ったよ。
「役人たちよ、立ち上がって。どうやら河伯は客を長く留めているみたいだね。みんな、帰ろう」
鄴の役人や民はすごくびっくりして恐れて、それからは、河伯のために妻を取ることを二度と言い出さなくなったよ。
こうして西門豹は、迷信を断ち切って、民の負担を軽くしたよ。曹操さんも迷信を滅ぼしたことがあるよ。
相手を表立って否定しないで、相手の理論を利用することが肝心だね。必要な時に大胆な行動を取ることを恐れない勇気も。
西門豹即發民鑿十二渠,引河水灌民田,田皆溉。當其時,民治渠少煩苦,不欲也。豹曰:「民可以樂成,不可與慮始。今父老子弟雖患苦我,然百歲後期令父老子孫思我言。」至今皆得水利,民人以給足富。十二渠經絕馳道,到漢之立,而長吏以為十二渠橋絕馳道,相比近,不可。欲合渠水,且至馳道合三渠為一橋。鄴民人父老不肯聽長吏,以為西門君所為也,賢君之法式不可更也。長吏終聽置之。故西門豹為鄴令,名聞天下,澤流後世,無絕已時,幾可謂非賢大夫哉!
西門豹は、すぐに民に12本の水路を掘らせて、黄河の水を引いて民の田畑に水を灌いだよ。田畑はすべてうるおったの。初めは、民は水路の工事で少しの間苦労して、不満を抱いていたんだって。でも、西門豹はこう言ったよ。
「民は結果を一緒に喜ぶことができても、始まりを一緒に考えることはできないんだ。今は父老や子供たちが私を恨むかもしれないけど、100年後には父老の子孫が今日の私の言葉を思い出すはずさ」
その結果、今ではみんなが水の利を得て、民は豊かになっているの。
12の水路は主要な道を横切っていて、漢の時代になって、長官(行政官)たちは12の水路が道を遮っているから、近くに集めるべきだと考えたんだ。彼らは3つの水路を合流させて道の上に1つの橋を作ろうとしたよ。でも、鄴の民や父老たちは長吏の提案を受け入れなかったんだ。彼らは、西門君が作ったものであって、賢い君主の作った規範は変えてはいけないと考えていたからだね。最終的に、長吏は民の意見を受け入れたんだ。
こうして、西門豹は鄴の令としてその名声は天下に広がって、その恩恵は後の世にまで伝わり続けたよ。彼は素晴らしい大夫であったと言えるよ!
鄴は当時、趙や斉に近い要衝。長期的な視点で民の富を重視して、その結果として魏が豊かになるための基盤を作ったよ。曹操さんも鄴を拠点にしたよね。
この話は『太平御覧』にも載っているよ(「職官部」、「方術部」)。
空っぽの倉庫
『淮南子』「人間訓」から。淮南子 : 人閒訓 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。
西門豹治鄴,廩無積粟,府無儲錢,庫無甲兵,官無計會,人數言其過於文侯。文侯身行其縣,果若人言。文侯曰:「翟璜任子治鄴,而大亂。子能道則可,不能,將加誅於子!」西門豹曰:「臣聞王主富民,霸主富武,亡國富庫。今王欲為霸王者也,臣故稸積於民。君以為不然,臣請升城鼓之,甲兵粟米,可立具也。」於是乃升城而鼓之。一鼓,民被甲括矢,操兵弩而出;再鼓,負輦粟而至。文侯曰:「罷之。」西門豹曰:「與民約信,非一日之積也。一舉而欺之,後不可複用也。燕常侵魏入城,臣請北擊之,以複侵地。」遂舉兵擊燕,複地而後反。
西門豹が鄴を治めていた時、倉には穀物がなくて、府には貯められたお金がなくて、庫には武器や防具がなくて、役所には会計もなかったんだ。たくさんの人が魏の文侯に西門豹のことを悪く言っちゃった。文侯は自らその地を訪れたけど、人々の言うとおりだったの。
文侯はこう言ったよ。
