劉備さんがどんなキャラクターか妄想してみた

劉備さんがどんなキャラクターか妄想してみた

⚠️ 妄想を膨らませたネタです。真に受けないでください。

三国志のメインの人物のひとりである劉備さんがどんなキャラクターか妄想したよ。

正史『三国志』にエピソードの多い曹操さんや、劉備さんの側にいる関羽さんや張飛さんは、どの創作作品でもキャラクターがある程度は固定化されているイメージがあるよ。一方で、作品ごとに描かれるキャラクターに大きな違いのある人物が劉備さんだよ。

「あなたが三国志を描くとしたら、劉備さんはどんなキャラクター?」と自分に問いかけて妄想してみたよ!

フィクションで描かれる劉備さん

まずは、創作作品で描かれる劉備さんのキャラクターを整理してみるよ。

『三国志演義』では主人公で、民の味方として描かれているよ。それをベースにした吉川英治さんの『三国志』、そしてそれをベースにした横山光輝さんの漫画『三国志』でも好青年として描かれているよ。真面目で誠実、情に厚くて不思議な魅力で人がついてくる。多くの人が持つ劉備さんのイメージはこれかな?

漫画『蒼天航路』では人間味あふれる性格で、自由奔放な劉備さんが描かれているよ。基本的に明るく素直で、表情も豊かで、時に下品な振る舞いも。自分の器について悩んだり迷ったりする場面もあるけど、決めるところは決めるかっこいい人! 「理」では計れないキャラクターとして描かれているのかな? 劉邦っぽいのかな~と、なんとなく。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』の劉備さんは、表情は少なくて考えが読みづらくて、どことなく芝居がかった立ち振る舞いをする少しうさん臭い人物という印象。意外と剣も強いし、勇ましいところもあって、一筋縄ではいかない感があるよ。油断ならない行動としたたかな駆け引きの上手さがたまらなく良い!

ここまで、大まかにフィクションで描かれる劉備さんのキャラクターを見てきたけど、それぞれ特徴が異なるよね。
共通点として、彼には人がついてくるし、行く先では受け入れられているよ。どうしてこんなに慕われるの? 正直に言うと、この点についてはどの作品でも疑問に思ったんだよね。

正史『三国志』で描かれる劉備さん

正史『三国志』「先主伝」で彼の性格や好みについて書かれている箇所を読むと、

  • 本を読むことはあまり好きではない。犬や馬、音楽、美しい服に喜びを感じていた。1
  • 自分からあまり話すことはない。他人に対してはへりくだる。怒りや喜びを顔に表さなかった。2
  • 若者たちは競って彼についていった。3

とあって、

陳寿(正史を書いた人)の評は、

  • 度量が広くて意志が強い。人を知って士人を待遇する姿勢がある。4
  • 他の人に従いたくないと思っていた。5 (「武帝紀」の程昱の評6、「周瑜伝」の周瑜の評7 にもある)

とあるよ。

他にもエピソードからわかることは、

  • 人目を引く見た目(7 尺 5 寸の高身長、手は膝まで伸びる、耳は自分で見ることができるくらい大きい)。8 9
  • 急にブチギレる(督郵しばきエピソード)。10
  • 身分に別け隔てなく接して、人の心をつかむのがうまい。11
  • さまざまな人に受け入れられた。乗っ取った。 12 13
  • 逃げるのがうまい。妻や子供を捨てて逃げた。14

など、人を大切にするのかしないのか、なんとなく掴みどころがないなぁ。

『三国志演義』を含む創作作品は、このような正史の描写を拡大解釈して描いたり、彼の先祖とされる中山靖王の劉勝や漢の建国者の劉邦からも想像して描いたのかも。

劉備さんを描くなら、どんなキャラクター?

さて、フィクションと正史を踏まえて、「あなたが三国志を描くとしたら、劉備さんはどんなキャラクター?」を、いろいろ妄想してみたよ。

  • お姫様。桃園サークル(桃サー)の姫。自分よりも他人を優先する優しい人。周りが助けてくれる。『三国志演義』に近い。
  • 水戸黄門の黄門様ポジション。「この劉が目に入らぬか!」と血統を盾に相手をビビらせて、助さん格さんならぬ関羽さん張飛さんが成敗! 勧善懲悪のヒーローっぽい。
  • 最初はひとりの傭兵に過ぎないけど、立身出世の野望を秘めている。現代的に言うなら、営業マンから社長へ駆け上るサクセスストーリー?
  • マフィアのボス。義兄弟という言葉から連想。劉備ボスが目配せしたら関羽さん張飛さんなど周りが手を下してくれる。趙雲さんはボディーガード。諸葛亮さんは顧問弁護士。法正さんはインテリヤ〇ザ。
  • 宗教団体や独裁国家のトップ。

物騒になっちゃった。

もっとゆるく妄想して私が導き出した答えは、

「劉備さんは、あざとい」

だよ!

最初に謝ります。ごめんなさい。

「あざとい」って?

もう一度謝ります。ごめんなさい。けなしたり馬鹿にしたりする意図は決してありません。

あざといとは、「ちょっとずるい」「抜け目ない」といった意味があるよ。相手のツボをつくような計算したしぐさや口調をするイメージだよ。

劉備さんは、計算高くてあざとい演技派英雄!

人がついてきたり、各地を渡り歩いて受け入れられる謎の魅力も、あざとさが背景にあるのでは??? 正史からわかるエピソードと こじつけてみるよ! こじつけだよ!

※「いただき女子」を想定したのですが、言葉が悪いのでやめました。いただき将軍劉備ちゃん

助けてあげたくなるがんばりやさん

劉備さんが乱世を生き延びることができたのは、本人の力だけではなくて、彼の周りに人が集まって助けてくれたからだよ。だからといって、「助けてー!」と人任せにするような性格ではないよ。

困難に直面しても、最初から人に頼るのではなくて、なんとかしようと思って行動している結果、人が助けてくれる状況を作ることに成功したと考えるよ。人にがんばる姿を見せて、助けたくなるように思わせていたのかも? まあ、「助けてー!」とお願いした結果助けられると見返りを求められるから、相手に「助けたい」と思わせて自主的な行動を引き出すことが肝心だね。

彼は若い頃から故郷では、豪侠と仲良くしていたよ15。豪侠とは大雑把に言うと、弱い者を助ける正義の心を持っている人だよ。このような人と付き合えるということは「助けてあげたい」と思わせるあざとさがあったのかも。ちなみに「劉備さんが侠である」とは書いていないよ。

黄巾賊の討伐の時は、「勇気を出して立ち上がったこの人を助けたい」と思わせて支援を引き出していたのかも。あざとい。

下邳で劉備さんが呂布さんに攻められて負けちゃったとき、麋竺さんから軍資金などの支援を得ることに成功しているよ16。「劉備さんが脅したのでは?」と思ったけど、敗れてボロボロの状態で脅すのは難しいし、麋竺さんが妹をも渡しているのだから、助けてあげたくなる状況を作ったのかも。あざとい。

荊州にいる時には、「功績を築けていなくて悲しい(だからがんばるね!)」と、悲しみ(病み?)からのがんばる姿勢というギャップを利用しているよ17。あざとい。

負けちゃったり功績を挙げられない状況でも、がんばるアピールをして、支援を受けられるような状況を作っていたのかも。このような状況だと、その恩恵(おこぼれ)にあずかろうとする人も集まってくるよ。

悲しい過去

助けてあげたくなるキャラには、悲しい過去がつきもの。
劉備さんは「幼い頃に父を亡くして、母と貧しく暮らしていました」という悲しい過去があるよ18。悲しい過去には同情が集まるし、人の痛みを理解できる人として共感を呼ぶよ。その上、親孝行していたなら(孝行していた描写が無いけど)、三国志の時代で特に大切にされる「孝」を表現できるよ。いい子に見えるね。あざとい。

質素だけど特別な見た目

劉備さんは人目を引く特徴を持っているから、「この人はモブキャラではない何かがある」と特別な印象を残しやすくて、覚えてもらいやすかったのかも(特徴については上述)。