「翟璜があなたを任命して鄴を治めさせたけど、すごく乱れているよ。あなたが道理を示せるならいいけど、できなければあなたを罰するぞ!」
西門豹はこう言ったよ。
「私は聞いているよ。王者は民を富ませて、覇者は武力を富ませて、亡国の君主は倉庫を富ませるって。今、王は覇者になろうとされているから、私は民に蓄積させているの。もしあなたがそれを違うとお考えなら、私は城に登って太鼓を打ち鳴らすよ。甲冑や武器、穀物がすぐに揃うはずさ」
そこで西門豹は城に登って太鼓を鳴らしたよ。1回目の太鼓で、民は甲冑を身にまとって、矢を持って、武器と弩を操り出したよ。2回目の太鼓で、穀物を運んで来たよ。
文侯はこう言ったよ。
「やめて、わかったよ」
西門豹はこう言ったよ。
「民と約束を交わすのは一日でできることではないよ。一度の欺きでその信頼は二度と戻らないんだ。燕がいつも魏を侵略して城に入ってくるから、私は北へ進軍して、侵略された領地を取り戻すことを願うよ」
そして軍を挙げて燕を攻撃して、領地を取り戻して帰ったよ。
人から悪く言われても、冷静に対処して、自身の政策の正当性を具体的に示して理解を得られたよ。
魏を去る
『韓非子』「外儲説左下」から。韓非子 : 外儲說左下 - 中國哲學書電子化計劃から原文を引用しているよ。
西門豹為鄴令,清剋潔愨,秋毫之端無私利也,而甚簡左右,左右因相與比周而惡之,居期年,上計,君收其璽,豹自請曰:「臣昔者不知所以治鄴,今臣得矣,願請璽復以治鄴,不當,請伏斧鑕之罪。」文侯不忍而復與之,豹因重斂百姓,急事左右,期年,上計,文侯迎而拜之,豹對曰:「往年臣為君治鄴,而君奪臣璽,今臣為左右治鄴,而君拜臣,臣不能治矣。」遂納璽而去,文侯不受,曰:「寡人曩不知子,今知矣,願子勉為寡人治之。」遂不受。
西門豹は鄴の令(長官)で、とても清廉で誠実な人だよ。私利を全く求めないで、とても簡潔な生活を送ったんだ。でも、彼は君主である魏の文侯の側近たちに対してすごく厳しかったから、側近たちは彼を嫌って、お互いに結託して彼の悪口を言ったんだ。
1年後、彼が成果を報告するために都へ行くと、文侯は彼の(官職の証である)印を取り上げちゃった。西門豹は願ってこう言ったよ。
「私は、前はどうやって鄴を治めればいいのかわからなかったけど、今は理解したよ。もう一度印を返していただいて、鄴を治めさせてほしいんだ。それでもうまくいかなかったら、処罰を受けるから」
文侯は彼に同情して、ふたたび印を返したよ。すると、西門豹は民から厳しく税を取って、側近たちに急いで贈り物を贈ったんだって。1年後、西門豹が成果を報告すると、文侯は彼を迎えて拝礼したんだ。西門豹はこう答えたよ。
「昨年、私は君主のために鄴を治めたけど、君主は私の印を取り上げたんだ。今、私は側近たちのために鄴を治めて、君主は私に拝礼したよね。私はもはや鄴を治めることができないよ」
そして印を返して去ろうとしたけど、文侯は受け取らないで、こう言ったよ。
「私は、前はあなたを理解していなかったけど、今はわかったよ。どうか私のために鄴を治めてほしいんだ」
西門豹は印を受け取らなかったよ。
がんばって実績もあるのに、君主の側近たちに賄賂を贈らなかったから失脚って、よくない組織だね。
西門豹は気が短い?
『韓非子』「観行」や『論衡』「率性」などに、「西門豹は性急な性格だったから、韋(柔らかい革の帯)を佩びて自らを和らげた」とあるよ。
正史『三国志』の「魏書徐弈伝」でも、曹操さんが徐弈さんに対して西門豹のこの点について話しているよ。
余談
田豫さんも西門豹リスペクトしているっぽい。『三国志』「魏書田豫伝」の註釈にあるよ。