怒りや喜びを顔に表さなかったとあるから、冷静で落ち着きのある人だったのかな。庶民だから派手なファッションはできないけど、「美しい服に喜びを感じていた」とあるから、見た目には気を遣っていたのかも。だから、他人にはなんとなく「控えめで純粋そう」「無害そう」といった第一印象を与えることができていたのではないかな。それか「利用できそう」。特徴的な見た目で特別感があるわりに、落ち着いて人にへりくだる態度を取っているから、人に近づく・近づかれる第一歩としては十分だよね。

安心感のある関係を作る

劉備さんは戦場で激戦を繰り広げて功績をあげているよ。でも、軍事が上手なだけでは乱世は生き残れないんだ。だから、人をよく知ろうと努めて、その上で自分への利益を引き出していたと考えられるよ。

徐州や荊州の長官(陶謙さん、劉表さん)を頼った時、彼らの「助けてあげたい」という心を利用したのかも。長官なのに人を見捨てたら周りからなんて言われるかわからないから、その心理もうまく突いたんだね。それに彼らから見たら劉備さんは若者だから、応援したくなるのかも。あざとい。

その上で劉備さんは、功績を「安心感」として利用したの。「敵が攻めてきたら言ってね、私がなんとかするよ」と言いながら「支援、頼りにしているね」とも言って、恩着せがましくない態度で相手に安心感を与えて近づいたのかも。徐州では小沛19、荊州では新野20という要衝を任されているから信頼されていると言えるね。こうして居場所と食糧を得られたんだ。あざとい。

徐州と荊州では最終的に、州を任せられるほど「この人しかいない」「誰よりも信用できる人」と思わせるくらい信頼関係の構築に成功しているよ21 22。なのに遠慮して、領主や民には「領土や金目当て」と不安に思わせないようにふるまっているね23 24。あざとい。

劉備さんは、偉い人だけではなくて、どんな人でも大切にするよ。乱世では誰が助けてくれるかわからないのだから、誰にでも良く接して見捨てなかったよ。だから民からの人気もあるし、本人も民からの評判を気にしていたよ25。民は乱世でずっと不安を抱えていて、劉備さんも庶民で自分の足で戦場に立っているから、それをよくわかる立場にいるね。徐州に入るときも、曹操さんから逃げるときも、ついてくる人を見捨てなかったよ26 27

単なる傭兵だったら、GIVE & TAKE だけの関係になりがちだけど、彼は傭兵以上の関係を作ってお互いにトラブルが起きにくいようにしていたと思われるよ。GIVE & TAKE の関係だけで終わるような人だと刺客をもてなすなんてできないし28

助けを引き出す会話術

諸葛亮さんに会った時、劉備さんは周りの人を退かせてから諸葛亮さんに将来の悩みを相談したよ29。このように「あなたにだけ特別に話すね」という雰囲気を出して、将来の悩みというめっちゃ真面目で切実な内容を切り出すと、助けてあげたくさせられるね。
諸葛亮さんが「こんな私でも、必要とされているんだ。彼にとって私はすごく重要で特別な存在なんだ。彼の志を応援してあげられたらいいな」と思ったかどうかはわからないけど、劉備さんは彼から「天下三分の計」という素晴らしいアドバイスを引き出すことに成功しているね。あざとい。

また、曹操さんに追われて逃げていた劉備さんは、孫権さんの使者の魯粛さんと出会ったよ。そこで劉備さんはヤケになって「蒼梧太守の呉巨のところ行ってみようかな」と何の解決にもならないことを言って、魯粛さんから「ウチと連携しましょう」と助け舟を出させたよ30。自分から「助けて」とは言わないんだよね。あざとい。

あざとさが効かない相手

曹操さんは、あざとい劉備さんとトラブルになった相手だよ。

彼は劉備さんを厚遇して官職を与えたよ31。それに、「あなたと私だけが真の英雄だよ」と劉備さんを高く評価しているよ32
この発言について、「俺と一緒にがんばろうぜ」と解釈すると、劉備さんは「この人、私に近づきすぎでしょ」と思ったのかも。そして、匙と箸を落としちゃった。ドジアピールあざとい。

曹操さんは功績に対して与えてくれる人で、同時に見返りを求める人だよ。それに、頭の回転が速いし、有能な臣下たちや帝を背後に置いていて、余裕があるね。曹操さんが劉備さんのあざとさを見抜いたかどうかはわからないけど、呂布さんとの戦いの後、劉備さんに徐州を任せないで、自分の本拠地である許に置いているよ。表向きでは厚くもてなしているけど、監視しているのと同じだよね。劉備さんから見れば、助ける・助けられる関係を作れない、あざとさではかなわない手ごわい人だよ。

そんな時に劉備さんは偉い人から「曹操を暗殺してほしいな」と言われちゃった。もしも曹操さんと並ぶ立場になっていたら、自分も暗殺計画を立てられちゃうかも!? それに曹操さんの臣下たちは彼に「劉備を始末した方がいいよ」と何度もささやいているみたい33。暗殺計画がバレたら処刑されちゃうし、劉備さん自身が暗殺される危険性もあるし、曹操さんの近くにいても生き残れる気がしないよね。そう思って曹操さんを裏切って去ったのかも。その結果、ずっと敵対する相手になっちゃったけど。

おわりに

「劉備さんは、あざとい」とこじつけで妄想してみたよ。

妄想してみて、乱世は武力だけでは生き残れないということが改めてわかったよ。劉備さんは他の英雄たちと違って、学問がものすごく得意なわけではないし、武にとても優れていたわけでもないし、財産や地位に恵まれた家に生まれたわけでもないよ。兵を率いているだけでは大軍勢には負けちゃうし、誰かに大人しく従っても安心できないんだ。国もボロボロ、家も貧しくて頼れるところが無い中で、どうにか生き残るために身に着けたスキルが、人に取り入る「あざとさ」なのかも。

誤解の無いように……彼のあざといふるまいの裏には「騙そう」といった悪意があったわけではなくて、乱世を生き残るための彼なりの覚悟があったのだと思うよ。あざとい振る舞いは、したたかな覚悟がないとなかなかできないよね。

それに、群雄割拠の時代でたくさんの群雄と直接出会って、あざとさを武器に人の心をつかんできた劉備さんだから、人に好かれるようになったし、人を見る目が養われたんだと思うよ。

あざといキャラとして描いたら面白そうかなと思って、そして彼が人に好かれる理由と乱世を生き延びられた理由に説得力を持たせられたらと思って妄想してみたよ。

これからもどんな劉備さんが描かれていくのか楽しみ!

脚注の出典

脚注

  1. 先主不甚樂讀書,喜狗馬、音樂、美衣服。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  2. 少語言,善下人,喜怒不形於色。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  3. 好交結豪俠,年少爭附之。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  4. 先主之弘毅寬厚,知人待士,蓋有高祖之風,英雄之器焉。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  5. 然折而不撓,終不為下者,抑揆彼之量必不容己,非唯競利,且以避害云爾。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  6. 程昱說公曰:「觀劉備有雄才而甚得衆心,終不為人下,不如早圖之。」(『三国志』「魏書武帝紀」)

  7. 備詣京見權,瑜上疏曰:「劉備以梟雄之姿,而有關羽、張飛熊虎之將,必非乆屈為人用者。……(『三国志』「呉書周瑜伝」)

  8. 身長七尺五寸,垂手下膝,顧自見其耳。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  9. 布目備曰:「大耳兒最叵信!」(『後漢書』「劉焉袁術呂布列伝」)

  10. 督郵以公事到縣,先主求謁,不通,直入縛督郵,杖二百,解綬繫其頸著馬枊,棄官亡命。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  11. 備外禦寇難,內豐財施,士之下者,必與同席而坐,同簋而食,無所簡擇。衆多歸焉。(『三国志』「蜀書先主伝」註『魏書』)

  12. 謙病篤,謂別駕麋笁曰:「非劉備不能安此州也。」(『三国志』「蜀書先主伝」)

  13. 琮左右及荊州人多歸先主。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  14. 先主棄妻子,與諸葛亮、張飛、趙雲等數十騎走,曹公大獲其人衆輜重。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  15. 好交結豪俠,年少爭附之。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  16. 先主轉軍廣陵海西,笁於是進妹於先主為夫人,奴客二千,金銀貨幣以助軍資;于時困匱,賴此復振。(『三国志』「蜀書麋竺伝」)

  17. 九州春秋曰:備住荊州數年,甞於表坐起至厠,見髀裏肉生,慨然流涕。還坐,表怪問備,備曰:「吾常身不離鞍,髀肉皆消。今不復騎,髀裏肉生。日月若馳,老將至矣,而功業不建,是以悲耳。」(『三国志』「蜀書先主伝」註『九州春秋』)

  18. 先主少孤,與母販履織席為業。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  19. 謙表先主為豫州刺史,屯小沛。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  20. 先主遣麋笁、孫乾與劉表相聞,表自郊迎,以上賔禮待之,益其兵,使屯新野。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  21. 謙死,笁率州人迎先主,先主未敢當。下邳陳登謂先主曰:「今漢室陵遲,海內傾覆,立功立事,在於今日。彼州殷富,戶口百萬,欲屈使君撫臨州事。」(『三国志』「蜀書先主伝」)

  22. 表病篤,託國於備,顧謂曰:「我兒不才,而諸將並零落,我死之後,卿便攝荊州。」(『三国志』「蜀書先主伝」註『魏書』)

  23. 先主曰:「袁公路近在壽春,此君四世五公,海內所歸,君可以州與之。」(『三国志』「蜀書先主伝」)

  24. 過襄陽,諸葛亮說先主攻琮,荊州可有。先主曰:「吾不忍也。」(『三国志』「蜀書先主伝」)

  25. 荊州豪傑歸先主者日益多,表疑其心,陰禦之。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  26. 時先主自有兵千餘人,及幽州烏丸雜胡騎,又略得飢民數千人。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  27. 比到當陽,衆十餘萬,輜重數千兩,日行十餘里,別遣關羽乘船數百艘,使會江陵。或謂先主曰:「宜速行保江陵,今雖擁大衆,被甲者少,若曹公兵至,何以拒之?」先主曰:「夫濟大事必以人為本,今人歸吾,吾何忍棄去!」(『三国志』「蜀書先主伝」)

  28. 劉平結客刺備,備不知而待客甚厚,客以狀語之而去。是時人民飢饉,屯聚鈔暴。備外禦寇難,內豐財施,士之下者,必與同席而坐,同簋而食,無所簡擇。衆多歸焉。(『三国志』「蜀書先主伝」註『魏書』)

  29. 由是先主遂詣亮,凡三往,乃見。因屏人曰:「漢室傾頹,姧臣竊命,主上蒙塵。孤不度德量力,欲信大義於天下,而智術淺短,遂用猖獗,至于今日。然志猶未已,君謂計將安出?」(『三国志』「蜀書諸葛亮伝」)

  30. 且問備曰:「豫州今欲何至?」備曰:「與蒼梧太守吳巨有舊,欲往投之。」肅曰:「孫討虜聦明仁惠,敬賢禮士,江表英豪咸歸附之,已據有六郡,兵精糧多,足以立事。今為君計,莫若遣腹心使自結於東,崇連和之好,共濟世業,而云欲投吳巨,巨是凡人,偏在遠郡,行將為人所併,豈足託乎?」備大喜,進住鄂縣,即遣諸葛亮隨肅詣孫權,結同盟誓。(『三国志』「蜀書先主伝」註『江表伝』)

  31. 表先主為左將軍,禮之愈重,出則同輿,坐則同席。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  32. 是時曹公從容謂先主曰:「今天下英雄,惟使君與操耳。本初之徒,不足數也。」先主方食,失匕箸。(『三国志』「蜀書先主伝」)

  33. 程昱、郭嘉聞公遣備,言於公曰:「劉備不可縱。」(『三国志』「魏書武帝紀」)

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